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その男ゾルバ
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 恒文社 |
発売年月日 | 1991/10/01 |
JAN | 9784770402103 |
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その男ゾルバ
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商品レビュー
5
3件のお客様レビュー
23歳の時に読み、人生観が変わりました。 読売新聞社「石の庭」 同じく「兄弟殺し」 みすず書房「アッシジの貧者」 更に読みたくて、ギリシャ語、フランス語は読めないので英訳を船便で取り寄せて読んだほど、熱中しました。
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カザンザキス『その男ゾルバ』(1967、恒文社)を読む。 原著は1946年の現代ギリシャ小説。現代東欧文学全集に収められています。 主人公「ぼく/私」は友人に「本の虫」と呼ばれる有閑知識人。祖父の遺した鉱山を相続し、その経営のためクレタ島に渡る。 道中の船で無骨な老人ゾルバ...
カザンザキス『その男ゾルバ』(1967、恒文社)を読む。 原著は1946年の現代ギリシャ小説。現代東欧文学全集に収められています。 主人公「ぼく/私」は友人に「本の虫」と呼ばれる有閑知識人。祖父の遺した鉱山を相続し、その経営のためクレタ島に渡る。 道中の船で無骨な老人ゾルバと出会った「ぼく」は、なぜか意気投合して現場監督として雇い入れ、クレタ島での生活を共にする。 理想主義のお坊ちゃんと現実主義の労働者ゾルバ。静かななかにもユーモアあふれる掛け合い。(それ自体が狙いのウッドハウスほどではありませんが) 【本文より】 ◯「わしも人間じゃねぇかね。盲目ということですがな。人と同じように、わしも、まっさかさまに、みぞへ落っこちたわけでさあ。つまり結婚しましてね。人生も落ち目を選んだってわけで。一家のあるじになって、家を建て、子供をつくりましたあ。ーそいつが面倒の始まりで。しかし、サンドゥリ(楽器)のお蔭で!」 ◯「はっきりしておくんなせえ。もしおまえさんがわしに無理じいなさると、何もかもおしめえだ。こういうことについちゃ、わしは男だというこたあ、覚えておいてくだせえ」 「男だって?どういう意味だね?」 「そりゃ、自由!ってことでさあ!」 ◯まるで、死が存在しないように行動することと、一刻一刻、死を思いながら行動することは、多分同じことなのだろう。しかし、ゾルバがたずねたときには、私にはわかっていなかった。 ◯私の祖父は、生涯、村を出たことがなかった。カンジアへも、カニアへも行ったことはなかつまた。 「なぜ、そこへ行かなければならない?カンジアやカニアの町のものが、この村を通るじゃないか。カンジアやカニアがわしのところへ来るというのに、なぜわしがそこへ行く必要があるんだ?」といったものだった。
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史上最高小説100の一冊。とても印象的な一冊だった。普段行かない図書館で、ばっちりであったという感じ。 いろいろなテーマが重層的に折り重なり、クレタ島の物悲しい土地や、そこに棲む人々、その疎むべき慣習と欲望などに分散され空間を形成していく。しかし一番重要なテーマはタイトル通り、ゾルバ、その人である。 本の虫と揶揄され、自身の限界にもぶち当たったインテリである主人公が、クレタ島の亜炭鉱を借り受け、そこにおいて汗と労働による新たな人生の始まりを決意したときに出会ったのが、還暦を越えるような大きなギリシャ人、ゾルバであった。主人公は35歳ぐらいだっただろうか。とにかく年の離れた、おいてなお野蛮なゾルバに心打たれひかれた主人公と、そのゾルバの言葉と生活の物語である。 ゾルバとは何者か。この辺を何度もよんで掘り下げたい。主人公の親方はゾルバを亜炭鉱の現場責任者として雇う。要するに亜炭鉱夫というのが、ゾルバのこの物語での肩書である。その男、ゾルバはキリスト教を基とした道徳観や倫理観、シルクのように純粋でやわらかで観念的なよきものはすべて吹き飛ばすような、荒々しさの一番初めの純粋な残滓である。粗野で野蛮で、いわゆる教養はない。しかし馬鹿ではない。それはゾルバという真理体系に人々を引きこむ、力強い哲学がその血に下半身に流れているからである。めくり続けた本のページには刻まれていなかった、そのようなゾルバの、逃れようのない求心力、言葉、汗、涙、踊りに主人公は打ちのめされる。そして私自身も打ちのめされたような感覚になるのである。 物語の底流には、ギリシャという過去に打ち捨てられた土地の物悲しさがある。歴史の、人情の不条理が嫌というほどにしみついている。カスカスに搾り取られたような乾いた国、ギリシャ。訳者のあとがきにもこのことが語られているが、物語の中でもそれを多く感じる。一神教であるキリスト教の慣習的信仰を受け継ぐ土地であるが、主人公はインテリゆえにその信仰も捨てている。すべてを客観的に遠のかせてしまうような心を慰める方法は、その悲しみ自体が人間である、歴史であると自分に言い聞かせ、受け止めてしまうことではないか。それゆえに汎神論が首をもたげてくる。小さな人間、あらがうことのできない自然の気まぐれ。それを受け止めることであきらめるのではなかろうか。 しかしゾルバはその汎神論の、いわゆる自然の一部であることを心ゆくまでに味わい尽くしているのである。そこに悲しみはない。ゾルバは悲しみではない。「酒、女、踊り、厳しい労働」このことのためにユグドラシルのように歴史と土地に根を下ろす。人間と自然は向かい合う存在ではない、人間も自然であるのだと、本能とその白い歯をむき出しにしつつ、ゾルバは私たちに語りかける。そこには未知の自由が、解放がある。 本当に心をとらえる一冊であった。ここ最近出会った小説の中では、群を抜いて実存感がある。あくまでも宗教的に生きる正しさを信じる私にとっては、この一撃を真剣に受け止めたい。 完全にキリスト教のアンチテーゼとして描かれているゾルバであるが、一部イエスと重ねざるをえない表現もある。例えば、後家女が村人に囲まれるシーン。殺せと息巻く村人に対して、止めろと割って入り取っ組み合いをするゾルバは、姦淫の女を許すイエスの姿とそのまま重なる。しかし結果は違う。イエスは救ったが、ゾルバは救えなかった。あくまでもキリスト教との対比がある。そこに現実の物悲しさが強調される。そのほかにも、一つの超越した理論と説得力、交友関係、奇跡物語など、そのすべてがアンチキリスト的であるが、イエスとの対比と思わざるをえない。カザンザキスの他の著作に、イエスの真実に迫るような寓話があるのを思うと、それは確信的である。 “消えかかった火の傍らで、たった一人、私はゾルバの言葉をいろいろと考えていた―それは意味が豊かで、温かい土の匂いがする。それは、彼の内部の深いところから出たもので、人間の温かい体温が感じられる。私の言葉は紙で作られたものだ。それは私の頭から出たもので、ほとんど血の一滴すらはねかかっていないのだ。もし言葉に価値というものがあるとすれば、それは、その血の一滴によるというのに。” ジム・ホール&パット・メセニー「cold spring」を聞きながら。 13/9/22
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