- 中古
- 書籍
- 文庫
- 1224-26-01
比島から巣鴨へ 日本軍部の歩んだ道と一軍人の運命 中公文庫
定価 ¥775
715円 定価より60円(7%)おトク
獲得ポイント6P
在庫なし
発送時期 1~5日以内に発送
商品詳細
| 内容紹介 | |
|---|---|
| 販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
| 発売年月日 | 2008/12/20 |
| JAN | 9784122051003 |
- 書籍
- 文庫
比島から巣鴨へ
商品が入荷した店舗:0店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
オンラインストア上の価格と店頭価格は異なります
お電話やお問い合わせフォームでの在庫確認、お客様宅への発送やお取り置き・お取り寄せは行っておりません
比島から巣鴨へ
¥715
在庫なし
商品レビュー
4.2
5件のお客様レビュー
まだ途中。非常に興味深く読む。 日米開戦を極力避けようとした場面が多々出てくる。何度かチャンスはあったようだ。 開戦に至るまでの状況がつぶさに見てとれる。 1941年時系列 4月 日米諒解案 松岡外相反対? 5月 日本政府に反対派ありアメリカからの疑念表明 6月 独ソ戦 7月中...
まだ途中。非常に興味深く読む。 日米開戦を極力避けようとした場面が多々出てくる。何度かチャンスはあったようだ。 開戦に至るまでの状況がつぶさに見てとれる。 1941年時系列 4月 日米諒解案 松岡外相反対? 5月 日本政府に反対派ありアメリカからの疑念表明 6月 独ソ戦 7月中 近衛内閣総辞職同時に第三次近衛内閣結成 外相 豊田海軍大将(松岡外相外し) 7月末 仏印侵攻 米英資金凍結 8月初 近衛総理直接交渉しようとするが流れる 8月中 全面的石油禁止 この頃日米交渉の内容が新聞に勝手に出る 9月6日御前会議 10月上旬に目処なき場合は対米英戦争を決定する旨が決まる 10月上旬 近衛内閣、外務陸海軍大臣と相談するが 海軍は総理に一任すると逃げる。なぜ反対を表明しないのか?武藤疑念を表す。 10月中旬 第三次近衛内閣総辞職 東條内閣結成 外相東郷大臣 10月下旬 p72東郷外務大臣による対米交渉案がでた。 陸軍杉山参謀総長塚田参謀次長は断固反対。 武藤章説得。 11月11日ルーズベルト参戦を辞せずと表明 11月26日ハル長官の書面 米国に一杯食わされたと武藤憤慨。 12月8日開戦 42年5月近衛師団長としてスマトラ転任 41年6月独ソ戦開始後、7月末の仏印へ侵攻が最大のターゲットポイントのように思われる。 この時期に米英は態度を硬化させる。 その後何をしようが戻らなかったのだろう。 41年10月上旬のp69 の記述は本音であろう。 対米英戦争は海軍が主役でおり、海軍が出来ないと言ってくれれば、陸軍は逆立しても出来ない。それを反対でなく近衛総理に一任とした外務大臣豊田海軍大将と海軍大臣及川海軍大将の二人の態度は奇怪。 日米開戦に対して海軍がなぜ反対の立場をとらなかったのか?陸軍と海軍の綱引きもあったかもしれないが国政を司るものとしてあまりにもお粗末。 結局日本は戦争に突き進み敗戦し310万の死者を出す。この責任は戦争に突き進んだ陸軍にあるが海軍にも大いに責任はあるとしている。 武藤は東京裁判で陸軍軍務局長としての戦争責任を追求され死刑を求刑される。参謀長の死刑判決は異例。同じ海軍の岡軍務局長は終身刑。 戦争回避に紛争していたのにであり、東條と意見が合わずスマトラ転任させられているのにである。体制側の一員として見せしめにスケープゴードされたのだろうが、そうであれば武藤のような対米戦反対論者に死刑を判決した東京裁判には大いに疑念が残る。 但し、ここには記載されていないが支那事変には武藤は積極であった。石原莞爾とは反対に対中国強硬政策による師団派遣実施を主張。しかし後年日中戦争が解決されない状況から「やっぱり石原さんの云った通りであった」と吐露したという。だからこそ、泥沼化した日中戦争をかかえた対米戦は極力避けたかったのだろう。 マニラの戦い 1945年米軍のマニラ攻撃に対しての行動。 山下奉文(第14方面軍司令官)は、マニラ市街戦による市民被害と無駄な消耗を避けるため、**「市街から撤退し山岳地帯で持久戦」**という方針を立てていた。 しかし、マニラに駐留していた日本海軍陸戦隊(第31特別根拠地隊)や一部陸軍部隊は、山下の命令を無視して市内に立てこもり、徹底抗戦を選んだ。 ここにも陸海軍間の対立、通信不備、また「撤退は許されぬ」という日本軍特有の精神主義がある。この戦いによりマニラ市民は多くの犠牲者を発生した。 日本軍による虐殺(マニラ大虐殺) 米軍の砲撃空爆 海軍部隊や一部陸軍部隊が、市民を「敵の協力者」「反乱予備軍」とみなし、無差別に処刑・虐殺。 教会や学校、病院に逃げ込んだ人々を銃撃・火炎放射。女性への性的暴行も多数報告されています。 犠牲者は推定5万〜10万人。広島長崎の原爆被害に匹敵する。 武藤の手記では山下と共に山岳地帯での持久戦の模様が描かれている。 東京裁判では武藤はマニラ戦争の責任を取らされて死刑を宣告されるが、岩淵少将ならびに海軍陸戦隊は山下大将の命令を無視した行動であり岩淵の命令違反と言える。もしその責任を問うのであれば武藤でなく海軍の指揮官にある海軍岩淵少将(戦闘中に自決)か、その上司大河内伝七中将(南西方面司令長官)栗田健男中将(海軍)、豊田副武中将(連合艦隊)こそが、理論上は現場指揮責任を問われる立場にあり、山下大将ならびに武藤章陸軍中将ではなかったと言っても過言ではないと思う。
Posted by 
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
[ 内容 ] 石原完爾に認められ関東軍参謀として中国戦線を指導したのち、陸軍軍務局長として日米交渉を担当。 戦争末期には南方に派遣されフィリピンで終戦。 東京裁判で死刑判決を受けた武藤章が、自身の生い立ちから絞首刑に処されるまでの日々を克明に綴った手記。 [ 目次 ] 経歴の素描(予の生立;中小尉時代;教育総監部時代;参謀勤務時代;軍務局長時代―日米交渉から太平洋戦争へ;師団長時代―スマトラ警備;比島第十四方面軍参謀長時代―山下大将とともに;結言) 比島戦の実相(レイテ作戦;ルソン作戦;終戦) 巣鴨日記(1)判決を待つ間 巣鴨日記(2)判決の後 被死刑宣告者の手記 [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
Posted by 
極東国際軍事裁判(俗にいう東京裁判)で絞首刑になった、武藤章・帝国陸軍中将による、先の大戦の回顧録と獄中記。本書に掲載されている内容は、著者が第14方面軍参謀長として終戦を迎えたのち、巣鴨プリズンに収監中に書かれたものである。獄中において、満足な調査ができず、資料も皆無な中、これ...
極東国際軍事裁判(俗にいう東京裁判)で絞首刑になった、武藤章・帝国陸軍中将による、先の大戦の回顧録と獄中記。本書に掲載されている内容は、著者が第14方面軍参謀長として終戦を迎えたのち、巣鴨プリズンに収監中に書かれたものである。獄中において、満足な調査ができず、資料も皆無な中、これだけの文章を書きあげるとは、並外れた教養と思考力の持ち主だと言わざるを得ない。著者による当時の国際情勢分析や、太平洋戦争に対する考え方は、当時の日本国民よりも、よほど現代人の感覚に近いのではないかと思う(彼は対米開戦には一貫して反対だったし、サイパンが陥落した時点で「戦争は負けた」と語っている)。決して精神論に走ったり、空気に流されるような軍人ではなく、冷静沈着な戦略家という印象を受けた。なぜこの人が死罪になったのか、本書を読む限りではよく分からない(近現代史の研究者の間でも見解が分かれる)。東条英機は、武藤に死罪判決が出るとは思っていなかったみたいだし、武藤の獄中記からも、東京裁判の途中までは終身刑程度だろうと考えていたフシが伺える。結局、著者の類まれなる才能が絞首刑を招いてしまったのだろうと思うしかない。(私は、「参謀」という役職の魅力は、作戦の結果責任を問われないことだと思っているので、武藤中将の極刑は「話が違うではないか!」と感じてしまう。もっとも、大本営の「参謀」はおそらくみんな生き残っているので、少数の例外にこだわる必要はないのかも。) ※本書は、本人以外の誰も読まない「日記」としての性質をもつと同時に、米軍に「検閲」されることを分かった上で書かれた側面もあり、記述内容を100%鵜呑みにすることはできない。それでも、先の大戦における帝国陸軍の内部事情を詳細に記した第一級の史料とされている。
Posted by 
