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詩・ことば・人間 講談社学術文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 講談社 |
発売年月日 | 1985/02/01 |
JAN | 9784061586727 |
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詩・ことば・人間
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著者の『現代芸術の言葉』、『言葉の出現』(以上、晶文社)、『ことばの力』、『詩とことば』(以上、花神社)、『私の文章修業』(共著、朝日新聞社)の四冊の著作から、「ことば」をテーマにした文章を再録した本です。 著者は、人間がことばを所有しているのではなく、人間がことばによって所有...
著者の『現代芸術の言葉』、『言葉の出現』(以上、晶文社)、『ことばの力』、『詩とことば』(以上、花神社)、『私の文章修業』(共著、朝日新聞社)の四冊の著作から、「ことば」をテーマにした文章を再録した本です。 著者は、人間がことばを所有しているのではなく、人間がことばによって所有されると考えます。「いのちとリズム」というエッセイでは、われわれが詩や歌のなかに「宇宙のリズム」を感得し、それは宇宙的な生命現象との「共振・共生・共滅」だと述べられます。こうした意味で、われわれはことばという宇宙のなかに包まれていると著者は主張します。 しかしこうした発想には、宇宙的な生命を実体視してしまう危険性がつきまとっているともいえます。著者の議論は、そうした危険性に対してやや無頓着ながらも、興味深い論点を提示しながら展開されていきます。なかでも興味深く読んだのは、われわれが使っていることばは氷山の一角のようなものであり、海面下に沈んでいる心をほんのわずかにのぞかせる窓であるという議論でした。著者は、これは傑作だからぜひ読んで見るとよい、とひとにすすめられて読んだ古典的傑作が、退屈に感じて投げ出してしまったという体験を語ります。古典と呼ばれるような作品のことばは、ごくささやかで当たり前のものの連なりにすぎませんが、そうした平凡なことばの背後に、それまで水面下に隠れていた大きなものが感得されるときがあると著者はいいます。このようなとき、ひとは古典がもつ豊かな作品世界に入り込むことになります。そのことばは、そうした豊かな世界をわれわれに提示する「贈り物」であると著者は論じています。 著者はまた、フランス語で「贈り物」を意味するcadeauが、元来「大文字」を意味しており、その後「男が女の気を引くために贈られる言葉」を意味するようになって、一般に「贈り物」を意味するにいたる経緯に触れています。おそらく著者は、ことばという宇宙にわれわれが囲い込まれているというスタティックなイメージではなく、むしろことばによってわれわれの前に豊かな世界が次々と開示されていくというダイナミックなイメージによって、われわれとことばの関係を理解していたように思われます。そうしたことばの「運動」が、「宇宙のリズム」という著者の考えの真意だったのかもしれないと思います。
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土井先生の推薦書 37 土井先生にはかなわない。 5 事物が自分から引き出してくれる言葉で ★37 京都の嵯峨に住む染色家、志村ふくみさんの仕事場で話していた折、・・・実際は・・・あの黒っぽいゴツゴツした桜の皮から、この美しいピンクの色がとれるのだという。・・・この桜色は、...
土井先生の推薦書 37 土井先生にはかなわない。 5 事物が自分から引き出してくれる言葉で ★37 京都の嵯峨に住む染色家、志村ふくみさんの仕事場で話していた折、・・・実際は・・・あの黒っぽいゴツゴツした桜の皮から、この美しいピンクの色がとれるのだという。・・・この桜色は、一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花の咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな、上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ。 54 宇宙のリズム 60 リズムは、何よりも呼吸 81 学校の教師は、学生に毎日より多くの言語体系を移植しようと励む人々 122 4枚分ほどの文章を一度に見渡せるというのは、大事。(駆け出し期) ★157 言葉の教育は、最も重要な教育となる。 貧弱な言語教育は、貧弱な人間を必然的に作り上げる 162 写真の発明は絵画に打撃を与えたが、絵画に自由な発想を与えた 237 読めない→読みたくない→読まない 266 人間に言葉がある限り、滅びるはずはないものであった。 言葉こそ、人類不滅の創造であり、同時に創造力そのものだったからである。 289 言葉は氷山の一角。その水面下に人の心がある 270 見えるものは、見えないものにさわっている。 それと同様に、聞こえるもの、考えられるものも。
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幼稚園児の甥っ子を相手すると、男の子らしく、頭突したり、蹴りを入れたり、乱暴な一面もある。 その理由は、まだ言葉による会話で自分の感情を表現する技術が足りないので、嬉しいという気持ちの表現を、ボディランゲージでカバーしているのだろうと思う。 大岡信の本「詩・ことば・人間」の一節に...
幼稚園児の甥っ子を相手すると、男の子らしく、頭突したり、蹴りを入れたり、乱暴な一面もある。 その理由は、まだ言葉による会話で自分の感情を表現する技術が足りないので、嬉しいという気持ちの表現を、ボディランゲージでカバーしているのだろうと思う。 大岡信の本「詩・ことば・人間」の一節にこんな話がある。 ある日本人の芸術家がドイツ人女性と結婚して坊や1人ができて、パリで暮らしていた。 著者が4歳の坊やに会ってみると、坊やは並外れて神経質で粗暴な行動を取る。 その理由は、両親が互いに話せるフランス語しか喋らず、坊やは両親の母国語でないフランス語をマスターせざるを得ず、貧弱な語彙しかなく、長いセンテンスの言葉を話せない。だから、坊やの話し方は、何か叫ぶような調子で、それが神経質な感じになっていた。 しかし、その坊やが諸事情で日本に住むことになり、幼稚園でたくさんの友だちができると、神経質で孤独な感じがまるで拭い去ったように消えていて、普通のわんぱくな子供になっていた、と。 嬉しい、悲しい、という自分の気持ちを日本語で表現し、他人と共有できるレベルになっていたのだ。 この話の結論は、母国語と言う言葉の習得は、単に意志の伝達手段だけでなく、一人の人間の人格の問題に根源的に関わっている、と。 つまり、言葉は人格的現象である、と。 そんな話を思い出しながら、男の子よりも女の子の方がませて見えるのは、おしゃべり好きで、言葉を操る技術を早い段階から習得するからだろう、と思ったりする。
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