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第四の手(下) 新潮文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2009/11/28 |
JAN | 9784102273166 |
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第四の手(下)
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商品レビュー
2.9
10件のお客様レビュー
アーヴィングの作品の中では短い長編で、文章も平易で読みやすい。主人公がライオンに腕を噛みちぎられたのも、彼女と病院であっという間のセックスをしたのも現実にはあり得るのかあり得ないのか、アーヴィングが書く多くのエピソードと同様、ギリギリのリアリティを保っている(か?)全体にコミカル...
アーヴィングの作品の中では短い長編で、文章も平易で読みやすい。主人公がライオンに腕を噛みちぎられたのも、彼女と病院であっという間のセックスをしたのも現実にはあり得るのかあり得ないのか、アーヴィングが書く多くのエピソードと同様、ギリギリのリアリティを保っている(か?)全体にコミカルで楽しめるけれど、今まで読んだアーヴィングの中では、ヒューマニズムというか人の奥深い優しさや悲しみの表現という部分においては、今ひとつ物足りなかった。 彼女の心理描写も物足りず、主人公に対してなかなか心を開かない理由は夫への変わらぬ愛情だと理解は出来るが、共感は難しい。主人公と寝た後も「わたしも愛せるように努力するわ」と言いつつ再婚の決心はしているという。そのことをどう捉えていいのか、もやもやしたまま読了。 追記 彼女が「愛せるように努力する」というセリフについて、同じ本を最近読了した友だちと話していて、「紋切型の『愛してる』に対するアーヴィングのアンチテーゼなのでは」という解釈に辿り着いた。 たしかに、男から「愛してるよ」と言われて、女が「わたしも愛してるわ」と言わなくちゃいけない道理はない。「愛せるように努力する」もまたひとつの愛情表現とは捉えられないか。 追記 ドリスがパトリックを受け入れるまでにかかった時間のことだけど、たぶん、ドリス・クラウセンは、パトリックが自分のことを愛していることを理解しつつも、見え隠れする彼の軽薄さをも理解してしまっていたのだろう。それでも彼を愛せそうか(愛せるか、ではなくて)推し測っていたのかもしれない。 パトリックはパトリックで、彼女との会話のやり取りの中で気付きがある。 わたしの好きなくだりがある。 「キャサリンがアルマーシに「私を奪って」と言うところがじつによいではないか。 「原作の話ね」とクラウセン夫人は言った。 「原作と映画」 「映画にはないセリフよ」とドリスは言う(いや、見たような気がする―たしかに セリフがあったはずだ!)。「すごく気に入ったせいで、聞いたと思ったんじゃないの」 「気に入らなかった?」 「男好きのするセリフなのよ。あんなこと言うなんて信じられない」 またしてもウォーリングフォードは馬鹿になったような思いを味わった。 ドリス・ クラウセンが愛する書物、および思い出のある(少なくとも彼女には悲しい思い出が まつわりつく) 映画に、 ずかずか入り込もうとしたのだった。だが本というものは、 映画もそうだろうが、もっと一人だけの、ひっそりしたものなのだ。 いい作品だとうなずき合えることもあるだろうが、 こうだから好きと言えるような理由までが、 すんなり一致するわけではない。」 本にしろ、映画にしろ、みんな自分の読みたいように読み、観たいように観る。じぶんの理論を小説や映画で裏付けしたいのだ。でも、自分の中では論理的になっているようであっても、自分が思いたい方向に自分で論理を展開するのでそうなっているにすぎない。 だいたいにおいて、本や映画の作者が男であった場合は、その中の女性の言動や心理描写は、かなりの確率でそれは「女性にはそうあってほしい」という作者の願望の具現化じゃないかとわたしは思ってる。 話は逸れるけど、悲しいことに、日本の女流作家は男社会にあまりにも組み込まれ過ぎていて、無意識に男性視線に忖度がみられるとわたしはときどき思う。女性が描く女性にすら、あまりリアリティがないのはそのせいじゃないか。 何がいいたいかというと、ジョン・アーヴィングにおいては、「男性が喜びそうな女性の描写」をしていない。わたしがアーヴィングのことを好きな理由の重要な要素のひとつだ。 上の引用文はそれをよくあらわしているのではないかな、と思う。パトリックがそそられた「わたしを奪って」というキャサリンのセリフを、ドリスはバッサリと「男好きのするセリフ」だと切り捨てているのが気持ちよい。男性作家がフェミニズムを表現しようというこころみは、このご時世とてもハイリスクだしデリケートだと思うけど、ちゃんとそこをおさえているところがすごいし尊敬できる。
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再び腕を失い、クラウセン夫人はウォーリングフォードにわざわざ会う理由を失う。一方のウォーリングフォードは確かな恋心と愛がクラウセン夫人に対して芽生えており、会う理由を彼らの息子オットーJrに求める。 下巻はコメディ色は薄く、情事とウォーリングフォードの思いを言葉と行動に落とし込む...
再び腕を失い、クラウセン夫人はウォーリングフォードにわざわざ会う理由を失う。一方のウォーリングフォードは確かな恋心と愛がクラウセン夫人に対して芽生えており、会う理由を彼らの息子オットーJrに求める。 下巻はコメディ色は薄く、情事とウォーリングフォードの思いを言葉と行動に落とし込むことに終始してたようなんだけど、それが彼の本気度であるように感じた。メークの若い子との夜遊びは、ガムが飛んだり、彼に噛り付いたりの描写が、少し笑を誘う感じがまさに彼のお遊びで、自覚のなさというのか、Kのつくモニカの頃に戻るのかダメ野郎と思った。ダメ野郎なんだけど、ずる賢くなくって正直なところが主役を張れるポイントなのだろう。扱いやすさもあるのかもしれないけれど。 クラウセン夫人とは距離が心理的にも肉体的にもあり、身近にいるおそらく外見、スタイルが完璧であろうメアリに気持ちが流れきらないあたりが、恋してるなあと感じるのと、余程、仕事にうんざりしていたのだろうと思った。
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主人公のウォーリングフォードさんが、クラウセン夫人を大切に思うようになって、クラウセン夫人のために多くの物を犠牲にするようになっていく過程が、面白かった。 ウォーリングフォードさんが、新しい職を手にするための思いつきであっても“ニュースで報道されない裏側”に着目しようと言っている...
主人公のウォーリングフォードさんが、クラウセン夫人を大切に思うようになって、クラウセン夫人のために多くの物を犠牲にするようになっていく過程が、面白かった。 ウォーリングフォードさんが、新しい職を手にするための思いつきであっても“ニュースで報道されない裏側”に着目しようと言っていることで、小説の中の様々な不幸なニュースは、お笑い種以上の存在感を示すようになったと思う。それとともにまともになっていくウォーリングフォードさんは、だんだんと現実的な重みのある人間に変化していきました。
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