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リリアン 新潮クレスト・ブックス
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2009/06/29 |
JAN | 9784105900762 |
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リリアン
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1924年。ニューヨークに一人の女がたどり着く。 故郷ロシアでの虐殺で、家族を失ったリリアン。 お針子となったリリアンはやがて劇場主の愛人となる。 不自由ない生活をリリアンは、失ったはずの娘が生きているという 話を耳にする。彼女は娘にあえるのか。愚直なまでに苦難に立ち向かい続け...
1924年。ニューヨークに一人の女がたどり着く。 故郷ロシアでの虐殺で、家族を失ったリリアン。 お針子となったリリアンはやがて劇場主の愛人となる。 不自由ない生活をリリアンは、失ったはずの娘が生きているという 話を耳にする。彼女は娘にあえるのか。愚直なまでに苦難に立ち向かい続ける女の物語。 とある実話をモチーフとしたベストセラー小説。 好き嫌いはあるかもしれないけど、なんだか少し元気をくれる本かもしれません。
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ロシアで迫害に遭ったユダヤ人女性がアメリカへ逃れ 生き別れと判った娘を探す為シベリアへの旅を続ける ささやかな幸運と惨めな代償を引き換えに 過酷なたびに挑み、自らの尊厳を取り戻そうとする ぞくぞくする緊張感と、疾走感がある冒険は 助成が主人公だけにより悲壮でもあるが、 母とし...
ロシアで迫害に遭ったユダヤ人女性がアメリカへ逃れ 生き別れと判った娘を探す為シベリアへの旅を続ける ささやかな幸運と惨めな代償を引き換えに 過酷なたびに挑み、自らの尊厳を取り戻そうとする ぞくぞくする緊張感と、疾走感がある冒険は 助成が主人公だけにより悲壮でもあるが、 母としての強さ、女性としての逞しさに涙を忘れる
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誰にでも覚えのあることだと思うけれど、長篇小説を読み始める前には、ちょっとした躊躇いと期待のない交ぜになった感覚がよぎるものだ。この小説では、それが最後の頁をめくり終わるまで続いてゆく。 長篇特有のじっくりとした展開がある訳ではない。むしろあちこちのカットを繋ぎ合わせた映画のト...
誰にでも覚えのあることだと思うけれど、長篇小説を読み始める前には、ちょっとした躊躇いと期待のない交ぜになった感覚がよぎるものだ。この小説では、それが最後の頁をめくり終わるまで続いてゆく。 長篇特有のじっくりとした展開がある訳ではない。むしろあちこちのカットを繋ぎ合わせた映画のトレーラーのように物語は進んでゆく。そしてそれが永遠に続くかのような印象が残る程に、一つ一つの短いシーンが数珠つなぎのようにどこまでもつながってゆく。ハリウッド映画的なドラマの要素の盛り合わせ。貧乏と成功、性と暴力、不正と正義、そんなようなものがこれでもか、と流れてゆく。そしてそのどれもが小説の背景となる時代を考慮したとしても、およそ現実的とは思われない薄っぺらな雰囲気を醸し出す。 そんな風に書くとこの本を投げ出したくなった、と続きそうなものだけれど、少々読みにくい文章(それは記憶の千鳥足があるからなのだが)に付き合ってゆくのはそれ程苦ではない。 極端に言えば、主人公であるリリアンの物語は、カラフルな端切れを一本の縫い糸で繋いでゆくだけの物語。端切れの色の鮮やかさに比べて目立たないようにすら思える(もちろん、主人公の物語も平凡とは言えない位に波乱万丈ではあるけれど)。ドキュメンタリーのカメラが、通り過ぎる風景や人々を静かに写し撮るように、あらかじめ引かれた軌道の上を小さな車輪がコロコロと転がるように滑らかに一つの方向へ進んでゆく。 思うにこの小説は、何かを非現実的と考える小賢しさに対して、それは自分がそう考えているだけに過ぎないのでは、と問いかけるような物語なのかもしれない。非現実的であるとは、過程を想像し行為の行方を予想してみたら結果は期待したところへは辿りつかないだろう、ということを短く言っただけのことだ。そして誰もがそうやって論理的な道筋を辿れば同じ結論に至りそれを実行したりはしないだろうという了解に基づく判断でもある。しかし人間は論理的とはおよそ言い難いことをするし、期待する結果が得られないであろうことに対しても行動を起こす。「リリアン」にあるのは、そういう意味で非現実的ではあるものの真実味を欠いているとは言い切れない何かだ。 主人公の足跡という縫い糸によって縫い付けられた一つ一つの物語に結末をつけてくれるのは作家のちょっとしたおせっかいという気がしないでもないけれど、仕上げようとしていた裁縫が最後まで縫い上げられないという物語が描かれているのは、読む者にとって気持ちの慣性の自由運動させる余白として働いて、個人的には悪い感じはしない(ただし主人公たちの物語の結末はその自由運動に対する抵抗となってしまうけれど)。特に、主人公が縫い糸をどこまでも伸ばしてゆくその姿が過度に感情的に(英語で言えばデスパレートに)ならずに描かれる様が、黙々と運針を繰り返すように進んでいるようだなと思いながら、の足跡を追いかけるようにして読んでいた後では。 長篇を読む際の気持ちのない交ぜは、仕上げなければならい縫物の果てしなさに起因するものだと思うけれど、運針の手元を見つめるようにするといつの間にか霧散する。時々顔あげて左手にある布の多さを見てしまうと、また躊躇いと期待が湧いてきてはしまうけれど。この本に関しては、そのない交ぜも決して悪いものではない。
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