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直江兼続の義と愛

火坂雅志【著】

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 日本放送出版協会
発売年月日 2008/11/13
JAN 9784140055564

直江兼続の義と愛

¥110

商品レビュー

3.7

3件のお客様レビュー

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2015/01/19
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※このレビューにはネタバレを含みます

大河ドラマ「天地人」の放映に合わせて、作者火坂氏が出版された本。 直江兼続が影響を受けた人物、影響を及ぼした人物の項目を通して、彼の人生が分かりやすくまとめてある。 内容量は少ないので、さらりと読める。 心に響いたのは、上杉景勝の筋の通し方と兼続との相思相愛の関係。 この主従の気持ちが行き違ったのはただ一度。 関ヶ原合戦で討伐に向かってきていた家康軍が、石田光成挙兵に応じて引き返すを受けて、追撃を掲げた兼続と義にもとると退けた景勝。 兼続が目指したのは、義に基づく泰平。そのためには、理想を捨てることも必要。それに対し、景勝が目指したのは義そのもの。 行き違って、その結果、上杉家は約1/4に減俸されることとなるが、「ほれ、見たことか」と言わず、それでも上杉家の存続のために自らの嫡男を排し、時の家康側の大老の息子を養子に取り、自分の血筋を絶ってまで(結局絶たずに済む)主家を守ろうとする。 この主従愛には、感動を覚えました。 また、主人は主人で、減俸を受けて、「武名の衰運、今において驚くべきにあらず」つまり、覚悟の上で義を選ぶ行動をとっていたということ。 潔い。。。。なかなかできないよ。 無口で、一度しか部下の前で笑わなかったという景勝。でも、かっこいい。 さらに、兼続は、1/4になった減俸では家臣団の減俸も14になるはずなのに、自らの取り扶持を減らし、治世を行う事で、他を1/3にするだけで押さえた。 火坂さんが、兼続に惚れた理由も分かる一冊でした。

Posted by ブクログ

2011/05/20

直江兼続とそれに関わった人たちについて天地人の原作者が語った歴史エッセイです。 知っていることは多いのですが、改めて読むと楽しかったです。

Posted by ブクログ

2009/04/04

(2009.03.12読了) 現在放映中のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公、直江兼続について、原作者があれこれ考察した本だと思ったのですが、直江兼続の関係者と直江兼続の関係についてあれこれ考察した本でした。 登場する関係者は、樋口惣右衛門(兼続の父)、お船(兼続の妻)、上杉三郎...

(2009.03.12読了) 現在放映中のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公、直江兼続について、原作者があれこれ考察した本だと思ったのですが、直江兼続の関係者と直江兼続の関係についてあれこれ考察した本でした。 登場する関係者は、樋口惣右衛門(兼続の父)、お船(兼続の妻)、上杉三郎景虎(主君景勝のライバル)、上杉景勝(兼続の主君)、大谷吉継(秀吉の家来)、真田幸村(真田家からの人質として春日山城で一年過ごした)、石田三成(秀吉の家来)、前田慶次郎(前田利家の兄、利久の養子)、大国実頼(兼続の弟)、本多政重(家康の家臣、本多正信の二男)、の10人です。最後に、「直江兼続の義と愛」という章があり、兼続にとっての義と愛を考察しています。 ●上杉三郎景虎 小田原北条氏の北条氏康の七男として生まれました。 北条氏康が上杉謙信と手を結んだ時に、人質として越後春日山城にやってきた。 上杉謙信は、人質として扱わずに、自分の養子とし景虎の名を与えた。 謙信にはもう一人養子がいた。謙信の姉の子の景勝である。 謙信は、二人の養子のどちらを跡継ぎにするか定めぬまま亡くなった。 火坂氏は、「謙信は越後国主の座を景勝に、関東管領職を景虎に継承させようと思っていたのではないか」と推測しています。(49頁) ●景勝の父、長尾政景 1564年、坂戸城下の野尻の池で舟遊びの最中、長尾政景は重臣の下平修理吉長に襲われて不慮の死を遂げた。取っ組み合いになった二人は、そのまま舟の上から水中に転落した。下平修理は溺死。水練の達者な政景は、傷つきながらも岸辺に泳ぎ着いたが、待ち受けていた修理の家臣たちに囲まれ、槍で突き殺された。(64頁) (大河ドラマとちょっと違います。) ●大谷吉継 秀吉が、小田原の北条を攻めて、滅亡させた後、吉継は、秀吉から、「上杉景勝とともに、出羽の検地にあたれ」と命じられた。 このとき、吉継は、謙信から受け継がれた上杉家の義の精神を学んだ。 ●前田慶次郎 火坂氏は、前田慶次郎と直江兼続の出会いを1590年の小田原北条攻めのころと推測している。このとき、慶次郎58歳、兼続31歳。兼続は、慶次郎より27歳若い。 慶次郎が、60歳を過ぎたころ上杉家(会津若松城)に仕官した。 徳川家康が、上杉征伐に向かってきているときに、大阪では、石田三成が挙兵したために、家康は、上杉と闘わず引き返した。 上杉勢は、家康を追撃せず、出羽山形の最上義光の領内へ攻め込む。決着がつく前に、関ヶ原で、西軍が負けたという知らせが届く。上杉軍は、引き揚げにかかる。しんがりは、兼続が務めたが、戦ううちに、もはやこれまでと、自刃を決意した時、思いとどまらせたのは、慶次郎であった。慶次郎は奮戦し、兼続も慶次郎も生き延びた。 ●兼続の愛 兼続の兜の前立てに「愛」の一文字が使われている。この愛は何を意味するのか。 二つの説がある。 一つは、軍神説で、愛宕大権現、もしくは愛染明王から「愛」の一文字をとった。 もう一つが、愛民、仁愛説。 軍神説が有力で、火坂氏も軍神説を有力と見ていたが、今は、仁愛説に傾いている。 根拠は、謙信の言葉、 「大将の根底とするところは、仁義礼智信の五を規とし、仁愛をもって衆人を憐れみ・・・」 もう一つは、「愛」の軍旗。縦に長い軍旗で、「刀八毘沙門」の旗と並び上杉の本陣に翻っていた。愛宕大権現、もしくは愛染明王を意味するなら「愛」一文字は、あり得ない。 (2009年3月16日・記)

Posted by ブクログ

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