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少年少女日本文学館 21世紀版(9) 伊豆の踊子・泣虫小僧
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 2009/03/02 |
JAN | 9784062826594 |
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少年少女日本文学館 21世紀版(9)
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商品レビュー
4.5
2件のお客様レビュー
川端康成の 『掌の小説』を読んでみたかったのですが、手っ取りばやく子供向けの本で読みました。 他に有名な『伊豆の踊子』に『百日堂先生』『掌の小説』は122篇あるうちの9篇だけが収録されてました。 又、林芙美子の『風琴と魚の町』『泣虫小僧』も収録されております。 注釈とイラストで解...
川端康成の 『掌の小説』を読んでみたかったのですが、手っ取りばやく子供向けの本で読みました。 他に有名な『伊豆の踊子』に『百日堂先生』『掌の小説』は122篇あるうちの9篇だけが収録されてました。 又、林芙美子の『風琴と魚の町』『泣虫小僧』も収録されております。 注釈とイラストで解りやすく書かれているのですが何故かスラスラ読めませんでした。 ここでは、川端康成の方だけ触れておきます。 表紙をめくると彼の写真も載ってましたが、眼光鋭く睨みつけるかのような目。小川洋子さんの『からだの美』の中で卓球選手の視線と似ていると表現された通りの目をしてました。なにも言わずジーと見つめられたら、いくら恋人でも怯えてしまいそうですww 少なくとも敵意の有無は確認したいし、さりげない会話のジャブで機嫌ぐらいは知りたいと思います。 作品の中に、どう解釈したらいいのか分からない部分が多くあり上から目線で無責任な感じを受けるのです。 何も書かれていない余白部分から気持ちを察しろと言われても書かれていないのだからそれ以上のことを感じ取ることは果たしていいことなのか感性も環境も違うのだから同じことを考えられるかと言えば難しいと思います。 もし解りあえるというなら、それは心地よい誤解だと思うのですが5階が6階となり、気づかないうちに10階まで上がっていたとしたら心地よさはとうに消えており不安定な不気味さを感じるのではと思うのです。 例えば、師匠が「あいつは気に喰わない」と言ったら弟子はどうするか。同調して気に喰わないと思うところまでは仕方ないとして、始終言われれば、師匠にとって邪魔な奴、さらに敵視して殺してしまえとならないだろうか。上からの言葉はつぶやきであっても指示されたかのように響きます。師匠がそこまで望んでないとしたら気を利かせすぎなのでは。弟子の耳には増幅してそう聴こえるとしたなら言葉を慎重に選び真意を理解できるように余白をなくす責任があると思うのです。 印象に残ったのは『人間の足音』でした。 片足をなくした男が人々の足音を聴く話。都会では人間の装いに依って季節を感じるなか、人間の足が一番美しいのは初夏だと言う男。今ならフリフリのスカートにまだ日に焼けてない太ももが眩しく映る季節だと思いますがこの時代もそんな感じだったのかな? 男は敏感に靴音を聴いていたとか。正確なリズムを刻む足音が一つもなかったとか。そんなことから「人間が二本の足で立って歩くようになったときに、人間の魂の病気が始まったのだから、両足の音が揃わないのは当然かもしれない」と魂の問題にまで発展して彼は納得する。男に寄り添い介護しながら訊いていた妻はなんと思ったのだろうか。 微妙なズレから不協和音が生じていないだろうかと思ってしまう。 この際だから『伊豆の踊り子』についても触れておきます。 踊り子は何を思って無言のまま手を振って見送ったのか。それは恋じゃなく映画を見れなかった事に対する悔しさと嫉妬、何故2人で行ってはいけなかったのかとゆう素朴な疑問だけじゃないかと思うのです。 子供の頃、男子を判別する遊びが流行った事がありました。男はエチ・ケチ・パーの3種類に別れるとゆうもので、花占いのように消去法で判別する遊びですが、はぐりが良い学生さんとゆう事ならケチでもパーでもない訳だから残りはエッチな訳で、母親の機転が娘を守りお互い傷付かずの別れかただったので大正解だと思って見てました。
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少年少女向きだが、明治から昭和の著名な作家の短編を手っ取り早く読めるので。それに、解説が詳しい。図も親切。まさに国語の教科書です。 そのシリーズの中でもこの本を選んだのは、林芙美子さんの短編が入っているから。川端康成さんのも読んだけれど、今回は林芙美子さんの作品についてのレビ...
少年少女向きだが、明治から昭和の著名な作家の短編を手っ取り早く読めるので。それに、解説が詳しい。図も親切。まさに国語の教科書です。 そのシリーズの中でもこの本を選んだのは、林芙美子さんの短編が入っているから。川端康成さんのも読んだけれど、今回は林芙美子さんの作品についてのレビューだけ。 『風琴と魚の町』 父は風琴を鳴らすことが上手であった。 私は、冒頭のこの一文だけで、もう心を掴まれてしまった。〈風琴〉なんて詩的な言葉なのだろう!林芙美子さんの作った言葉ではないけれど。ところで〈風琴〉って何? 流石この本には、ちゃんと挿絵がついてます。アコーディオンのことです。 林芙美子さんの幼年時代のことを元に書かれているようです。お父さんは行商人で、軍服姿で風琴を鳴らしながら薬の効き目を面白く語り、薬を売り歩いていたそうです。そして、あちらの町、こちらの町へと汽車で旅をしていたそうです。 蜿蜒とした汀を汽車は這っている。動かない海と、屹立した雲の景色は十四才の私の眼に壁のように照り輝いていた。その春の海を囲んで、たくさん、日の丸の旗を掲げた町があった。……… 「この町は、祭りでもあるらしい、降りてみんかやのう」……… 「ほんとに、綺麗な町じゃ、まだ陽が高いけに、降りて弁当の代でも稼ぎまっせ」 で、私達三人は、各々の荷物を肩に背負って、日の丸の旗のヒラヒラした海辺の町へ降りた。 そうして、気の向くまま、まさこ(主人公の名)の一家は、尾道の町に降りたのです。お父さんが早速、風琴を鳴らしながら、坂になった町のほうへ上がっていく間、まさこは辛子蓮根の天ぷらを一つ買ってもらって、お母さんと分け合って食べました。章魚(たこ)の足の天ぷらも食べたいと言うと、貧乏だから買えないと、お母さんにビンタされてしまいます。 それでも、一日目の商売は上手く行って、三人でうどんを食べに行きます。自分のうどんにだけ、油揚げが入っていることに気づき、その一片をお父さんの丼の中に入れてあげます。 夜、旅館の布団に入ってから、両親がまさこのことを 「背丈が伸びる頃ちゅうて、あぎゃん食いたかものじゃろうかなァ」 「早う、きまって飯が食えるようにならな、何か、よか仕事はなかじゃろうか。」 「あれも、本ばよう読みよるで、どこか決まったりゃ、学校さ上げてやりたか」 と話しているのを聞き、こっそりと布団の中で涙を流します。 因みに、わたしも一人っ子。両親は自営業だった。こんなに貧しくはなかったけれど、苦労していた両親の背中を見ていたし、家族三人肩を寄せ合って暮らしていた感があったので、まさこ一家の様子は沁みます。 商売が割と上手く行き、両親は尾道にしばらく居つくことを決め、お父さんはまさこを学校に連れていきます。 学校では校庭に綺麗な花が沢山咲いていて、それを見るのは嬉しかったけれど、行商人の子だと言って苛められるので、次第に学校へ行くふりをしてさぼるようになります。 一方、お父さんのほうは、次第に商売が上手くいかなくなり、次に始めた化粧水の商売のほうは最初上手く行ったが、商品がインチキだと分かり(仕入れ元が悪いのだが)、警察に捕まってしまいます。 子供が親のそんな姿を見るのは堪らなく切ないです。 『泣虫小僧』 主人公、啓吉の父は亡くなり、母親が新しい男の人と会うたびに、啓吉は母の妹達の家へ預けられます。母も貧乏ですが、妹達も売れない作家や売れない画家と結婚しているため、みんな貧乏で、預けられるたびに、四人の叔母の家をたらい回しにされます。それでも、お母さんが好きなのに、ある日とうとう、お母さんは、啓吉の学校に来て「これから、お母さんは礼子(妹)と九州に行かなければならないから、あなたは暫く伯母さんの所に行ってなさい」と行って、叔母への手紙を持たせて、啓吉を置き去りにして、妹だけを連れて、新しい男の所へ行ってしまいます。 なんて切ないんだ!これを少年少女向きの本に載せるか? しかし、大人というより男と女であるという現実から目を逸らさず、そしてそのことをはっきり理解して、それでも母を愛している少年の姿をくっきり描いている。そして、少年が聞いていることも憚らず、「こんな子預けて、姉さんは勝手よ。」という叔母の言葉や「あんたなんか、本当にお父さんのお墓の中へでも行ってしまうといいんだよ」という、虐待とも言える母の言葉をズケズケ書いている。それが虐待だ、問題だという今の繊細な正しい世の中の本より、林芙美子さんの書くものは人間のドロドロした生き方をありのまま書くことによって、切なさとか、そのドロドロの下にある、本人も気づかない愛情とかを感じさせられる。 私には林芙美子さんの文章が感性に響くらしく、いつも心を掴まれる。
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