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街道をゆく 新装版(27) 因幡・伯耆のみち・檮原街道 朝日文庫

司馬遼太郎【著】

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 朝日新聞出版
発売年月日 2009/02/28
JAN 9784022644800

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商品レビュー

3.6

9件のお客様レビュー

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2023/12/07

来年、雪が解けたら因幡から出雲の国を旅しようと考えながら読みました。夏泊、投入堂、大山へも行ったことがあり、懐かし思いがしました。 四国・高知の竜馬脱藩の道も辿ってみたいです!

Posted by ブクログ

2023/09/25

この歳になって司馬遼太郎を1冊も読んでないのもどうなのかと思って街道をゆくを読み始めて27冊まで来ましたが、そろそろ読むのがつらくなってきました。 鳥取藩についてまるで250年間何もしてなかったかのように書かれてますが、そこまで酷くはないだろうと思ったり、単に明治維新後の鳥取から...

この歳になって司馬遼太郎を1冊も読んでないのもどうなのかと思って街道をゆくを読み始めて27冊まで来ましたが、そろそろ読むのがつらくなってきました。 鳥取藩についてまるで250年間何もしてなかったかのように書かれてますが、そこまで酷くはないだろうと思ったり、単に明治維新後の鳥取から逆算して見てないかと思ったり、とにかく引っかかるようになりました。 本書が執筆されたのは1985年ごろで40年近く前なので、私も40年間の歴史学の進歩をベースに批判しているところがあるのは確かなのですが……。

Posted by ブクログ

2023/07/02
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

以下引用~ ・大正末年、柳宗悦によって提唱され、実践された民芸運動は、千利休の美学とともに、日本文化史の独創面を代表するものだろう。 「民芸」 ということばそのものが、誤差なく欧米語に訳し難いそうである。 宗悦はその目で、日本の日用の雑器をながめ直した。美の意識ではなく「用」の意識が、時に無作為の美を生みだしていることを知った。 鳥取県の場合、地域としてその思想を、他の場合のように通俗に堕ちることなく清らかに定着させている数少ない県といっていい。 ・七世紀になって一大異変がおこった。 大規模な戦争もなく、また革命思想の普及もないままの異変だった。大王(豪族)たちの一つである大和の大王の手で、中国の国家体制(律令制)がとり入れられた。 このことは、明治初年の版籍奉還・廃藩置県をおもわせる。 二つの異変に共通する理由のすべて(と言い切っていい)は、外圧による。さらに正確にいえば、外圧についてのこの島国のひとびとの過敏感覚によるといってもよく、もっと的確にいえば、危機感覚の過剰さともいえる。 「統一国家をつくらねば日本はほろびる」という感覚である。 7世紀の異変は、大地を盛り上げるようにして出現した隋・唐という統一帝国からの被圧迫感覚によるものであった。 ・亀井氏十一代の歴世みな藩政に熱心で、山野をよく拓き、また製紙などの産業に力を入れ、小さな山間の盆地の津和野を近在の商業の中心地に仕立てあげた。江戸後期は、漢学のほかに国学と洋学がさかんで、その果実が、明治の西周や森鴎外だったといえる。 ついでながら、私どもがいまつかっている明治製の西洋語の対訳としての日本語の造語には、このふたりの津和野人に負うところが多いといえる。 ・日本は漁業国といわれるが、明治以前、この技術については、地域によって高低があった。他を圧してすぐれていたのは、紀州であった。 紀州の漁師と勝負したい。 と、ヘミングウェイが、晩年、洩らしていたというはなしをきいたことがある。 ・平安時代のある時期から、畿内の公田から逃亡した者の多くがはるかに関東へゆきそれが流行のようになった。関東はまだ大規模に未開の原野がのこっていて、いくつかの水系に、雑多な出身の者がとりついて鍬をふるい、灌漑土木をおこして水田をつくりつつあった。 浮浪人たちはその労働力としてみずからを売ったり、あるいは開墾主になったりした。それが平安末期に武士化し、やがて源頼朝を擁して、土地の私有権を大原則としてかかげる鎌倉幕府をつくるにいたるのである。 ・「土佐人の屍体は、薩摩のイモ畑のこやしになり、長州のミカン畑のこやしになった」とよくいわれる。 薩長に果実を食べさせた、ということである。 ・私どもの神々は、もとはシベリアのバイカル湖畔のあたりでおこったものなのである。そこには、ツングース人の男(女もいた)のシャーマン(巫人)が、単数もしくは複数の楽器を用い、さかんに舞踏してついちは憑依状態におちいって、戦慄する。そういうシャーマニズムとよばれるものが、はるか南下して日本列島に入った。

Posted by ブクログ

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