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テレビ的教養 一億総博知化への系譜 日本の“現代"14
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | NTT出版 |
発売年月日 | 2008/04/28 |
JAN | 9784757141056 |
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テレビ的教養
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従来の活字的教養に対して、テレビ的教養をどのように浸透させるかを概括した労作だが、テレビ番組を政府がいろんな意味で制御してきた歴史があることを知った.西本三十二(みとじ)らが初期の段階でテレビと教育の問題を議論してきたことも知らなかった.メディアに関する歴史で、紙芝居のピークが1...
従来の活字的教養に対して、テレビ的教養をどのように浸透させるかを概括した労作だが、テレビ番組を政府がいろんな意味で制御してきた歴史があることを知った.西本三十二(みとじ)らが初期の段階でテレビと教育の問題を議論してきたことも知らなかった.メディアに関する歴史で、紙芝居のピークが1952年で1日100万人の子供が見ていたこと、1958年が映画館年間入場者数、ラジオ受信契約者数のMaxだったこと、大宅壮一の「一億総白痴化」が1957年、田名角栄が1957年10月にテレビ予備免許をNHK7、民放36と大量に出したこと、1971年に教育番組としてセサミストリートが大ヒットしたこと、ファミコンが1983年に出て86年に650万台になったこと、などが印象に残った.テレビ自体、学校で教育に使われてきた事実はあったとしても、実際にはほとんど経験の記憶はない.今後はパソコンやタブレットを学校がどのように活用するが焦点になろう.
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テレビによる教育に関する本を読みました。非常に興味深い本でした。テレビによる教育は失敗だったと指摘している。当初、テレビによる教育は大きな期待がもたれていました。現実に、その効果は大きかったと指摘している。ただし、子供たちは、教育番組自体に興味を持ったわけではありません。テレビが...
テレビによる教育に関する本を読みました。非常に興味深い本でした。テレビによる教育は失敗だったと指摘している。当初、テレビによる教育は大きな期待がもたれていました。現実に、その効果は大きかったと指摘している。ただし、子供たちは、教育番組自体に興味を持ったわけではありません。テレビがハイテクだったから、興味を持っただけです。しかし、テレビが日常のものになると同時に、その教育効果は大きく低下しました。多くの教師は、上記のことを実感して、テレビを利用した教育を控えるようになりました。これは、パソコンによる教育も同様です。テレビと同様に、パソコンは、教育ツールとして期待されました。しかし、テレビと同様に、パソコンを利用した教育は失敗しました。テレビと同様に、パソコンがハイテクであるときは、大きな教育効果があります。ただし、パソコンも日常のものになると、その効果はなくなります。さらに、テレビと異なり、パソコンを使用した教育には、莫大なマンパワーを必要とします。大学における語学のマシン学習の失敗を思い出しました。ソフトはよく出来ているそうです。ただし、うまくいかないようです。生徒の動機付けの問題だそうです。先生、友達と一緒に勉強するから、勉強できるようです。パソコンに向かって、一人で勉強することは難しいそうです。僕は、語学のマシン学習を経験したことはありませんが、持続する自信はありません。
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確認先:目黒区立目黒区民センター図書館(MG01・I01・N01) 大宅壮一がテレビ放送を指して「一億総白痴」といったのは有名なエピソードである。しかし佐藤は、そうした大家の言は彼の教養主義とテレビが相容れなかったもあるが、同時に「教育放送の歴史」を重ねるとき、「一億総白痴」と...
確認先:目黒区立目黒区民センター図書館(MG01・I01・N01) 大宅壮一がテレビ放送を指して「一億総白痴」といったのは有名なエピソードである。しかし佐藤は、そうした大家の言は彼の教養主義とテレビが相容れなかったもあるが、同時に「教育放送の歴史」を重ねるとき、「一億総白痴」と断定付けられるのか疑問符を提示する。というのも、教育放送の歴史というのは必ずしもNHK教育テレビの歴史と同一ではなく、むしろ後のテレビ朝日となる「NET(日本教育テレビ)」、同様に後のテレビ東京となる「東京12チャンネル」といった民間資本の教育放送チャンネルの歴史やそうしたチャンネルが開局したいきさつのバックヤードとしての教育とメディアの複雑な関係についても視野を広げる必要があるからである。 佐藤はいう。日本のテレビ事情は戦前の国家総動員運動に端を発した精神総動員の影響を受けていると(この精神総動員運動、換言すれば「均整化」であり、戦後の教育界にもやはり引き継がれていた)。戦後テレビ放送がたとえ民間ベースであろうがなかろうが、資本注入にアメリカ政府の影響があろうがなかろうがそれは変わらず、「教育」に対する権威の形成が左右していたのではないかと勘ぐりたくなるほどの完成を見せている。 そう考えるとテレビ神奈川が神奈川県教育委員会の学校放送枠を用いて放映していた「のびる子体操」とか、同様に千葉テレビの「なのはな体操」をニコニコ動画の一部ユーザーのように嘲笑うことはできず、これらもまた学校放送の歴史との間で思考せねばならない事項であるといえなくはないだろう。 放送と教育をめぐる複雑な関係、あるいは(今は昔になっている)教養番組はなぜ生まれたのか、について考えるときに必読な文献であろう。「テレビ有用論」「有害メディア論」の嚆矢となった1940年代の精神総動員運動がメディアにもたらした影響の残滓がどこまでわれわれの思考形成に残っているか、そしてその残滓がいわゆる「クイズショー」に見られないか(少なくとも「ホンマでっかTV」は一度覗き見してその傾向が見て取れた)――テレビやネットを介してやり取りされる教養をめぐる批判的想像力のきっかけとして。
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