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したくないことはしない 植草甚一の青春
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2009/10/30 |
JAN | 9784103185314 |
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したくないことはしない
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商品レビュー
3
3件のお客様レビュー
傍に居た人だからこそ語れた伝記。なによりも、文章が気持ちが良い。「ファンキーじいさん」植草甚一のヒヤヒヤしてしまうような言動を暖かく見守り、しょうがない人だなと私たちと共に呆れ、でも突き放さない。植草甚一を闇雲に聖人君子にしないその姿勢に、私は他でもない著者の知性と温厚さを見出し...
傍に居た人だからこそ語れた伝記。なによりも、文章が気持ちが良い。「ファンキーじいさん」植草甚一のヒヤヒヤしてしまうような言動を暖かく見守り、しょうがない人だなと私たちと共に呆れ、でも突き放さない。植草甚一を闇雲に聖人君子にしないその姿勢に、私は他でもない著者の知性と温厚さを見出してしまう。津野海太郎、なかなか侮れない書き手と見た。社会学や文学の視点から見ればこの伝記は薄いかもしれないが、研究書にはないそうした温もりが本書をブリリアントなものにしていると思う。エゴを押し出さない編集者の書物は気持ち良く読める
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「したくないことはしない」と思いながらも、なかなかそうもいかないの現実。それを可能にするのも、才能のひとつですね。
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装丁と著者とタイトルからすると晶文社の本のようだが、よく見ると新潮社の本。津野海太郎の編んだ本、あるいは書いた本は、好きなのがいろいろある。 植草甚一のことは、いつどこで知ったのか忘れたが、「アホほど本を買う人」というのが私の認識であった。私も昔はアホみたいに本を買っていたこと...
装丁と著者とタイトルからすると晶文社の本のようだが、よく見ると新潮社の本。津野海太郎の編んだ本、あるいは書いた本は、好きなのがいろいろある。 植草甚一のことは、いつどこで知ったのか忘れたが、「アホほど本を買う人」というのが私の認識であった。私も昔はアホみたいに本を買っていたことがあるが、そんなのは鼻くそみたいなもので、植草甚一の買いっぷりは桁が1つか2つ違う。そのことをだれかの本で読んだことがある(だれの本やったか忘れた)。 本を買うのは楽しいけれど、嵩の張るものなので、「植草さん、そんだけの本をいったいどうしてたんですか!!!」と私はずっと思っていた。この本を読んで、妻の梅子さんの言葉に(ああそうか、そらそうよな)と思った。 ▼なにしろ人間の住む家じゃありません。本の住む家でしたよ、ずっと。(p.269) しかもヤマで買ってくるのが汚い本ばっかり。「古本屋の店先に50銭均一、1円均一というヤマがあるでしょ、あれを出かけるたびにまとめて買ってくるんですから」(p.269)というような買い方である。それだけの購買力があるならカネモチかというと、この浪費癖のためにずーっとビンボウで、買い物資金の調達には苦心していたそうである。 植草甚一の、コラージュという生き方の話が私にはおもしろかった。 コラージュとは、「すでにあるなにかとなにかを組み合わせて、べつの新しい意味をつくりだす作業」(p.136)。津野は、「植草甚一の生活のどこをとっても、ありふれた大量生産品をこまめな手作業によって再構成しているかれのすがたが発見できる」(p.138)と書いている。 雑誌も新聞も、すぐ破って、切り抜く。そうやって集めた記事のうち、とくに興味を感じたものはテーマごとにバインダーにまとめ、あるていど集まったところで、それを使って原稿を書くのが植草流。 ▼ようするに植草さんの読書や原稿執筆の方法は、それ自体がコラージュだった。知的生産のための効率的な情報処理技術などではない。その反対。ただの遊びである。 ──そんなことをしてるヒマがあったら原稿を書いてくださいよ。 かたわらで編集者がいくらそう懇願してもだめ。なにかとなにかを組み合わせて新しい意味をつくりだす。その遊びの全過程を植草さんは手を抜くことなく楽しんだ。「できあがると、本当にいい気持になった」というわけだ。 ──ささいなもの、決して芸術ではないものをこそ楽しもうではないか。 植草甚一の生活のいたるところにこれとおなじ小さな快楽への意思が発見できる。それをささえるのがかれの年季を積んだコラージュ技法だった。(p.140) 植草甚一にも興味はあるが、妻となった梅子さんにどなたかが(植草甚一の死後)インタビューしてるらしいので、それを読んでみたいな~と思う。(『エスクァイア日本版』の1989年9月号の"植草甚一特集号"に入っている植草梅子「知り合ったときから子供ほどの常識もありませんでした」…)
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