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茨木のり子詩集 現代詩文庫20
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 思潮社 |
発売年月日 | 1969/03/01 |
JAN | 9784783707196 |
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茨木のり子詩集
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10件のお客様レビュー
1969年に初版が発行され、現在に至るまで第30刷を重ねている茨木のり子の詩集。 他の詩集よりもみっちり載せられているので、少々読みづらいがその分多くの詩を楽しめる。 どれも強く優しく生きようと思わせてくれる詩ばかりだが、 自分のいる日本が行った蛮行の被害者をうたった りゅう...
1969年に初版が発行され、現在に至るまで第30刷を重ねている茨木のり子の詩集。 他の詩集よりもみっちり載せられているので、少々読みづらいがその分多くの詩を楽しめる。 どれも強く優しく生きようと思わせてくれる詩ばかりだが、 自分のいる日本が行った蛮行の被害者をうたった りゅうれいえんの話 だけでも買って読む甲斐がある。 こちらも繰り返し読みたくなる詩集であった。
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溌刺とした歌の中にさわやかな批判精神 大阪の十三で生まれた詩人に、”フランスの魂”を愛した茨木のり子がいる。本名三浦のり子。一九二十六年生まれである。 敗戦を境に自立し 詩に心翔かせる 敗戦後の一時期、詩が流行し、誰も彼もが詩を書いて体験や意見を表現した。 「民衆詩という言葉があるが、まさに、民衆が詩によって、新しい時代(民主主義)に心を翔かせたのだ。 茨木のり子もこうした時期(昭25)に詩を書こうと思いたち、師も仲間もないまま、一人コツコツ書きため、紙事情の悪かった戦後に珍しく毎月出ていた詩の雑誌『詩学』に投稿する。 この投稿に際し、本名では恥ずかしいというので、たまたまラジオから流れていた長唄「茨木」と本名ののり子を合体ざせてペンネームが生まれた。 『詩学』に何回か入選して名前も知られてきた昭和二十八年、同じ『詩学』の投稿仲間川崎洋と二人で同人誌『櫂』を創刊。『櫂』はその後、谷川俊太郎、古野弘、友竹展、大岡信、岸田衿子など、『詩学』の仲間が続々と同人となり、現代詩壇の一大勢力となる。 茨木のり子の詩の良さは誰にでもわかる言葉を使い、テーマも理解しやすいことがあげられよう。たとえば、 わたしが一番きれいだったとき/街々はがらがら崩れていって/とんでもないところか ら/青空なんかが見えたりした (略) わたしが一番きれいだったとき/わたしの国は戦争で負けた/そんな馬鹿なことってあ るものか/ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた。(「わたしが一番きれいだっ たとき」より) この詩のテーマは明確だ。女性にとって一番きれいだった青春時代を戦争に奪われた恨みと、敗戦を境に自立して生きていこうとする強い意志が歌われ、多くの戦争経験者の共感を呼ぶことだろう。 人間性を抑圧するものに鋭い目 小海水二は「彼女は、戦後民主主義の最も艮質の部分を、詩の面で代表する詩人だと言ってよいだろう」と『全集・戦後の詩』の解説の中で述べている。 こうした彼女の社会意識は人間性を抑圧するものを徹底的に見つめる。彼女の家の窓硝子に石を命中させた子どもたちを詰問する自分にアルジェリア解放運動をダブらせる(悪重たち)あるいは、洗濯の合間に読むサルトルの本によってユダヤ問題に関心を持つ(ジャン・ポール・サルトル》など、生活に基づいた明るく溌刺とした歌いぶりの中に、さわやかな批判精神が息づいている。 そして、その批判は誰よりも目分に向けられ、彼女の青春をとらまえたサルトルやボーヴォワールの思想が日常生活の中で風化していくのを、詩人特有の鋭い感性で歌っているところに、彼女のまじめなま生き方がうかがえる。 彼女の詩が、彼女の青春時代を追体験した大人の女性に人気があるのは、さわやかでたくましい女っぷりがあるといおうか、女性解放の匂いかするところにもよるだろう。 シンガーソングライターの吉岡しげ美さんが彼女の詩を好んで歌うのも、日々の暮らしの中にきらめくことごとを愛しく思うとともに、その暮らしを変革し、突き破り、よりのびやかに生きたいと願う女性たちの熱い思いと重なるからではないだろうか。
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彼女の詩につづられる言葉のひとつひとつは、勢いのよい、かたくて丸いボールのように、読む者にむかって放たれる。 言葉は力強いけれど、けっしてとげとげしいものではなく、爽快な衝撃をもって受けとめることができる。 第二次世界大戦をまたぐ困難な時代に生きた彼女は、傷ついたはずの社...
彼女の詩につづられる言葉のひとつひとつは、勢いのよい、かたくて丸いボールのように、読む者にむかって放たれる。 言葉は力強いけれど、けっしてとげとげしいものではなく、爽快な衝撃をもって受けとめることができる。 第二次世界大戦をまたぐ困難な時代に生きた彼女は、傷ついたはずの社会(あるいは自分自身)を、憐憫や釈明の装飾でつつまない。あるいは、それらに対して超然的な態度をとるわけでもない。 そこには、まっすぐな彼女の感性しか存在しない。 この詩集では彼女の肖像をみることができるが、知性をたたえる彼女の視線は、力強く、同時に慈しみを感じさせる。 震災後、有効な言説を提示しえた日本人文学者は一人もいなかった。誰かの言ったとおり、日本文学は終わったのかもしれないが、茨木のり子の詩集を読むかぎり、終わったのは日本人文学者であって、日本文学ではない、と心強く感じた。
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