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岸辺のない海 河出文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 河出書房新社 |
発売年月日 | 2009/08/20 |
JAN | 9784309409757 |
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岸辺のない海
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商品レビュー
3.8
6件のお客様レビュー
私の手元にあるのは、本書・河出文庫版『岸辺のない海』ではなく、日本文芸社版『岸辺のない海』(完本として完全復原)である。 本書は、作品紹介に「著者の原点ともいえる初長篇小説を完全復元。併せて「岸辺のない海・補遺」も収録」とあるから、日本文芸社版と同じ構成のようだ。 私にとって『岸...
私の手元にあるのは、本書・河出文庫版『岸辺のない海』ではなく、日本文芸社版『岸辺のない海』(完本として完全復原)である。 本書は、作品紹介に「著者の原点ともいえる初長篇小説を完全復元。併せて「岸辺のない海・補遺」も収録」とあるから、日本文芸社版と同じ構成のようだ。 私にとって『岸辺のない海』は、捉えどころがない断想の集積であるが、微細に見ると何かしら宝石のように輝く断片が散見される。 物性科学の用語で例えると、本書はamorphous(非晶質)のような、あるいはamorphousの中に散りばめられたPolycrystal(多結晶)のような複雑さが感じられる。 本書は適当なページを開いて、「こういう情景はオレも経験したことがあるぞ」とか、「この表現はシャープだな」とか、「気に入った表現」を見つけることが楽しみだ。 「気に入った箇所」という判断基準は、読む時の気分にも左右されるから、本書と同様に霧に包まれている。 そうしているうちに眠くなったらページを閉じる。 本書の本質をよく表している個所をいくつか抜き書きしてみる: <とどまることなく、続けざまに亡命し続けること。それは書くことに他ならない。(略)生きるために、もしくは、生きる理由なんてものがないことを知るための逃走、そして闘争。僕は書き続けよう。僕の灰色の表紙の航海日誌を――。岸辺のない海を巡る永遠の航海に、永遠の不可能の航海に出かけよう。僕は書き続ける。書き続けるために――。> <僕から遠い世界で、僕の知らない世界で、彼女は常に他の男たちに属しながら、僕のことを忘れ続けるだろう。僕は彼女を名付けることができない。名を告げることによって、ますます遠ざかり、離れられなくなってしまう存在。打ち寄せる岸辺のない海のように、彼女は果てのない波の永遠の循環であり、語ることによってしかその存在を明らかにすることのできない不在なのだ。そして、彼女は常に僕の前に現れる。不在の指標として。それを辿って行くことの不可能な指標として> <彼は灰色の表紙のノートに《岸辺のない海》と書き込む。《おそらく、すべての書かれる予定の作品は、決して完成されることはないだろう。いやはての海を求める航海のように、岸辺のない海の最中(さなか)で、存在しない岸辺を求めるように。僕の小説は完成されることがないだろう。それでも、書き続けること。空虚をものともせずにだ!》> <やがて、いつか、僕は書き始めるだろう。書き始める前に死んでしまわない限り――。しかし、それは永遠に続くように思われる。永遠に書き始める時はやって来ないで、それなのに、それはもう戻ることの出来ない最初の一歩を踏みはずして――。書き始めるまでの、到達すべき地点へ到達するまでの、長い不可能な航海の、僕は王であり水夫(かこ)だ。僕の船団に目的地はない。到達すべき岸辺が、この海にはない。海だけで出来た星。船団の寄港する島とてない、ただ永遠に続く海だけに囲まれた巨大な球体を航海すること> 本書は「永遠に書き始める時はやって来ない」小説であるから、普通の意味での小説ではない。 読者は、金井美恵子氏が妄想する「到達すべき岸辺がない海」「永遠に続く海」を当て所なく漂う「長い不可能な航海」を堪能する資質が必要である。
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言葉はそれ単体で自己を言い表すことができない。独立して存在することができない。 人間の作ったものだから。律義にも、人間と全く同じで、隣接する何かとの関係性や比較をもって初めて、意味として理解され、「存在」することができる。 こんな当然のことを再確認したのは、ともすれば忘...
言葉はそれ単体で自己を言い表すことができない。独立して存在することができない。 人間の作ったものだから。律義にも、人間と全く同じで、隣接する何かとの関係性や比較をもって初めて、意味として理解され、「存在」することができる。 こんな当然のことを再確認したのは、ともすれば忘れがちなこの命題に、一つの方向から迫っているのだなと、本作を通して感じたから。 そもそも普段使いの言葉で十分コミュニケーションがとれる(とされている)のにも関わらず、どうして小説だったり、漫画だったり、絵画だったり、音楽だったり、と複雑で広範な表現をわたしたちは追い求めるのか。 それは不十分だからだと思う。ぞれぞれの語彙は、個人的な感覚や体験に基づいて、絶えず独自の変化を遂げてその生態系を作り上げている。だから、辞書はあてにならないし、わたしたちの使っている言語は例え母国語であったとしても、全くの別言語だという見方もできる。 文章のなかで、書きことばに落とし込められた話者の一人称〈ぼく〉。文章のなかで話しことばを操る彼、その自己呼称としての〈ぼく〉が、同一の事柄に対して語る構図。読んでいて、書く人でなくても自然と感じるような内外の隔たりが克明に描写にされているところが魅力だと思う。普段、無意識に殺す、自分だけの語彙。その小さな命。円滑さ、経済性というミッションを帯びたわたしたちの言葉と呼んでいる、言葉。 まるで口にするたびに、自身の言葉が失われていくかのよう。そうした喪失感も、ビデオテープのように擦り切れてしまって、わたしたちは、無味乾燥な語彙と言語体系のなかに誘致され、監禁されてしまう。別に本書が意図するのはこんな説明ではないけれど、彼=ぼくは、まさしくこの戦場に見えない、永続的に降り注ぐ爆撃の形をとった無差別の破壊のなかを生きている。 家庭や友人、会社員とか親であるとか、様々な社会文脈に隷属せずに、そのために断片的で孤独な自分を生きる彼の“書く”行為は、本当に生きる行為そのもので、自身の文脈を作り上げようとする営為が“書く”だと、今のところわたしは理解している。 文書の性質で言えば、喜劇にも、悲劇にも、物語性を帯びていないのが特徴だ。中立的で、肯定でも否定でもない、他に依存しない独立独歩の文章。だから、既存の文脈にあるものに価値観を委ね、評価している傾向の強い人は理解に苦しむかもしれない。この文書にはなんら権威主義的な要素が無いし、写実のもつ複眼的で、多方向からの描写に徹している。物語として進行しないので時制もない。動いてもいなければ、止まってもいない。実際には動いていたとしても、一般の言語感覚では知覚できないところにある微動をじっくりと、もしくは一瞬で読んでしまうのも面白い。
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プロットは、断片的だけれども確かに「ある」、けれどもまるで散文詩のような「言葉」が奔流に、覚えず一種の物語世界の中に惹き入れられている自分を発見する。
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