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戦国遺文 佐々木六角氏編
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戦国遺文 佐々木六角氏編

村井祐樹【編】

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戦国遺文 佐々木六角氏編

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 東京堂出版
発売年月日 2009/05/30
JAN 9784490306583

戦国遺文

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2011/11/20

近江源氏佐々木氏の名門で、近江国守護、戦国大名六角家を中心に収集した古文書集。 戦国大名としての六角家は信長天下布武の過程で没落したためか古文書残存数はかなり少なく本書全1巻のみであり、他の滅亡した戦国大名家である武田家、後北条家などに比べても戦国遺文としての収載はかなり少ない。...

近江源氏佐々木氏の名門で、近江国守護、戦国大名六角家を中心に収集した古文書集。 戦国大名としての六角家は信長天下布武の過程で没落したためか古文書残存数はかなり少なく本書全1巻のみであり、他の滅亡した戦国大名家である武田家、後北条家などに比べても戦国遺文としての収載はかなり少ない。 収録期間は年のわかっている範囲で、応仁の乱発生年である応仁元年から安土城完成の天正七年まで。政治・外交・戦争・支配構造・経済基盤・流通など戦国大名六角家の状態を解明する不可欠な史料となっている。また、近江は京に近いせいもあるためか、年表上の「出来事」に参加したと思われる古文書も多く、日本史年表を傍らに置きながらページをめくりたい本である。 興味深い史料は多いのだが、六角高頼期ではいわゆる応仁の乱関連と思われる合戦や、将軍足利義尚や足利義材の六角高頼追討に伴う甲賀逃亡作戦、明応の政変に伴う将軍足利義高(義澄)の赦免、それに連動する美濃国守護代斎藤氏との合戦、家臣伊庭貞隆との抗争などが目を引く。また、伊庭貞隆宛て永正四年の足利義澄御内書では細川政元暗殺を発端とする永正の錯乱の状況を伝えているが、陰謀の匂いがぷんぷん漂う文書です(笑)。翌年以降からは、義澄と義材双方からの勧誘が激しくなり、どっちに味方してるんや?という状況も面白い。 息子の定頼期では、室町幕府との蜜月を思わせる関連文書が面白い。相変わらず合戦も続くのであるが、幕府中枢への関与も大きくなり、将軍義晴が落ち延びている朽木稙綱宛ての享禄二年六角定頼書状では、堺の動向、越前国朝倉孝景のもとにいる細川高国のこと、播磨国での浦上宗景の合戦状況、無茶を画策している将軍奉公衆の動きなどを相談していたりする。また、将軍義晴が移り住んだいわゆる近江幕府の時期には、義晴のもとで遠く離れた大内義弘と大友義鑑の調停を行っているのが興味深い。将軍義晴にとって六角定頼は、細川晴元と並ぶ2大支援者だったようで、「両者と相談して」という文書が何通か残っている。天文十八年には「謀反」した三好長慶包囲網を晴元命令下で結成している。 意外なところでは、天文年間において本願寺証如からの手紙が多いことや、尼子詮久と大内義隆の合戦を毛利元就に伝えていたりする。さらに有名なところでは、楽市令の初見という天文十八年の奉書が興味深い。 義賢(承禎)期での注目としては、三好長慶に抗しきれず和睦するのだが、長慶や松永久秀などのきな臭い文書が次第にゆるい文書になっていくのが興味深い。(笑)また、永禄年間には北近江の浅井長政との抗争から美濃国斎藤義龍と同盟するのだが、これを本意としなかった義賢の文書が近年超有名となり見どころだ。(笑)「かの斎藤義龍の身の上だが、祖父の新左衛門尉は京都妙覚寺法花坊主くずれで西村という者だが、長井弥二郎の家臣となって濃州錯乱事件で活躍して長井という名になったそうだ。また父の左近大夫(斎藤道三)はその主家を討ち殺し職を奪い斎藤を名乗り・・・(以下、道三と義龍の非道ぶりが続く)」すなわち斎藤道三の「国盗り」は親子2代にわたる事業だったということだ。「悪行」はさらに輪をかけて大きくなっていく実例です。(笑) 永禄年間は六角家にとっては激動の時期で、承禎の子である義治(義弼)が家督だった永禄六年の後藤賢豊暗殺に端を発した家臣団との対立があり、そこから発展して成立したという六角氏式目制定に伴う家臣団の永禄十年四月十八日起請文は注目できる。永禄十一年には足利義昭を奉じた織田信長の上洛作戦がはじまり、甲賀逃亡というお決まりのパターンから戦国大名としては没落していくのであるが、収載文書としては信長との執念ともいえる戦い関連が多くを占めていく。全国的な信長包囲網構築に関係していたと思われ、朝倉義景・上杉謙信・本願寺顕如・穴山信君・吉川元春・小早川隆景などといった名だたる戦国武将とのやり取りが興味深い。 年未詳の第1201号文書は、今や秀吉のお伽衆として過ごす六角承禎だが、かつて家臣が四散する中で甲賀籠城の折に最後まで行動を共にした山中長俊への哀愁漂う書状である。大意「信長との戦いでは朝倉・浅井が滅ぶ中で、佐久間信盛・信栄の大軍を石部城にて迎え打ち、その方は敵を討ち取る功績もあげたが退城を余儀なくされた。自分はその時のことを失念する所だったが、私は齢80になり命もいつまであるかわからない。いま病床に臥しているが(あなたの活躍を)当来後世の契約に改めてこの文書を残しておきます。」名門家没落の悲哀を感じます・・・。 半分、備忘録的な紹介になってしまいました。(笑)時間があればもっとゆっくり古文書に接していたい気分だが、一方で「信長の野望」を六角でやりたくなってしまった。(笑)

Posted by ブクログ

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