- 中古
- 書籍
- 文庫
パルタイ 新潮文庫
定価 ¥539
495円 定価より44円(8%)おトク
獲得ポイント4P
在庫なし
発送時期 1~5日以内に発送
商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2004/08/05 |
JAN | 9784101113074 |
- 書籍
- 文庫
パルタイ
商品が入荷した店舗:0店
店頭で購入可能な商品の入荷情報となります
ご来店の際には売り切れの場合もございます
お客様宅への発送や電話でのお取り置き・お取り寄せは行っておりません
パルタイ
¥495
在庫なし
商品レビュー
3.4
19件のお客様レビュー
ネットからの引用だが、「パルタイ(Partei)」とはドイツ語で「党」を意味し、当時の左翼勢力、特に新左翼勢力が「ブント」、「セクト」などカール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルスの影響からドイツ語を多く用いていたことの反映であり、「党」とは作中で明言こそされていないが、明確に日...
ネットからの引用だが、「パルタイ(Partei)」とはドイツ語で「党」を意味し、当時の左翼勢力、特に新左翼勢力が「ブント」、「セクト」などカール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルスの影響からドイツ語を多く用いていたことの反映であり、「党」とは作中で明言こそされていないが、明確に日本共産党の暗喩である、とある。 本書は短編集だが、暗喩、メタファーが多い。尻尾の生えた人間、蛇を飲み込んだ男、貝のような部屋で暮らす女。世界観は労働者階級のオルグだが、これらのメタファーが何を示すのか。読みながら考えたが、答えにたどり着く前に思考にノイズが入る。つまり、メタファーを弄する時代や作家への欺瞞と、それを探る面倒臭さ、だ。 表現の自由が無い、暗喩を用いざるを得ない時代の事なら分かる。あるいは、詩的な表現で読み手に解釈の幅を持たせたい場合。しかし、それ以外の寓話化は、筆者固有の視点を正当化させ、大衆化するための作為的な所作に近い。それが政治問題なら、尚の事。 後付けの解釈でインテリを気取るのは衒学的だし、読み手に解釈を委ねて真意は異なるのだとニヤリとするなら悪趣味。なので、へそ曲がりを真っ直ぐにして、単純に小説として読んだという話だが、これはこれで面白かった。読み方を変えるだけで、大江健三郎っぽさが、川上弘美っぽさに変わる楽しさ。いや、「蛇を飲む」で「蛇を踏む」を思い出しただけという話もあるが…。
Posted by
抽象性に拘った表題作は地味ながら1番良かった。 他の数話はカフカ、安部公房等の水割りをした様に感じてしまった。 言葉選びは女性ならではの繊細さがあり、より自身の色が出た他作を読みたいと思った。
Posted by
表題作「パルタイ」を含む5編の短編から成る短編集。ここでは、表題作の「パルタイ」にのみ触れる。 文庫本の裏表紙に、「パルタイ」のあらすじが、下記のように記載されている。 「革命党」に所属している「あなた」から入党をすすめられ、手続きのための「経歴書」を作成し、それが受理されると...
表題作「パルタイ」を含む5編の短編から成る短編集。ここでは、表題作の「パルタイ」にのみ触れる。 文庫本の裏表紙に、「パルタイ」のあらすじが、下記のように記載されている。 「革命党」に所属している「あなた」から入党をすすめられ、手続きのための「経歴書」を作成し、それが受理されると同時にパルタイから出るための手続きを、またはじめようと決心するまでの経過を、女子学生の目を通して描いた。 この短編は、倉橋由美子のデビュー作である。 明治大学在学中に大学の学長賞に本作で応募し、入選したもの。選者の文芸時評での推薦により話題となり、「文學界」に転載され、また、芥川賞候補となった作品。書かれたのは、1959年。「文學界」に転載されたのは、すなわち、倉橋由美子の文壇デビューとなったのは、1960年のことである。 小熊正二の「1968」を読んでから、当時の(あるいは、前後の)学生運動を扱った小説をいくつか読んでいる。三田誠広の「僕って何」や、島田雅彦の「優しいサヨクのための嬉遊曲」である。その流れで、本書も手にとったもの。 「パルタイ」とは、党・政党・党派の意味で、特に共産党を指して用いられた言葉であるらしい。この物語が書かれた当時、「パルタイ=党」といえば、日本共産党を指していたということであり、パルタイへの入党手続(あるいは、これからの退党手続)とは、日本共産党へのそれを指していたのだ。しかし、この物語は、政治的な問題を主題にしたものではないし、日本共産党に対して何らかの意思(賛同とか批判)を表明することを主題にしたものでもないと私は理解した。せっかく入党が認められたのに退党手続をすぐにとろうとするのは、もちろん、その党(日本共産党)に対して批判的な言動ではあるが、その批判の理路を物語にするというよりは、むしろ、もっと、主人公の女子学生の内面の変化(それが何であれ)を描いたもののように感じた。
Posted by