1,800円以上の注文で送料無料

虚構の「近代」 科学人類学は警告する
  • 中古
  • 店舗受取可
  • 書籍
  • 書籍

虚構の「近代」 科学人類学は警告する

ブルーノラトゥール【著】, 川村久美子【訳】

追加する に追加する

虚構の「近代」 科学人類学は警告する

定価 ¥3,520

3,135 定価より385円(10%)おトク

獲得ポイント28P

在庫わずか ご注文はお早めに

発送時期 1~5日以内に発送

店舗受取サービス対応商品

店舗受取なら1点でも送料無料!

店舗到着予定

11/27(水)~12/2(月)

商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 新評論
発売年月日 2008/08/05
JAN 9784794807595

店舗受取サービス
対応商品

店舗受取なら1点でも送料無料!
さらにお買い物で使えるポイントがたまる

店舗到着予定

11/27(水)~12/2(月)

虚構の「近代」

¥3,135

在庫わずか
ご注文はお早めに

カートに追加するカートにいれる

商品レビュー

5

3件のお客様レビュー

レビューを投稿

2021/02/08

本書を読むまで専門知の軽視を危惧して、アカデミアを再び純化する必要があるのではないかという考えを抱いていたが、本書の考えに触れてそこには「近代」の虚構に基づく単純化された社会-科学観があるのではないかということに気付いた。 一方で本書の提示するような準モノへのアプローチが産み出...

本書を読むまで専門知の軽視を危惧して、アカデミアを再び純化する必要があるのではないかという考えを抱いていたが、本書の考えに触れてそこには「近代」の虚構に基づく単純化された社会-科学観があるのではないかということに気付いた。 一方で本書の提示するような準モノへのアプローチが産み出すのはただの混沌とした世界ではないかという懸念や、そこで対話が成り立つのだろうか?という疑問は尽きない。 いずれにしろ、(依然として続く虚構の「近代」の中にある)現代社会について考えるにあたり重要な視点を提供してくれた。 新たな視点と様々な問いが生まれたので星5とする。

Posted by ブクログ

2016/02/11

この本の主題について、平たく言えば、「専門家だけのタコツボ社会では、自然・社会・人文の各分野にまたがるハイブリッドな問題を解決できないから、モノを中心にすえて、みなで語り合おう」ということじゃないかと思う。専門家社会を作り出すのは「近代」の特徴なんだけど、ヨーロッパだって、かつて...

この本の主題について、平たく言えば、「専門家だけのタコツボ社会では、自然・社会・人文の各分野にまたがるハイブリッドな問題を解決できないから、モノを中心にすえて、みなで語り合おう」ということじゃないかと思う。専門家社会を作り出すのは「近代」の特徴なんだけど、ヨーロッパだって、かつて「近代」であったことはないので、思想や哲学で「近代」に自縄自縛されてはならない。むしろ、人やモノを結びつけ、人やモノのネットワークをつなぎなおす「準-モノ」(ラグビーのボールなど)に注目して、モノの中央王国を直視しなくてはならないとする。まあ、アクター・ネットワークというのはこういうことなのだろう。  西洋人が「近代」を疑問視して、「モノ」に期待するのは分かるんだが、「モノ」はそれ事態発言をしないから、モノの解釈権をめぐって闘争することも起こりうるんじゃないかな。古代中国の官僚が天変にことよせて、政敵を批判するようなことである。ラトゥールは科学人類学に可能性をみとめているけど、非近代社会がハイブリッドの増殖を食い止めているシステムについては語っていない。要するに、聖化してタブーにするのであろうが、詳細がほしい。

Posted by ブクログ

2011/11/12

原題は『我々が近代人だったことはなどない---対称性人類学による試論』。近代がなかったことがテーマであるから近代を理解していないと内容がわかるはずがなく、それこそは本当に近代人だったことがないということを理解している証拠なのかもしれない。50年前のコリン・ウィルソンの科学批判が何...

原題は『我々が近代人だったことはなどない---対称性人類学による試論』。近代がなかったことがテーマであるから近代を理解していないと内容がわかるはずがなく、それこそは本当に近代人だったことがないということを理解している証拠なのかもしれない。50年前のコリン・ウィルソンの科学批判が何にそんなに憤ってまわりくどくしつこいのかわからないので無駄に難解に感じるのに似ている印象。 ゲーテがニュートン光学について自然を実験室に隔離して分離するなんてけしからんと憤慨して、晩年に西洋思想史を色彩調和理論に総括したようなことをこの著作が目指していると理解した。そもそも人類が万物の根源について考え始めた頃から哲学と科学は宗教から産み落とされた仲の悪い兄弟のように争ってばかりいる。 宗教の影響を受けない超越的「自然」は実験室でつくりだされたこと、そのなかで「社会」という概念を市民間の契約のみでつくりだしたこと、その果てに「科学」の名のもとに神を不在としたこと。こうした自我を抽象して理論的に創作してきた近代は、人間を包括しえないのだから近代人であった事実など思い込みにすぎない。このまま直線的な垂れ流し発想でいけばお互いを滅亡させあって地球を破壊してしまうから、全体のバランスを対称的に見る発想で科学を人類学の対象として検証する、こんな考え方はどうですか?って内容みたい。

Posted by ブクログ

関連商品

同じジャンルのおすすめ商品

最近チェックした商品