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イエスはなぜわがままなのか アスキー新書
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イエスはなぜわがままなのか アスキー新書

岡野昌雄【著】

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 アスキー・メディアワークス/角川グループパブリッシング
発売年月日 2008/06/10
JAN 9784048671880

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商品レビュー

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2015/06/12

クリスチャンである著者が、信仰を持たない読者の素朴な疑問にわかりやすく答えています。 著者は、イエスがイチジクの木を呪い枯らしてしまったエピソードなど、イエスの理不尽さを示すような話を聖書のなかから紹介しています。もっともらしい正当化を急ぐのではなく、そうした理不尽さを感じざる...

クリスチャンである著者が、信仰を持たない読者の素朴な疑問にわかりやすく答えています。 著者は、イエスがイチジクの木を呪い枯らしてしまったエピソードなど、イエスの理不尽さを示すような話を聖書のなかから紹介しています。もっともらしい正当化を急ぐのではなく、そうした理不尽さを感じざるを得ないエピソードを含むキリスト教を信仰するとは、いったいどのようなことなのかという方向へ、話を進めています。 そして、聖書のエピソードを「事実」としてとらえるのではなく、宗教上の「真実」としてとらえるという考え方や、信仰の道へ進む人びとは決定的な確信を抱いて信者となるのではなく、むしろ入信はスタートにすぎないという考え方などが説明されています。 キリスト教にかぎらず、宗教とは何かということを考えるための手がかりが示されているように思いました。

Posted by ブクログ

2015/01/01

Fri, 07 Aug 2009 久しぶりに会った友人がカトリックに改宗していて面食らった男,tanichu です. 聖書の中にはイエスの横暴がいろいろ書いてある. 自分がおなかのすいた時に実をならしていないイチジクに 「二度と実をつけるな!かれてしまえ!」的なことを言って...

Fri, 07 Aug 2009 久しぶりに会った友人がカトリックに改宗していて面食らった男,tanichu です. 聖書の中にはイエスの横暴がいろいろ書いてある. 自分がおなかのすいた時に実をならしていないイチジクに 「二度と実をつけるな!かれてしまえ!」的なことを言って枯らしてしまったり 悪霊にとりつかれた二人の男から悪霊を追い払って豚の集団に転移させることで,豚を集団自殺させたり 「私が地上に来たのは平和をもたらすためだと思ってはならない.平和をもたらすためではなく,剣をもたらすために来たのだ.」 と言ってみたり. 最後のんは,なんか十字軍とか湾岸戦争などなどを予測するような話ですが・・・. まぁ,それはさておき,そんな変なイエスさんが なんでそんなこと言ったのか?という話. どちらかというと「空想科学読本」的なシニカルさを求めて買ったのですが,著者はフェリス女学院の学院長さんで,キリスト教徒そのものですので,そういうものではなかった. なぜ,そんな事をいったのか,むしろポジティブにそれを解釈しようという方に議論がすすんでいく. 後半は最早,普通のキリスト教布教的なお話し 罪とはなにか,信仰とは何か?みたいなはなしになって そんなつもりではなかった私は面食らってしまいました. 筆者は日本人は宗教意識が低く,関心が小さいのは何故か? と問う(p.124) そして その一方で,尊敬する人や,思想,信条にはまるで神を信じるかのように絶対的なものだと思うのは不思議だ. と,言う. のだが, 私としては, それこそ,日本人の神の概念なのだと思うのですが. キリスト教の神はもともと1950年代までは天主様と呼ばれていた,一神教的存在. もともと,日本人にとっての「お上」と「神」は語源が同じだという話もある.日本人にとっての「かみさま」と西洋のゴッド,天主様は別概念. 北野天満宮とか菅原道真ですしね. 日光東照宮は徳川家康ですし. 日本人の宗教観はとっても,暗黙的だけど,多分しっかりあるんだと僕はおもいます.言葉に出来ないような,意識しないような,常識的な感じで. 神道 と,わざわざ言うと,角が立つみたいですが. 長い歴史の神仏習合&自然との共生の文化なのかと.

Posted by ブクログ

2013/07/25

タイトルの「理不尽なイエス」を書いたものは、一章だけで、あとは、クリスチャンにとっても、そうでない普通の人についても「信仰」ってどういうことかを理解するために是非読んで貰いたいと思った。 空腹で、季節なのに実のなっていないイチジクの木を枯らして八つ当たりするイエス。 豚を集...

タイトルの「理不尽なイエス」を書いたものは、一章だけで、あとは、クリスチャンにとっても、そうでない普通の人についても「信仰」ってどういうことかを理解するために是非読んで貰いたいと思った。 空腹で、季節なのに実のなっていないイチジクの木を枯らして八つ当たりするイエス。 豚を集団自殺させるイエス。 動物を鞭で叩きだし、市場をめちゃくちゃにする暴力的なイエス。 「平和ではなく、剣をもたらすために来た」イエス。 弟子のユダに「おまえなんか生まれてない方がよかった」とかひどいことを言うイエス。 「親も兄弟なんぞ知らん」とかいうイエス。 ほかにも『聖書』には、「は?」とかいう理不尽で理解しがたいエピソードがたくさんありますが、それはおいときましょう。 著者は、長年のクリスチャンであり、アウグスティヌス研究の教授でもあり、キリスト教系の学校の校長でもあり、それらの疑問に、しっかりと丁寧に「その感覚は分かります」答えておられ、また、「聖書の解釈学なく、ひとりで信仰の書として聖書を読むのは危険だ」とまでおっしゃっています。 奇跡にかんしては、「事実」というよりも「真実」としての表現であるということ。 あとは、「キリスト教」の信仰の感覚に関するものですが、私はこれを読んでますます、ネットのやりとりなどで不信感を増していたキリスト教に対して改めて安心感を抱きました。 そして、本書を読みながら、あらためて、イエスに近づきたいイエスはともにいるという感覚を抱かされました。 聖書は、ただ一部の聖句を抜き出すだけでなく、しっかり前後のコンテキストや、本当に言いたかった意味を探ってこそ、「真実」として伝わってくる。 多くの人が誤解しているのが、キリスト教の「罪」と「悪」の違い。 「罪」とは神とは違った方向を向かざるを得ない人間の性質のこと。 神はたしかに分からないものであり、「分からない」からこそ神である。そして、神が全知全能だと言って、信じる者も完全とは限らない。そこに間違った信仰の怖さがある。 祈りは、「願い」ではなく、「神との対話」。神に文句を言ってもやはりそれは「祈り」であり、「信仰」でもあるという。 多くの新興宗教と違って、キリスト教は「どこかに魅力がある」「倫理的な団体」だから信じるというものではない。また、人生の難問に応えを与えられるということもなく、むしろ、問いかけは深まる。問いかけから、信仰は始まる。 聖書は実践しづらいということ。 それでも、神から受け入れられている自分がいる。 あとがきでは、著者は「異端」にかけられてたり誤解を与えることを心配しつつも、人生の終わりにさしかかり信仰の本音を語っているようです。

Posted by ブクログ

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