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ブヴァールとペキュシェ(下) 岩波文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 岩波書店 |
発売年月日 | 1988/01/01 |
JAN | 9784003253892 |
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ブヴァールとペキュシェ(下)
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19世紀フランスの作家フローベール(1821-1880)の最後の長編小説。彼の死によって未完の絶筆となった。作家の死後1881年刊行。 写字生だった二人の中年男ブヴァールとペキュシェが、年金を得て隠遁生活に入り、様々な学問に軽々と熱中しに行きじきに幻滅しやがて倦怠し、そして別...
19世紀フランスの作家フローベール(1821-1880)の最後の長編小説。彼の死によって未完の絶筆となった。作家の死後1881年刊行。 写字生だった二人の中年男ブヴァールとペキュシェが、年金を得て隠遁生活に入り、様々な学問に軽々と熱中しに行きじきに幻滅しやがて倦怠し、そして別の学問へと次々に興味が駆られていく。その分野たるや、園芸学、農学、化学、衛生学、医学、解剖学、地質学、考古学、歴史学、文学、美学、政治哲学、経済学、体操、催眠術、磁気療法、降霊術、形而上学、心理学、論理学、倫理、自殺法、神学、神秘思想、骨相学、教育学・・・。フローベールの草案によると、物語の最後には、二人の男は元の写字生に戻ることになる。そして本書を第一巻とし、写字生となった二人の書いたものという設定でかの『紋切型辞典』を第二巻として組み込む構想であったようだ。以てフローベールの意図したこととは何か。 紋切型辞典を包含する予定であった本書は、云わば反語的事典・反語的百科全書・反語的ファウストの様相を呈している。万象が平板化され並列に書き連ねられ続けている物語、その間に何らの本質的連関も無く、商品の陳列台のようだ――糸につるされて意味論的ヒエラルキーのうちに配置されていた万物が、あるときその糸が断ち切れ、土の上に散乱している態。だからこの小説には「時間」という相が無い、事物がただただ並び連ねられているだけであるから。 本作執筆に参照を要した1500冊以上の書物から抽き出されてきた、知識のその無方向な羅列は、即自的でしか在り得ないところのガラクタの無作為な散乱に如かず。万象を即物的に無意味に配列することを以て描き出されたのは、近代ブルジョア文化の出口無しの無内実=虚無だ。何者かに幻滅し別の何者かへ、この無際限の運動。万象に対する、自己自身に対する、不可避的に予定されてしまっている幻滅。語るに値することなど、もう無くなってしまったのだ。まさに本作品は、"虚無への供物"というほかない。 超越は、超越であるがゆえにこそ、内在へと転位しないではいない。そういう時代精神なのだ。 作家フローベールが感知せずにはいられなかった深甚なる虚無、近代ブルジョア文化が必然的に到り着かずにはいなかったニヒリズムの深淵。近代ブルジョア文化の虚無は、即物に溢れ、駄弁喧しく、そうであったればこそ何者でもないのだ――万学に対して中途半端なディレッタントであり何者かたり得ない、主人公二人の姿は象徴的だ。そうした時代精神が、フローベールに所謂「写実主義」と呼ばれる文体を選ばしめ、『ボヴァリー夫人』を、本作を、書かしめたのだ。 「芝居とて一般の消耗品と何ら選ぶところは無い。パリ製品の部類に属する」 「万事は労働者風情の酩酊以外の何ものでもなくなるだろう」 「死の観念が二人を捉えた。・・・。/・・・、我々の行く手にひろがっている虚無も、我々の背後にある虚無以上に恐ろしいものではないのだ。/・・・。[死による虚無は]よしんば、どんなものにしたところで、この希望のない、退屈な、馬鹿らしい生活よりはましである」 同時代の時代精神、ドイツのニーチェ(1844-1900)、ロシアのドストエフスキー(1821-1881)が感受せずにはおれなかったがゆえに真正面から対峙することとなった現代ニヒリズムが、フランスのフローベールの内にも確かに共振しているのを感じる。
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