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「常識」の日本史 歴史の嘘と真実を見抜く
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「常識」の日本史 歴史の嘘と真実を見抜く

井沢元彦【著】

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「常識」の日本史 歴史の嘘と真実を見抜く

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 PHPエディターズグループ/PHP研究所
発売年月日 2009/07/10
JAN 9784569770284

「常識」の日本史

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商品レビュー

4

3件のお客様レビュー

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2012/12/23

私は本当に、この人の書く歴史が好き♪ 歴史は覇権を握った側が後から書くんだという事実。 そのことだけ頭に置いておくだけで、色んなことの裏表が見えてくる。 逆に言うと『正史』のみを正しいものとみなす事が、 どれほど無茶なことなのか…。 その視点の訓練…と言う意味でも、この本は...

私は本当に、この人の書く歴史が好き♪ 歴史は覇権を握った側が後から書くんだという事実。 そのことだけ頭に置いておくだけで、色んなことの裏表が見えてくる。 逆に言うと『正史』のみを正しいものとみなす事が、 どれほど無茶なことなのか…。 その視点の訓練…と言う意味でも、この本は面白い。

Posted by ブクログ

2012/10/13

日本書紀は信用できるのか 邪馬台国の"台"はなぜ「タイ」と読むのか 聖徳太子はなぜ憲法十七条を制定したのか 奈良の大仏はなぜ「捨てられた」のか 「源氏物語」はなぜつくられたのか 源実朝はなぜ暗殺されたのか 足利義満はなぜ突然死したのか 山本勘助はなぜ実在を否定...

日本書紀は信用できるのか 邪馬台国の"台"はなぜ「タイ」と読むのか 聖徳太子はなぜ憲法十七条を制定したのか 奈良の大仏はなぜ「捨てられた」のか 「源氏物語」はなぜつくられたのか 源実朝はなぜ暗殺されたのか 足利義満はなぜ突然死したのか 山本勘助はなぜ実在を否定されたのか 上杉謙信は武田信玄と一騎打ちをしたのか 僧侶はなぜ武器を捨てたのか 織田信長は宗教弾圧者か 豊臣秀吉はなぜ朝鮮出兵をしたのか 徳川綱吉は本当にバカ殿か 徳川吉宗は本当に名君か 田沼意次は本当に汚職政治家か 明治維新はなぜ十五年もかかったのか

Posted by ブクログ

2011/09/16

歴史を学ぶのは昔から好きでしたが、井沢氏の逆説の日本史シリーズを読んで、「そう言えば歴史上の記録は覇権を取った者の都合の良いように行われる」ということが理解できるようになり、本当に起きていたことは何だったのか、また本当の狙いは何だったのかを興味をもつようになりました。 このよ...

歴史を学ぶのは昔から好きでしたが、井沢氏の逆説の日本史シリーズを読んで、「そう言えば歴史上の記録は覇権を取った者の都合の良いように行われる」ということが理解できるようになり、本当に起きていたことは何だったのか、また本当の狙いは何だったのかを興味をもつようになりました。 このような考えは受験のために歴史を勉強する必要がなくなった社会人の特権だと思っています。現代の感覚で過去を判断することの危険さ(例:寺は昔は武装していた、戦国時代は人を殺すことは当たり前)を認識することができたのが、この本を読んだメリットでした。 以下は気になったポイントです。 ・中国は歴史の長い国で、その時代ごとに読み方が違っている、漢字から歴史を知ることができる、行灯は中国の南宋以降に入ってきたもので、当時は「あん」と発音していた。日本を「ジャパン」と読むのは昔はそう読まれていたから(p29) ・聖徳太子は17条憲法にて、人は争いを起すものだから、話し合いをしなければならない、そうすれば何でも出来る(何事か成らざらむ)と述べている(p40)・日本の話し合いは多数決でなく、最後まで調整をして「全員一致」を基本とする、それは怨念を発生させないため(p53) ・長屋王の怨霊の力を封じ込めようとして選ばれた新しい宗教の神が、前代未聞の巨大仏像である大仏=盧舎那仏の可能性がある、表向きの理由は国土安穏(p62)・大仏も平城京も怨霊退散には適さなかったので「捨てられてしまって」桓武天皇は都を平安京に移して、最澄空海を派遣して新しい仏教を求めた(p66) ・藤原氏が源氏物語を許したのは(源氏が大臣となって藤原氏に対抗する)フィクションでは許すことで、敗者たちの怨霊を封じて自らの子孫の安寧を保つという意識の現われ(p80) ・仏教は本来個人の「解脱」が目的、基本的にはいかにして仏になるかの教えであり、その目的を果たすための極楽往生であり、怨霊の鎮魂は本来のテーマでない(p82) ・保元の乱は日本の歴史の一つの大きなエポックで、これにより今後国を動かすのは、貴族ではなく武士ということが証明された、保元の乱では、天皇家・藤原氏・平氏・源氏が天皇方と上皇方に分かれて戦った(p91) ・鳳凰が屋根に止まっているということは、その下に神か聖天子がいることを示す、そんな建物は金閣、銀閣、平等院鳳凰堂くらい(p114) ・川中島の戦いにおいて武田方の死傷率は62%、上杉方は72%、日本戦史上死傷率が高かったのは昭和14年(1939)のノモンハン事件(76%)と昭和17年のガダルカナル島奪回作戦(66%)である(p149) ・大陸から輸入した製造技術(醤油、油等)及びそれに対する技術の使用料、許認可権は、寺社勢力が持っていた(p165) ・信長の規制撤廃政策(楽市楽座)に対して、寺社は、「仏教の敵」という表現を使って対抗した(p168) ・天文法華の乱(1536年)とは、比叡山延暦寺の僧徒が、京都にあった日蓮宗の寺院をすべて焼き討ち・皆殺しにした事件(p172)・日蓮宗は日蓮は菩薩の生まれ変わりなので、日蓮自身を信仰の対象にしたので、名前が宗教名(p177) ・日本人は無宗教といいながら、宗旨は浄土宗と言うことがある、これは江戸時代の檀家制度の名残(p183) ・宗教団体への弾圧は武装解除に応じなかったから、後を継いだ秀吉は武装解除に応じなかった紀州根来寺の新義真言宗の寺は焼き討ちしたが、従った高野山はしなかった、信長が本願寺に求めたのも同様(p181、200) ・秀吉が朝鮮出兵したのは、自分の権力を維持するために余った軍事力のはけ口を海外に求めたことによる、世界ではアレキサンダー、チンギス=ハン、ナポレオンである(p213) ・家康が朝鮮出兵に参加しなかったのは、家康以外の大名を100万石以上にして家康の力を相対的に弱める秀吉の狙いもある(p221) ・綱吉は自らの政治を実現するための独自システムとして、側用人をつくった、老中が合議した内容を側用人を通させることで政策実行の主導権を握れる(p240) ・東海道53次に含まれていない名古屋が栄えた(鳴海、熱田のみ)のは、尾張宗春は、吉宗が規制したものを名古屋では禁止せず自由な経済活動を保証したから(p254) ・薩長(114万石)が幕府(直轄:400万石)に勝利できた理由は、経済・財政改革に成功して国力が充実していたから、つまり重農主義(米中心)から重商主義(商業貿易により国富を稼ぐ)に転換できたから(p264) 2010/10/17作成

Posted by ブクログ

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