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検疫官 ウイルスを水際で食い止める女医の物語 角川文庫
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検疫官 ウイルスを水際で食い止める女医の物語 角川文庫

小林照幸【著】

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検疫官 ウイルスを水際で食い止める女医の物語 角川文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 角川書店/角川グループパブリッシング
発売年月日 2009/11/25
JAN 9784043943234

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商品レビュー

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2022/12/17

内容(「BOOK」データベースより) 新型インフルエンザ対策の第一人者、岩崎惠美子。その最前線の攻防を描いた本格医学ノンフィクション!日本人で初めてエボラ出血熱を間近で治療した惠美子。50歳を過ぎて熱帯医学を志し、安穏な医師生活を捨て去ってウガンダやインド、タイ、パラグアイなどで...

内容(「BOOK」データベースより) 新型インフルエンザ対策の第一人者、岩崎惠美子。その最前線の攻防を描いた本格医学ノンフィクション!日本人で初めてエボラ出血熱を間近で治療した惠美子。50歳を過ぎて熱帯医学を志し、安穏な医師生活を捨て去ってウガンダやインド、タイ、パラグアイなどで現場治療にあたる。日本検疫史上初の女性検疫所長とまでなった彼女の、生物・化学テロ、感染症、ウイルスの脅威から日本を守ってきた活躍を大宅賞作家が描く。 著者について ●小林 照幸:昭和43(1968)年、長野市生まれ。ノンフィクション作家。明治薬科大学在学中の平成4(1992)年、『毒蛇』(TBSブリタニカ・文春文庫)で第1回開高健賞奨励賞を受賞。平成11(1999)年、『朱鷺の遺言』(中央公論社・中公文庫)で、第30回大宅壮一ノン 著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より) 小林照幸 1968(昭和43)年、長野市生まれ。ノンフィクション作家。明治薬科大学在学中の1992(平成4)年、『毒蛇』(TBSブリタニカ・文春文庫)で第1回開高健賞奨励賞を受賞。1999(平成11)年、『朱鷺の遺言』(中央公論社・中公文庫)で、第30回大宅壮一ノンフィクション賞を、当時同賞史上最年少で受賞。信州大学経済学部卒。明治薬科大学非常勤講師(生薬学担当)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

Posted by ブクログ

2020/04/25

岩崎恵美子さん自身の生命力がすごいというか。 やりたいことや使命感を前に、男性だから、女性だから、母親だから、というくくりは言い訳でしかないのかな、と励まされます。

Posted by ブクログ

2019/05/01

「私は自分の人生を二十五年周期に区切っている。生まれてから 二十五年は自分のための二十五年だった。二十六歳からの二十五 年間は、家族のために使う二十五年だと思って生きて来た。医師 としての仕事は、自分のためでもあるけれど、家族を養っていく ためのものでもある。でも、五十歳...

「私は自分の人生を二十五年周期に区切っている。生まれてから 二十五年は自分のための二十五年だった。二十六歳からの二十五 年間は、家族のために使う二十五年だと思って生きて来た。医師 としての仕事は、自分のためでもあるけれど、家族を養っていく ためのものでもある。でも、五十歳からの二十五年間は、医師の 仕事をそのまま社会に役立てることができると思っている。五十 を過ぎてからの二十五年は、私は社会のために使っていきたいと 思っているんだ」 耳鼻科医となり、結婚後に伴侶の仕事の関係でアメリカに渡り、 そこで出会ったポーランド系アメリカ人の男性医師は有言実行 の人だった。 言葉通りに50歳で職を辞し、医療体制が不十分な南米に旅立った。 このポーランド系アメリカ人医師の言葉は、医師として自分はどう あるべきかを模索していた岩崎美恵子に強い印象として刻まれ、 日本初の女性検疫所長であり、感染症予防医学の第一人者を 誕生させるきっかけとなった。 医師としての仕事しながら3人の子供を育て上げ、50歳を過ぎ てから専門外である感染症を学ぶ。本書は感染症予防に尽力 する岩崎恵美子の活動を追ったノンフィクションである。 既に耳鼻科医として確かな腕を持った医師が、向上心・研究心 を失わずに挑戦し続ける岩崎氏の姿は、「これぞ医学者」なの だろうと感じた。 研究書や論文を読んだだけで、感染症に対応することは出来ない。 実際にどのような症状が出るかを理解していなければ、早期に 適切な診断を下すことが難しい。 それを実感した著者は自ら望んで感染症が多発している地域に 赴き、実際に患者の治療にあたる。 感染症は完全に予防することは出来ない。ならばどうするか。 海外へ渡航する人に対しての啓発であり、予防接種の推進で あり、情報の発信である。 岩崎氏が勤務した成田空港の検疫所でも、仙台検疫所でも、 周囲では「そんなことは出来ません」の声が多かった。それを 説得し、感染症予防のみならず検疫所がどんな機関であるのか の広報に力を入れて行く。 感染症を最小限に留めたい。その思いが岩崎氏を突き動かして いる。非常にパワフルな人だと思う。 幾重にも予防策を講じても、「絶対」ということはない。いくつ もの場面を想定し、準備を怠らないことなのだと思う。 岩崎氏の活動を丹念に追い、感染症の怖さもじわじわと伝わって 来る。若干、文章が読みにくい部分もあったが、概ね興味深く 読めた。 ただ、私は岩崎氏が感染症の専門家になるきっかけとなった ポーランド系アメリカ人の医師の「その後」の方が気になって しまったのだけれど。

Posted by ブクログ

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