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作詞入門 阿久式ヒット・ソングの技法 岩波現代文庫 社会192
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 2009/09/18 |
JAN | 9784006031923 |
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商品レビュー
4.4
9件のお客様レビュー
やっぱ歌の歌詞が一番華やかだったのは70年代ソング、阿久悠が生きていた時代なんだよなあ。 90年代くらいからどうしようもないのが出てきて段々薄っぺらくなっていった気がしてしょうがなかったが、その理由は最後の解説でよくわかったかも。 プロの作詞家っていなくなったね。少なくとも厚遇は...
やっぱ歌の歌詞が一番華やかだったのは70年代ソング、阿久悠が生きていた時代なんだよなあ。 90年代くらいからどうしようもないのが出てきて段々薄っぺらくなっていった気がしてしょうがなかったが、その理由は最後の解説でよくわかったかも。 プロの作詞家っていなくなったね。少なくとも厚遇はされていない。 いやそれ以前に歌が世間から消えつつあるこの現状。 ヒットソングという言葉ももう笑いしか出ない世の中になっている。
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宇宙戦艦ヤマト、ペッパー警部、八代亜紀の舟唄、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」、数々の名曲を生み出した阿久悠の仕事術。 とにかくすごい。 時代感、人々の感性を 理論的に分析し、時代時代の心を掴む 作詞をどう実現したのか、 惜しげなくノウハウを公開。 (超人的努力を要するけど、、)...
宇宙戦艦ヤマト、ペッパー警部、八代亜紀の舟唄、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」、数々の名曲を生み出した阿久悠の仕事術。 とにかくすごい。 時代感、人々の感性を 理論的に分析し、時代時代の心を掴む 作詞をどう実現したのか、 惜しげなくノウハウを公開。 (超人的努力を要するけど、、) もし、生きていたらこの人は 令和の日本の歌を作っていたんだろうな と感じた。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
A面には、売らなければならないという絶対責任がある。それ故に、さまざまな制約を強く受けている。それにくらべ、B面は、今のところ、全く自由の身なのである。 なぜ、これを、音楽の解放区として活用しないのだろうか。A面を書いた作家が、ぜひ音楽的実験を試みたいというなら、そうさせないのか。タレントが、今はまだその時機ではないが、近い将来必ずこういう傾向のものに取り組まねばならないというようなもののテストの場に、どうして与えないのか。 また、いきなりコマーシャルなA面に起用するのは危険だが、その音楽センスを試してみたいという新人作曲家の力試しの場に、どうして解放しないのか。 考えれば、活用方法はいくらでもあるのである。 恋は栄養ではなくヒ素のようなものというのが、日本人の恋感覚なのである。だから、どうしても真正面から恋に取り組んだ歌というのは陰湿におちいりやすい。愁嘆場、修羅場である。だから、この場合、どうしても、恋とガブリ四つの歌はやめたかったのである。 たいへん残念なことである。日本という国民性が、もし、ブリジット・バルドーのような女性の行き方を認めるものならば、こんな悩みはしなかったであろう。 ぼく自身は、いろんな恋を経験して、そのたびに人間的にも大きく、そして、きれいになっていく女の子が大好きである。「あいつは遊んでしょうがないよ」などと、たとえ、悪くいわれても、事実、きれいになり、豊かになっていれば、それで素晴らしいことなのである。ただ、日本には、まだそういう女性はいない。そして、まだ、日本人は、そういう女性をほんとうには認めない。 歌謡曲の詩には、常に新しいということが要求される。新しいということは、今までになかったということである。今までにあったかなかったかを知るためには、現在使われているさまざまな形、約束事を知っておかなければならない。そして、今までになかったということの意味を知らなければ、決して新しいものは生み出せない。 今までになかったということは、未発見ということの他に、あってはいけないという理由も含まれているのだ。 アマチュアが新しいと称するものは、たいてい後者であることを考えておいたほうがよい。 常識はつまらない。しかし、非常識はなおつまらない。超常識であるために、基本編をおさらいしてみたいと思う。 形式というものは、それにしばられている間は実に腹立たしいが、自由につかいこなせるようになると、こんな強力な武器はないということを知っておいたほうがいいと思う。 物事を見る時、物事を考える時、必ず裏からも見てみる習慣を身につけよう。 歌謡曲とは完全にリアクションの芸術だといえるかもしれません。送り手がいかに意欲的であり情熱的であっても、リアクションがないかぎり何の価値もない。毎日、ひとつでもふたつでも、はねかえってくることを祈りながらボールを投げ続ける。そのうちいくつかはねかえってきて、はじめて作詞家として充実感を感じる。そういう構造だと思います。では、ボールをぶつける時、はねかえしてくる壁とはなにか。それは時代の飢餓感だと思うんです。 いまなにが欠けているんだろうか。いまなにが欲しいんだろうというその飢餓の部分にボールが命中したとき、歌が時代を捉えたといっていいでしょう。「言われてみてはじめてわかりました」とか、「わたしも実はそうだったのよ」という、死角に入っていた心のうめき、寒さ、これがつまり時代の飢餓感です。しかもいま、飢えているもの、欲しいものがよく見えない。かつては見えたんですよ。飢えとは文字通り飢え、不足は文字通り不足だったのだが、腹が満たされ、生活が整い、時間にも余裕が生まれてきて、豊かだなどといわれると、もう見えない。しかし、何かしら飢餓は存在している。この見えない飢餓にボールをぶっつけて、ああ、それそれといわせるのが歌なんですよ。 いま僕はこんな風に言っているんですが、歌とはつまり、「時代の中で変装している心を探す作業」であるとね。愛も、幸福も、悲しみも、淋しさも、怒りも、痛みも、何かの事情で隠れてしまっているのが現代なんじゃないか。少し化粧を落としてみたり、少し脱いでみたりしたら、そうすれば少し楽しく、少しのびのび心を開けるんじゃないか、歌はそれをやれるはずだし、やるべきだと思うわけです。変装してるんですよ、みんな。
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