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「近代の超克」とは何か
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 青土社 |
発売年月日 | 2008/05/24 |
JAN | 9784791764105 |
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戦時日本においてヨーロッパ的近代の超克ということを問題にした思想潮流、及びそれを戦後再評価する形で取り上げた竹内好などを手がかりにしつつ、15年戦争における言説がいかなるものであったかを明らかにしている。この著作において取り上げられる人物の多くは、旧来の「近代の超克」研究でも取り...
戦時日本においてヨーロッパ的近代の超克ということを問題にした思想潮流、及びそれを戦後再評価する形で取り上げた竹内好などを手がかりにしつつ、15年戦争における言説がいかなるものであったかを明らかにしている。この著作において取り上げられる人物の多くは、旧来の「近代の超克」研究でも取り上げられている。しかし、アジア的近代なるものを実体化し肯定的に評価することを許さない著者に依る批判的解釈は非常に他と比較して優れていると思う。
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■昭和日本のイデオロギーを読み解く [掲載]2008年8月10日朝日 [評者]南塚信吾(法政大学教授・国際関係史) 20世紀日本の大半を占めた昭和日本は、アジア・太平洋戦争を真ん中にしてその戦前と戦後によって形作られていた。その昭和日本のイデオロギーとは何であったのか。本書の...
■昭和日本のイデオロギーを読み解く [掲載]2008年8月10日朝日 [評者]南塚信吾(法政大学教授・国際関係史) 20世紀日本の大半を占めた昭和日本は、アジア・太平洋戦争を真ん中にしてその戦前と戦後によって形作られていた。その昭和日本のイデオロギーとは何であったのか。本書の狙いは、この昭和イデオロギーの解明にある。 本書が注目するのは、開戦直後に京都学派の知識人が持ち出した「近代の超克」という思想である。京都学派においては、明治以来の日本の近代はヨーロッパをまねたものでありその近代の支配を受け入れたものであったが、英米の支配に反発する大東亜戦争はそれをついに超克する思想の体現なのだとされる。大東亜戦争は「近代の超克」として正当化されたのだ。 著者は多角的な分析の末、この京都学派の思想は、戦争の自己弁護的なものに過ぎないとするが、しかし、戦後においてこの思想が竹内好によって高く評価されたことを問題にする。 著者によれば、竹内はかれ自身の「近代の超克」論を展開し、京都学派にはない「アジア」をそこに持ち込んだ。明治以来の「近代日本はアジアに在ってアジアではない」とする竹内によれば、「近代の超克」とはアジアの原理によって近代日本を超克する思想なのだ。近代欧米の駆逐の思想なのではない。そのアジアの原理とはなにか。それは、アジア固有の実態的原理ではなくて、自由や平等のような「西洋の生み出した普遍的な価値をより高めるために西洋を変革する」姿勢である。 竹内は京都学派の「近代の超克」を自らの観点から読み替えたことになるが、実は、著者は竹内の思想を深く理解した上で、それをさらに読み込んで言う。「現代世界の覇権的文明とそのシステムに、アジアから否(ノン)を持続的に突きつけ、その変革の意思を持ち続ける」という姿勢がアジアの原理であり、それは具体的には、「殺し・殺される文明から共に生きる文明への転換」を求める意思であると。そして、そのような意思のない「近代の超克」論は大戦を美化するに過ぎないし、最近のアジア共同体論も戦前の繰り返しになってしまうであろうと警告する。 *************************************************************************** [評者]安藤 礼二(多摩美大准教授) ■中国への視点欠落を指摘 本書は、中国文学者であり魯迅研究家、さらには戦後を代表する知識人でもあった竹内好(よしみ)の思想を再検討することによって、世界戦争のさなかに形づくられた「日本近代史のアポリア(難関)の凝縮」としてある「近代の超克」論が孕(はら)んでいた欺瞞(ぎまん)とその可能性を徹底的に洗い出すことに成功した稀有(けう)な試みである。ヨーロッパ(およびアメリカ)主導による世界再編成に抗(あらが)うアジア独自の主体の確立。疑いもなく大東亜戦争のイデオロギーとして機能した超克論を、ただ戦時期の蒙昧(もうまい)として葬り去ってしまっても良いのか。著者は竹内の説く「事変」と「戦争」の二重性にこだわり、そこには一貫して「中国」に対する視点が欠落していたことを指摘する。 その事実から導き出された結論は深く、また重い−「戦争を通じて超克さるべき近代とは、ほかならぬ戦争をする己(おの)れでもあることを、この超克論は終始隠蔽(いんぺい)する。昭和戦時期の近代の超克論は、まぎれもなく帝国主義国家として近代を達成している日本を隠蔽することの上に作られる理論である」。しかも著者は断罪の場にとどまらず、超克論を全く新たな地平に解き放とうとさえする。「隠蔽」を拒否し、中国との戦争にこだわり続けた竹内が提唱した、新たな「主体形成の過程」として捉(とら)え直された「方法としてのアジア」を再評価することによって。 できうれば、その具体的な展開にもう少しだけ踏み込んで欲しかった。それに関連して最後に二点だけ指摘を。まず、京都学派が中心となった世界史講座について、最初の二巻で刊行が中止になったと記されているが、ごく初歩的な文献調査によっても、この後、東亜、西亜、ヨーロッパの三巻が刊行されていることが分かる。また、竹内が自らの原型とみなした大川周明のアジア主義への批判はやや一面的であろう。いずれも「方法としてのアジア」に直結する重要な問題だと思われる。
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