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神の名前 王国記7
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 文藝春秋 |
発売年月日 | 2008/03/26 |
JAN | 9784163268309 |
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神の名前 王国記7
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3件のお客様レビュー
芥川賞受賞の「ゲルマニウムの夜」からつづく王国記シリーズの第8作です(王国記というタイトルは2作目からなので、8作目だけど王国記7になります。文庫版は1作目から王国記となっているので作数と番号が一致してます。ややこしい。) 原始教団が成立した前作あたりから主人公の世代交代がゆる...
芥川賞受賞の「ゲルマニウムの夜」からつづく王国記シリーズの第8作です(王国記というタイトルは2作目からなので、8作目だけど王国記7になります。文庫版は1作目から王国記となっているので作数と番号が一致してます。ややこしい。) 原始教団が成立した前作あたりから主人公の世代交代がゆるやかにはじまったかな、とおもわせるものがありましたが、ここにきて急激に初期の人物たちがフェードアウトしています。 初期の人物たちの行動原理は、神という存在に対する疑念や対抗心といったものを軸に動いてきたように思います。そういう対抗すべき存在が明確にいるから、彼らがとるべき行動も、暴力や権力といった明確な”カタイ”方向へと流れていっていました。神への対抗という原理は、本来はより個人的な嗜好や信念をより大きな概念へと転嫁することで正当化するということなんでしょう。そうした変換を経ないことには正当化が困難で、だからこそ非常に思弁的で理屈っぽい。しかし、神という対抗軸を設定してしまったことで、かえって神の存在から抜け出られなくなっていた世代のように思います。 一方で、新世代の主人公たちは、個人的な嗜好や信念、悩みを無理に一般かすることはなくて、あくまでパーソナルな問題として捉えている。だから、神への対抗を必要とせず、したがって神の存在を前提としなくともやっていけている。だから、そこで行使される力は、非常に不安定な神秘的な力であり、コミュニティーとしての緩やかなつながりであったりと、より”やわらか”な方向性をもっている。 というような感じで、だいぶ全体の雰囲気も変わってきたのですが、個人的にはやはり初期の人物たちがこのまま簡単にフェードアウトするようには思えないし、新しい世代の人物たちの紐帯もこのまま順調にはいかずやがてはほころびだしそうな印象をうけます。 いよいよ本格的に新しい話が動き出した感じですが、これからどういう方向にいくのかまだまだ見えてきません.次回作がどのようになるのか楽しみです。
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太郎。 この市役所の記入例みたいな名前をつけることによって巧妙に獲得した普遍性。 シンプルが故に強固な記号。 朧が命名したことになっているが、実は太郎自身が付けさせたんじゃなかろうか。 絶妙のタイミングで見せる奇跡。 大文字山での垂訓。 視覚と言葉を駆使してゆっくり...
太郎。 この市役所の記入例みたいな名前をつけることによって巧妙に獲得した普遍性。 シンプルが故に強固な記号。 朧が命名したことになっているが、実は太郎自身が付けさせたんじゃなかろうか。 絶妙のタイミングで見せる奇跡。 大文字山での垂訓。 視覚と言葉を駆使してゆっくり周到に包囲網は拡がる。 恣意的なのか否なのか。 キリスト教を挑発するかような、近親相姦、そして(非)処女懐妊で産まれた普通の子。 花子の役割は。 神は血統。 ならば、次郎はなぜ産み落とされたのか。 王国は着実に動きだした。 またまた先が楽しみ。
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ここに来て、この途轍もない大作サーガ『王国記』は、加速している。 野辺山公園での王国の風景は、まず太郎の育ての親である百合香の現在で始まる。百合香は『PangPang』(『雲の影 王国記 III』収録)以来の登場だが、その頃、安アパートで赤羽神父と同居し、まだ太郎と言う名が冠...
ここに来て、この途轍もない大作サーガ『王国記』は、加速している。 野辺山公園での王国の風景は、まず太郎の育ての親である百合香の現在で始まる。百合香は『PangPang』(『雲の影 王国記 III』収録)以来の登場だが、その頃、安アパートで赤羽神父と同居し、まだ太郎と言う名が冠せられていなかった「無」という赤ん坊を育てていた。百合香はその後、大人になるべく背伸びをしようとしている太郎と向き合い、自身また、とても成長していることがわかる。この女性の母性は、相変わらずだ。花村小説の原形とも言える女性像の核とも言うべき存在が、この百合香なのかもしれない。 朧は、太郎を生む素材としての前座に過ぎず、真の王国は太郎の下に始まる、といった大きな展開はここニ作でようやく明らかになってきている。朧こそが、花村萬月私小説とも言うべき『ゲルマニウムの夜』において、主人公あったように、彼こそが王国を育てるものと確信していた読者を、作者は微妙に煙に巻いてみせる。 そればかりか太郎には、特殊な能力がありすぎる。様々な他者の心を読めるばかりか、他者の心をコントロールすることまでもが可能なのである。忍者小説『錏娥哢?』は、超人間的な存在としての忍者の術を遊び心と哲学心が表裏入れ替わるような不思議な小説であったが、『王国記』における能力は、人と神とを隔てる何ものかになってゆく気がする。その能力を、太郎の周囲の人間が誰も疑わず、そして自然に受け入れていること自体が、奇妙でもある。 さらにその三年後を描いた、本書第二中編『煉獄の香り』ではジャンを主軸にして、太郎の修学旅行がエポックとなる作品。太郎は学校に行かないが、既に17歳に成長。花村萬月の現在の棲家であり、過去の住処でもあった京都への愛着はとても深いらしく、『百万遍』では京都そのものが主人公であるような印象まで感じ取られた。本書では、太郎が京都に出かけ、一向は大文字山に登る。そう言えば作者のブログでも、山上からの写真を拝見したような……。 本書では、さらに太郎の弟や妹が生まれる。その名をつけたのが百合香。太郎の弟だから次郎、女は花子。冗談で命名する名前が本当になり、彼らも育ってゆく。一緒に山道を辿りもする。そして宗教的風景の現出。多くの登山客が太郎や花子に付き従うようにして群がり、ともに山を下りて行くシーンは、もはやイエスの下山風景の如し。 平易な文章で綴られた花村萬月の小説集であるが、この後、より一層宗教色を強めて行くのだろうか。だとしたら子のシリーズはどこへ向ってゆくのだろうか。花村文学はどこへ向って歩き続けるのだろうか。 他の作品とは一線を画した、いわゆるブランド作品として注目を集めるだけに(現に地元地方図書館でもリクエスト無しに本シリーズは自動購入されているくらいだ)、興味深いところだ。
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