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CITY

アレッサンドロ・バリッコ(著者), 草皆伸子(訳者)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 白水社
発売年月日 2002/01/10
JAN 9784560047415

CITY

¥220

商品レビュー

5

3件のお客様レビュー

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2019/02/01

バリッコ3作目。翻訳者が解説でも触れているように、なかなかに読みづらい作品で、ところどころ、集中力がもたなくなった。でも大きな流れがつかめてくると、それなりに抵抗無く読み進められるようになってくる。視点人物がサラッと変わっていたり、作中作と現実世界との行き来も前触れ無くなされたり...

バリッコ3作目。翻訳者が解説でも触れているように、なかなかに読みづらい作品で、ところどころ、集中力がもたなくなった。でも大きな流れがつかめてくると、それなりに抵抗無く読み進められるようになってくる。視点人物がサラッと変わっていたり、作中作と現実世界との行き来も前触れ無くなされたりっていうのも、世界観に身を委ねられるようになってくると、そんなに違和感がなくなってくる。おりにつけ、教授やらそういう人物が、思想やら哲学を延々、改行無くまくしたてるシーンがあって辟易するんだけど、そういうところはまあ流し読み。そういうところにこそ文学的思考の可能性が、っていう意見もありそうだけど、だったら自分、エンタメ的目線からの楽しみだけで十分です。で、そういう観点からは、本作も十分に楽しめる一作でした。

Posted by ブクログ

2009/01/12

普通の生活の中で、何か頭の中の声がいつもうるさいなあ、と思うことの多かった自分は、保坂和志の「カンバセイション・ピース」を読んだ時に、あっ、と思った。素朴に言えばそれは、そうそう、そういう感じなんだよなあ、というものだったのだが、少し形を整えて言葉にするなら、日常の中には実に濃密...

普通の生活の中で、何か頭の中の声がいつもうるさいなあ、と思うことの多かった自分は、保坂和志の「カンバセイション・ピース」を読んだ時に、あっ、と思った。素朴に言えばそれは、そうそう、そういう感じなんだよなあ、というものだったのだが、少し形を整えて言葉にするなら、日常の中には実に濃密なものが詰まっている、という思いである。その感慨は繰り返し繰り返し自分の頭の中で発生し、時には大きな声で叫びたいような衝動を産むこともあるのだけれど、さすがに大人なので、大概はそんな想いにはブレーキを掛けて、冷静さを装うことができる(ああ、今、頭の中をSignのフレーズが流れていった。なんていうように、一つのことを考えていても次々にいろんな声が聞こえてきてしまうのです)。アレッサンドロ・バリッコの「City」を読んで、久し振りにその衝動が我慢しきれない程に大きく襲って来た。 保坂和志が見事に描いて教えてくれたように、一人の人の日常、あるいは物語が、整然と一人称の語りや、ドラマの会話のようにきちんとしたやり取りで進むことはない。そのことに一端気付いてしまうと、同時進行する一つ一つの声が気になって自分は一体何を考えているのだろうかと立ち止まってしまうのだが、現実には全ての声を聞いている時間の深さは人間には用意されていないように思う。「カンバセイション・ピース」は、それをできる限り再現してみせてくれたと思っているのだけれど、やっぱり一つの形に「収め直す」過程で様々な声が切り落とされているのだろうとも思う。そんな単純化があったとしても、やっぱり「カンバセイション・ピース」は凄い小説で、実際にはそんな余裕が無いはずの時間の中にどれだけの脳内活動が、思考が、思いが、あるいは可能性が詰まっているのか、そしてそれを誰しも救い上げることができるかも知れない、という勇気に満ちた本だと思う。 そんな感慨とは少し異なるけれどもバリッコのこの小説でも、その可能性の大きさに感動すら覚えることができる。可能性を探ること、つまりは言葉を重ねることによって逆説的に時間はその分だけ余計に切り取られてしまうのだから、同じ時間内に何かを収めなければならないのならばどこかが切り落とされる。もちろん、そんな切り落としはあるのだが、一つの声から別の声への移行が、まさに日常の中で起こっているかのように描かれ、自然に頭の中で幾つもの声がポリフォニーを生む。その巧みさと、一つの声の広がりの大きさに、大きく心を揺さぶられる。 保坂和志なら柴崎友香でしょう、とその筋の人からは解り易すぎる展開で申し訳ないけれど、柴崎友香も日常を巧みに描く作家である。しかし彼女の描き方はスティル写真を何枚も重ねていくような、静、を感じさせれるものであるのに対して、保坂和志の日常からは、動、というイメージが湧く。それはより直接的に、日常を見るモノの視点を所有する側の中で起きている活動が反映されたものなのだが(誤解の無いように言えば、柴崎友香の小説でも結局は彼女の視線の先には視線の所有者が見えてくるのであるけれども)、バリッコのこの小説は、その動のイメージを更に先に一歩踏み出したような小説であるように思う。比喩ばかり重ねることになるけれども、保坂和志、柴崎友香の魅力が単旋律の魅力であるとすれば、バリッコのそれは明らかにポリフォニー的である。 ポリフォニーは、単純に言えば同じ旋律を音の高さと時間をずらして演奏することを基本とするのだけれど、そのずれが単旋律にはない和音を生む。だから、旋律を旋律として聴きながら、同時に生まれてくる和音にも耳を傾けるという二律背反な面白さのある音楽である。バリッコの「City」にはそれがある。 一人の人間の脳の中で起こるめまぐるしいばかりの思いの生起に、一つ一つ丁寧に語り手を付けたらどうなるのか。「City」は、あるいはまたそんな小説であるとも言える。そんな風に喩えてみるとエンデの「はてしない物語」のことを少し思い出すけれど、バリッコはとりあえずすべての物語に「クロージング」を用意する。だからという訳ではないけれども、この本は前半で魅せる、頭の中からガラクタがどんどん外へ出て行って別の形になっていくのを眺めるような爽快感から、後半は一転して、外に放り出したものを一つ一つ飲み込み直さなければならない苦味のような印象へと変化する。 もっともその手際には嫌味もなく、解りきったような大団円ももちろんなく、読むモノとして不快感は覚えない。グリコの謳い文句ではないけれど、一冊の小説の中に幾つもの物語が詰まり、それが見事に配置された本であると思う。

Posted by ブクログ

2006/04/25

登場人物の視点だけじゃなくて、 場面が何のことわりも無しにザッピングしてるみたいに移り変わっていくの・・・ ストーリーの中でも現実、心情、登場人物の作り上げた世界、が交錯していて、コラージュされてるみたい。でも歯切れがいいんです。 著者の言いたいことがちりばめられている...

登場人物の視点だけじゃなくて、 場面が何のことわりも無しにザッピングしてるみたいに移り変わっていくの・・・ ストーリーの中でも現実、心情、登場人物の作り上げた世界、が交錯していて、コラージュされてるみたい。でも歯切れがいいんです。 著者の言いたいことがちりばめられているのかもしれないけど、そのひとつひとつが別々の人間の作ったもののようで、チャンネルが変わるスピードに慣れていたら、読むのが楽しいと思います。

Posted by ブクログ

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