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バルセロナ、秘数3 中公文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 1992/01/09 |
JAN | 9784122018747 |
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バルセロナ、秘数3
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バルセロナ、秘数3
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商品レビュー
3.8
5件のお客様レビュー
バルセロナには三度行ったことがある。 飛行機会社の手違いで、真夜中にバルセロナに着き、暗闇の中、タクシーでガウディの建築を見て回ったのが最初。 フランスに駐在している時に、二度行って、街を隅々まで歩き回った。 その時、ガイドブックの役割を果たしてくれたのが本書だ。 本書はバルセ...
バルセロナには三度行ったことがある。 飛行機会社の手違いで、真夜中にバルセロナに着き、暗闇の中、タクシーでガウディの建築を見て回ったのが最初。 フランスに駐在している時に、二度行って、街を隅々まで歩き回った。 その時、ガイドブックの役割を果たしてくれたのが本書だ。 本書はバルセロナの旅行記の体裁を装っているが、そうではない。 作者の実話のようでいて、フィクションの香りが芬々と漂ってくるのだ。 旅行記のようでいて小説のようでもある。 小説のようでいて哲学書のようでもある。 哲学書のようでいて、神秘学の秘書(セクレタリーではない!)のようでもある。 つまり、何かのようでありながら、何にも似ていない。 何とも名付けようもない書物だが、その魅力たるや強烈だ。 そして、バルセロナの街を徘徊してみると分かるが、この街そのものが、本書のように何とも名付けようもない、独特の個性を持った魅力的な街なのだ。 作者は、ジョアン•ミロの絵のバックの色彩に、ガウディのサグラダ•ファミリアに、「秩序数4」と「秘数3」の戦いを見出す。 バルセロナの街で作者に絡んでくる、退廃的な色気を持つスペイン人のジョアン•モレラ(当然、ジョアン•ミロの化身だ)の語る「バルセロナは3で作られた街だ。なぜなら、それはバル(酒場)とセル(空)とオナ(海)の3つでできているからさ」という発言が主調低音を成している。 バルセロナ=カタルーニャの精霊たちと出会い、その精霊たちに導かれて、カタルーニャの精神の奥底に旅する。 カタルーニャの誇る銘酒カヴァを飲みながら、作者の夢か現か分からぬ語り(騙り)に気持ち良く酔う。 これがこの本の正しい読み方だと言える。 因みに、バルセロナはイカ墨のパエリアが極めて美味い。 ジョアン•モレラならばきっと「セルべセリア•カタラナ」を紹介してくれるだろう。 この店のイカ墨のパエリアは、間違いなく世界で一番美味い。
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著者のスペイン旅行記のかたちをとった、神秘的数論が展開されている本です。 カフェでパスカルの研究書を開いていた著者に、カタルーニャの魂の数字である3について示唆した飲んだくれ男のジョアン・モレラ、その友人で「東方書店」の主人であるラモン・グエル、そして『カタルーニャ数秘術』の著...
著者のスペイン旅行記のかたちをとった、神秘的数論が展開されている本です。 カフェでパスカルの研究書を開いていた著者に、カタルーニャの魂の数字である3について示唆した飲んだくれ男のジョアン・モレラ、その友人で「東方書店」の主人であるラモン・グエル、そして『カタルーニャ数秘術』の著者であるパウ・Eといった登場人物たちが、魔力を孕んだ秘数3と、その力を完全な秩序のうちにとりこもうとする4が織り成すドラマをつぎつぎに述べていきます。そして著者は、彼らのことばについて思いをめぐらせつつ、ヨーロッパ文化の根幹をつらぬいている神秘的な思想へと沈潜していくことになります。 アカデミズムの枠組みを大きく逸脱する思想を展開している著者ですが、本書はそのなかでもきわだって自由気儘な思索が展開されているように感じられました。
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この本は一種の旅行記として書き出されている。 かつて世界の要として繁栄と紛争に明け暮れたバルセロナを歩くことで、ヨーロッパの歴史・キリスト教の歴史に絡まって行く。 それと並行して、本題であろう宇宙の真理を紐解こうとしている。 そのキーポイントが秘数3と秘数4。そして無限とゼ...
この本は一種の旅行記として書き出されている。 かつて世界の要として繁栄と紛争に明け暮れたバルセロナを歩くことで、ヨーロッパの歴史・キリスト教の歴史に絡まって行く。 それと並行して、本題であろう宇宙の真理を紐解こうとしている。 そのキーポイントが秘数3と秘数4。そして無限とゼロ。 バルセロナがあるカタルーニャ地域の三角地帯が頑固に夢見てきた精神的なものがあるらしい。 その一つがキリスト教のカタリ派の中心地であったことと。 そしてチーノ地区と言う、中国人のいない中華街が残した見果てぬ夢である。 それは東洋と地中海。 大西洋のアメリカ大陸から大量に持ち込まれた金や銀でにぎわっている最中も、東方への夢を捨てきれずにいた人々。 そしてファシストと戦い続けた人々。 しかもソ連の共産党に利用されて惨めに自滅していく中で、精神的な強さと夢が残った。 この本で言う秘数とは、この世の現象を観測することで得られない「隠れた変数」の事であるらしい。 この世を三次元として見たときには現れない秘数。それが、3であり4である。 ロシア正教やギリシャ正教のような東方ヨーロッパにおけるキリスト教が三位一体論をパラドキシカルな思想としてとらえたのに対して、ラテン西方教会系では合理性の強い一性と他性の二元論理でとらえる。 つまり東方の秘数3と西方の秘数4(2+2)。 秘数4はコンピューターの0と1論理にもつながって、近代科学の発展をうながしてきた。 この西方(秘数4)の思想を代表するのは、ピタゴラス・カント・ショーペンハウアー・ロバートフラッド・ゲーテそしてボーア・ハイゼンベルク・パウリ・である。 東方(秘数3)の思想を代表するのは、プラトン・ケプラー・デカルト・ニュートン・それにアインシュタイン。 結局、西方の思想が全ヨーロッパ・全世界を圧巻して20世紀に至ったのだけれど、そこで革命的発見を向かえた量子学によって再び世界が揺れ動く。 西方の4の秘数を支えた+と-の極性、つまり二極性の対立としてとらえた思想に対して、量子論理が現れ異議を唱え出す。 これを、双方の「否定」と言う機能のとらえ方の違いで見るならば、量子論派は単なる対立でなく、相補性を持ち合わせた相対として考える。 運動量と位置の両方を同時に確定できないと言うように、お互いがお互いを内包しながら否定しあっている「縁」の関係でとらえようとする。 結局、西方(秘数4)の弁証法的思想が20世紀になって行き着いたところは、東方キリスト教(秘数3)のパラドックス(三位一体論理)の姿に近付くことになる。 キリスト教の構造で示すならば、「三位一体論」が「東方による秘数3のパラドックス論理」と「ラテン教会による秘数4の弁証法的論理」に別れ、秘数4が物質世界を縄張りとして栄えたけれども、20世紀になって秘数3的要素を認め直す必要に迫られる。 この世は物質的三次元のみでなく、時空間と言う動きの中で、物質の外あるいは内に更なる世界を透かし見る時代が訪れたのであろうか。 キリスト教は一神教でありながら、その十字架での死と復活によって微妙な揺らぎを残したと言うことなのかもしれない。 つまりすべての人間が神の僕や奴隷ではなく、その一部だと言うことを21世紀になってからあぶり出せるようにイエスは織り込こんだのかも知れない。と思う。
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