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徳川昭武 万博殿様一代記 中公新書
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 1984/12/18 |
JAN | 9784121007506 |
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徳川昭武 万博殿様一代記
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徳川昭武 万博殿様一代記
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慶喜の異母弟昭武の事跡。 渋沢栄一が昭武のパリ万博に随行したことから興味を持ち読んでみた。 著者は昭和55年秋に昭武自筆の遺稿に触れ、それをもとにほかの関係者の資料もふまえ、パリ万博派遣から帰国後、明治42年に亡くなるまでを記述。 昭武は穏やかな性格なのか。また素直で勉学にも...
慶喜の異母弟昭武の事跡。 渋沢栄一が昭武のパリ万博に随行したことから興味を持ち読んでみた。 著者は昭和55年秋に昭武自筆の遺稿に触れ、それをもとにほかの関係者の資料もふまえ、パリ万博派遣から帰国後、明治42年に亡くなるまでを記述。 昭武は穏やかな性格なのか。また素直で勉学にも励んだようだ。公式行事が済むと、勉学に専念し、途中からはフランス語で日記をつけている。写真が載っている。流れるような筆記体である。 パリ派遣については渋沢栄一「御巡国日記」「巴里御在館日記」、杉浦愛蔵・渋沢栄一「航西日記」は知っていたが、山内六三郎(通弁御用)「五大州巡行記」 高松凌雲(奥詰医師)「洋行記事」など、新たな資料もあることが分かった。 パリ随行員 御附添役々名面左通り 御勘定奉行格外国奉行 向山隼人正(一履 42歳) 御作事奉行格御小姓頭取 山高石見守(信離 27歳) 歩兵奉行 保科俊太郎(正敬 25歳) 外国奉行支配組頭 田辺太一(37歳) 同 調役 日比野清作 同 調役 杉浦愛蔵(譲 33歳) 同 調役並出役 生島孫太郎 御儒者次席翻訳方頭取 箕作貞一郎(麟祥 22歳) 通弁御用 山内六三郎(堤雲 29歳) 民部大輔殿御附 大御番格砲兵差図役頭取勤方 木村宗三 御勘定格陸軍附調役 渋沢篤太夫(栄一 28歳) ◇水戸 小姓頭取 菊池平八郎(水戸侍) 井坂泉太郎(水戸侍) 奥 詰 加治権三郎(水戸侍) 皆川源吾 (水戸侍) 大井六郎左衛門(水戸侍) 三輪端蔵 (水戸侍) 服部潤次郎(水戸侍) 奥詰医師 高松凌雲(32歳) 大砲差図役勤方 山内文次郎(勝明) 世話係 長崎のフランス領事レオン・デュリー イギリス公使館通訳でプロシア人 アレクサンドル・フォン・シーボルト(フランツ・フォン・シーボルトの長男)の2名が休暇帰国で同行 フランスで通訳メルメ・カション 1984.12.20発行 図書館
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徳川昭武というのは、慶喜が最もかわいがった弟である。昭武はこまめに日記をつけた人で、その日記を託された須見氏が、日記を繙くとともに、昭武に同行した渋沢栄一の日記、時代背景をいれつつ書き下ろしたのが本書である。本分は実に読みやすく、一気に読み終えた。昭武はまめに日記はつけているが、...
徳川昭武というのは、慶喜が最もかわいがった弟である。昭武はこまめに日記をつけた人で、その日記を託された須見氏が、日記を繙くとともに、昭武に同行した渋沢栄一の日記、時代背景をいれつつ書き下ろしたのが本書である。本分は実に読みやすく、一気に読み終えた。昭武はまめに日記はつけているが、弱冠14歳で、日記のスタイルもあまり感情を加えず書いているし、観察眼もするどくない。それでも、ところどころに少年らしい質問を夾んだりしていて、応対側には聡明な君主と映ったようだ。幕末では、幕府を援護するフランスと、薩摩等を援護するイギリスの確執があり、フランスでの接待も時にその影響を受けてはいるが、イギリスの応対もなかなかのもので、ロシアなどに相手にされなかったことを除けば、昭武は総じてヨーロッパで歓待を受けたといえる。昭武は本来フランスに残り、フランス語をきわめようとしたのだが、おりしも幕府倒壊の時期にあたり、途中で日本へ引き揚げてくる。そのあとも昭武はフランス行きを希望していたが、結局は陸軍少尉として何年か働くことになる。昭武がアメリカへ洋行したのは、そのあとのことであった。こんなふうに徳川慶喜の弟でありながら、若くしてヨーロッパを巡航した昭武は、幕府崩壊後も明治天皇にかわいがられる。もっとも個人的にはいろいろ不幸がおそうが、58歳で亡くなるまで、慶喜とはよい関係を維持する。当時の高官の遊びというのは猟で、今では考えられないほど獲物が捕れたそうだ。優雅な時代である。
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