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和の思想 異質のものを共存させる力 中公新書
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 2009/06/25 |
JAN | 9784121020109 |
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和の思想
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商品レビュー
4.6
8件のお客様レビュー
先日の句会でボクは、 「もやもやとした真実やとろろ汁」という句を出した。 講評で長谷川櫂先生は、「季語がつきすぎる」とし、 本書を紹介していただいた。 俳句では「とりあわせ」ということが、よく云われる… では、「とりあわせ」とは、どうすべきものなのか…本書では、 まず、和という...
先日の句会でボクは、 「もやもやとした真実やとろろ汁」という句を出した。 講評で長谷川櫂先生は、「季語がつきすぎる」とし、 本書を紹介していただいた。 俳句では「とりあわせ」ということが、よく云われる… では、「とりあわせ」とは、どうすべきものなのか…本書では、 まず、和というものは対立するもの、相容れないものを和解させ 調和させるものとし、間のたいせつさを説く… ―なぜ付きすぎがよくないかというと…理屈でつながってしまって、 ここに間が生まれないからである。付きすぎの句とは 間のない句のことであり、逆に離れすぎの句は間が 拡散してしまった、とりとめのない句のことである。 ふ~む…なるほど、と理解はしてもなかなか、うまくはつくれない。 それゆえ、俳句は奥深く、面白いものなのかも… 沈思黙考してふわふわと精進するのが、よろしいのかな? そればかりでなく、いろいろと学ぶことの多い一冊だった。 特に、終章に置かれた次の一節は、現今の日本を思うと重い… ―いつの時代、どこの国でも、過剰なナショナリズムは 人々の自信から生まれるのではなく、追い詰められた人々の 不安や恐怖から生まれる。熱狂的なナショナリズムの仮面を はぎとると、そこには必ず自信を喪失した人々の不安な顔がある。
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大学のレポートの参考文献にしようかなあ、と思って何の気なく手に取った本だったが、「和」に関する考え方を大きく覆された。 和の本来の姿は、本書のことばを借りれば「天地、鬼神、男女、武士のように互いに異質なもの、対立するもの、荒々しいものを『力をも入れずして……動かし、……あはれと思わせ、……和らげ、……慰むる』、こうした働き」をもつものである。 また、それは我々が和の空間と呼ぶ「近代化された西洋風のマンションの中に一室だけ残された畳の間」とは別物であるという。 「むしろ西洋化された住宅の中に畳の間が何の違和感もなく存在していること、これこそ本来の和の姿である」。 今まで私は畳や扇子、着物などに和を見出してきたつもりになっていたが、それは本来の和ではなかったよう。 本書で詳しく解説されているように、歴史的に考えてみても、「調和」の文化が和であるように思われる。 また、日本的な文化のあり方について、「暑苦しさを嫌う」という観点から論じているのも興味深い。 和辻哲郎の「モンスーン型」などの分類を想起した。(ただ、和辻の著作に親しんでおらずそれと同じものかはわからないが) いたずらに和洋折衷と咎めるのではなく、新たな文化を生み出す姿こそ和であると考え、文化の変遷を見守っていくほうがいいのかもしれない。
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・和とは本来、様々な異質のものを調和させ、新たに創造する働きを言った。なぜ、この和の力が日本に生まれ、日本の人々の生きる力の源となったのか。豊富な事例から和の原型に迫る。 ・自分いないものを相手がもっているから相手に惹かれる。性格の不一致が離婚の理由というのはおかしい。 小倉百人...
・和とは本来、様々な異質のものを調和させ、新たに創造する働きを言った。なぜ、この和の力が日本に生まれ、日本の人々の生きる力の源となったのか。豊富な事例から和の原型に迫る。 ・自分いないものを相手がもっているから相手に惹かれる。性格の不一致が離婚の理由というのはおかしい。 小倉百人一首、源俊頼の歌。うかりける 人を初瀬の 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを(長谷観音にお参りしてある女への恋の成就を祈願したが、その女は心を開くどころか、いっそう冷たくなった。願いを叶えてくれなかった長谷観音への恨みの歌である。憂かりける=つれない。) ・日本人は生活や文化のあらゆる分野で間を使いこなしながら暮らしている。それを上手に使えば、「間に合う」「間がいい」ということになり、使い方を誤れば「間違い」、間に締まりがなければ「間延び」、間を読めなければ「間抜け」になってしまう。間の使い方はこの国の最も基本的な掟であって、日本文化はまさに間の文化である。 ・フラワーアレンジメントは花によって空間をようとするが、生け花は花によって空間を生かそうとする。 ・西洋のクラシック音楽は、沈黙を恐れ、音楽である以上、一瞬たりとも音のない時間を許すまいとする衝動に駆られているかのように思える。それにひきかえ、日本古来の音曲は琴であれ笛であれ、音の絶え間というものがいたるところにあって長閑なものだ。
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