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パイプのけむり選集 食 小学館文庫
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パイプのけむり選集 食 小学館文庫

團伊玖磨【著】

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パイプのけむり選集 食 小学館文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 小学館
発売年月日 2009/05/07
JAN 9784094083903

パイプのけむり選集 食

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商品レビュー

3.9

7件のお客様レビュー

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2020/07/02

團さんの食べ物エッセイ、他のアンソロジーで度々見かけて好きだなぁ……と思っていたので、まとめられていたこちらを読みました。 文章にリズムがあって素敵です。そして、世界中の美味しいものがたくさんでした。面白かったです。 「何も努力しない人物に美味しいものは微笑み掛けない」「(中略)...

團さんの食べ物エッセイ、他のアンソロジーで度々見かけて好きだなぁ……と思っていたので、まとめられていたこちらを読みました。 文章にリズムがあって素敵です。そして、世界中の美味しいものがたくさんでした。面白かったです。 「何も努力しない人物に美味しいものは微笑み掛けない」「(中略)要するに食は文化を舌で知る事以外の何物でも無く、……」は至言。 「スパゲッティというものはマカロニの芯」や、「蕎麦はきちんと四角の断面をしているので嚥下するときに食道や胃を切るから殆ど食べない」と思っている(た)のかなりかわいいですし、朝目覚めた途端に「ステュード・ビーフが食べたい」と思ったのでその慾望が満足するまでステュード・ビーフを食べまくるのもかわいい。ステュー浸りを打ち止めた福岡のお店「やまもと」気になりますがまだあるんだろうか。。

Posted by ブクログ

2017/02/24

図書館で。 色々とおいしそうだなぁとは思うものの。 東京でフレンチを食べない、と威張るのはいいけどじゃあ東京やら世界の果てのような場所で中国料理を食べるのはいいのか?(笑)なんかちょっと違う気がする。 團さんが中国料理を重く見るのは九州の出身だからかなぁ。九州と中国って近いものな...

図書館で。 色々とおいしそうだなぁとは思うものの。 東京でフレンチを食べない、と威張るのはいいけどじゃあ東京やら世界の果てのような場所で中国料理を食べるのはいいのか?(笑)なんかちょっと違う気がする。 團さんが中国料理を重く見るのは九州の出身だからかなぁ。九州と中国って近いものな。 個人的にはどこの料理も美味しいと思うしそりゃあ現地で現地の料理が食べられれば一番だろうけれども海外まで足を延ばすのが面倒な出不精にしてみれば日本に居ながら色々な国の料理が食べられることは単純に嬉しいなぁ。 それにしても全然古さを感じない文章には確かに驚かされます。そしてハイカラだなぁとも。私の子供の頃、アボカドなんて近所のスーパーで売ってなかったものなぁ… そう言う意味では世界は狭くなった気がしますね。まだまだ遠い国も沢山あるとは思うけれども。

Posted by ブクログ

2011/02/27

 『パイプのけむり』を読むのは30ウン年ぶりのことだ。  当時は、随筆・エッセイのコーナーにずらりと並んだ『パイプのけむり』のシリーズを立ち読みするのが一番の楽しみであった。何十冊続いたシリーズだっただろうか、『またパイプのけむり』の次が『またまたパイプのけむり』だったり、つぎ...

 『パイプのけむり』を読むのは30ウン年ぶりのことだ。  当時は、随筆・エッセイのコーナーにずらりと並んだ『パイプのけむり』のシリーズを立ち読みするのが一番の楽しみであった。何十冊続いたシリーズだっただろうか、『またパイプのけむり』の次が『またまたパイプのけむり』だったり、つぎは『まだまだ』だったり、タイトルからしてすでに団さんの機智が溢れていた。  田舎の中学生であった私は、ふむふむ都会のセンスとはこういうものなのか、なるほど大人のユーモアとはこうしたものなのであるのか、と乾いた畑に水がしみこむように吸収した。読み返してみて、長らく気づかずにいたその事を思い出した。私の文章の書き方、スピーチの仕方は間違いなく子供の頃読んだ団さんのエッセイに強く影響されている。ただ、「おやじギャグ」とか言われて下品なジョークと十把ひとからげに、若い部下たちにはスルーされてしまうこの頃ではあるけれど。(お前らにはユーモアの上品も下品も区別はつくまい・・・オヤジの呟き)  「薬研堀」と題された一文がある。  「薬研堀」と記して「やげんぼり」と読むのだが、30年前に団さんは一切注釈せずに「味噌汁が真っ赤になるくらい薬研堀を振り入れ」という具合に記している。子供だった私にそれが七味唐辛子の別称だということが解っていたはずはない。東日本橋駅のすぐ裏の、今は中央区東日本橋になってしまった辺りをうろうろ歩いていて、そこの旧町名が「薬研堀」であったということ、それが隣接する堀の名にちなんでいることなどを記した由来書きをたまたま読んだが、それはつい昨年のことだ。それからやはり大人になってからだが、何年か前には、かつて薬研堀にあった江戸期以来何百年という七味唐辛子の老舗が、ヤゲンボリといえば七味唐辛子のことというぐらい評判であったことを新聞の老舗特集で読んでいた。八丁堀と言えば八丁堀同心のことをさすのと同様に、そうなのかナルホドと感心したものだ。  文章の洒脱さ、読みやすさ、面白さは今読み返してもいささかも色あせて見えない。逆に読む側の自分が30有余年を経て、同じものを読んでも全く異なる感慨と味わいが沁み込んでくる実感が今はある。灌漑用水がでこぼこな荒地に沁み込むのと同様に、人生の年輪だなどとかっこいいものじゃなくて、紆余曲折の人生でできた無数の心のひだのひと筋ひとすじに、じんわりと沁み込んで来る感じである。  檀ふみさんが解説を書いている。その中で草野心平が団さんに伝授した「草野粥」なる料理を紹介した一文をとりあげている。ふみさんの父檀一雄はやはり団さんとも草野心平とも親交があり、それゆえか檀家には「心平粥」なる粥が伝わっていると言う。いうまでもなく団家の草野粥と檀家の心平粥は同一のものだ。団だの檀だのとややこしい状況をふみさんは「ダン違い」だなどとオヤジギャグさながらの駄洒落で書いているが、これと全くおんなじ駄洒落、私も檀一雄の『暖流クッキング』のレビューを書くとき使っています、使ってますケドそれが何か。(若い子風に言って見ました)。 草野心平の何たるかを知ったのも、彼の出身地である福島に赴任していた時代にだった。  つい昨年の夏、檀一雄が晩年を過した能古島を訪れた。やはり無類の料理好きだったその男を偲んでプロパンガスボンベの取っ手に触れてみたりもした。そんな私には解説を読んでさえもじんわりときてしまうカンガイがやっぱりある。  ふみさんは、草野粥のエピソードや件の駄洒落以外には、2001年に亡くなられた団さんの死について、残念だとも何とも触れてはおられない。  そもそもこの文庫本の裏表紙にある著者略歴にも、「1924年生まれ」とは記されているが没年は書かれていない。物故作家の没後に発行された本として異例な書き方じゃないかと思う。  解説文も著者略歴も蘇州で客死したことはもちろん、亡くなれている事自体に一言も触れていない。なぜだろうか。だがそのことは不自然というよりも、私にはなんとなくだが解るような気がする。  『パイプのけむり』と団伊玖磨はまだまだ生き続けていると言いたいのではないだろうか。  この本の編集者にとって、解説者の団ふみさんにとって。  そして言うまでもないことだが、私というオヤジの中で、 『パイプのけむり』は「まだまだ」否、「まだまだまだ」生き続けている。

Posted by ブクログ

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