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マンスフィールド短篇集 新潮文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 新潮社 |
発売年月日 | 2008/06/01 |
JAN | 9784102048016 |
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マンスフィールド短篇集
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3.6
12件のお客様レビュー
名高い『園遊会』を含む15編の短編集。 マンスフィールドはウルフと同じく「意識の流れ」を重視した作家らしい。日常に潜む人生の影、みたいなものを描いた作品が多いゆえたしかに心理重視であると同時に、映像的な印象も受けた。 たぶん、意識の流れ小説ってワンカメの映像に似てるんだと思う。登...
名高い『園遊会』を含む15編の短編集。 マンスフィールドはウルフと同じく「意識の流れ」を重視した作家らしい。日常に潜む人生の影、みたいなものを描いた作品が多いゆえたしかに心理重視であると同時に、映像的な印象も受けた。 たぶん、意識の流れ小説ってワンカメの映像に似てるんだと思う。登場人物の目にしたものや周囲を次々と描写され、それとともに移ろう意識が語られるから。
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「しまった、また既に読んでる本を借りてしまった」と思ったが、一応はダブってはいなかった。ハードカバーで「傑作短編集(不機嫌な果実)」というのを読んでいて、それとの違いに全く気づかないという。どちらも極端に短い短編で、なんつーかな、病は気からじゃないけど、一日へとへとになるまで働い...
「しまった、また既に読んでる本を借りてしまった」と思ったが、一応はダブってはいなかった。ハードカバーで「傑作短編集(不機嫌な果実)」というのを読んでいて、それとの違いに全く気づかないという。どちらも極端に短い短編で、なんつーかな、病は気からじゃないけど、一日へとへとになるまで働いたり、絶対向こうが間違っているのに、「申し訳ありませんでした」とか尊厳あげてやるアピールなどをして神経すり減らして生きていると、この人を絶賛しているヴァージニア・ウルフも含め、「私は繊細です表明」を高らかにされたところで、どさーっと疲れが来るというか。多分こういうのは田舎の閉鎖的な土地に住む箱入り娘にしか共感されないと思う。
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最近では『不機嫌な女たち』が出版されたりして再び注目されているキャサリン・マンスフィールドの短編集。 代表作『園遊会(The Garden Party)』は学生の頃、授業で原文を読んだことがあって好きな作品。 華やかな園遊会のすぐ隣にある貧困と死。恋人の手紙に翻弄され...
最近では『不機嫌な女たち』が出版されたりして再び注目されているキャサリン・マンスフィールドの短編集。 代表作『園遊会(The Garden Party)』は学生の頃、授業で原文を読んだことがあって好きな作品。 華やかな園遊会のすぐ隣にある貧困と死。恋人の手紙に翻弄される『声楽の授業』のように、喜びと表裏一体の哀しみ。 表紙のカバーは勝本みつるさんによるものだそうですが、モノクロにバラの赤だけが色づくように、人生に差す光と影をさらっと描写する短編群です。 訳者の安藤一郎さんが解説で「詩的な散文」と評するように、マンスフィールドの文体はポエティックで、語り手がするっと変わったり、風景描写と心理描写が交錯していたりするので、おそらくとても訳しにくい。 授業のときに使っていたテキストをひっぱり出して原文と訳文を照らしあわせながら読んでみましたが、簡単な英語しか使われていないのに解釈しにくい。 (「パッションフルーツのアイス」が「トケイソウの実が入ったアイス」となっているのは時代だな〜) マンスフィールドの中では一番長い作品という『湾の一日(At the Bay)』は、避暑地に集う人々を交互に描いたモンタージュのような作品。親交があったというウルフの『ダロウェイ夫人』にもちょっと似ている。無邪気な子供たちと、裕福でありながら人生を諦めているかのような大人たち。 以下、引用 あちこちにある、丸い木杭にーそれは巨大な黒い茸の茎のようだったー角燈(ランタン)が下がっていたが、角燈は、その臆病なふるえる光を一面の暗闇にひろげることを、恐れているようだった、まるで自分だけのためのように、静かに燃えていた。 そうすると、この初めての舞踏会は、結局、最後の舞踏会の始まりにすぎないのだろうか? ああ、物事はなんと急に変ることだろう! 幸福は、なぜ永久につづかないのだろう? 永久だって、ちっとも長すぎることはないのに。 「まあ、ああいう男の人は!」と彼女は言った、そして、ティーポットを洗い桶の中に突っこんで、ブクブクいうのがとまってからも、なお水の下に沈めておいた、あたかもこのティーポットも男の人で、水に溺れて死ぬのがけっこうすぎるくらいだと思うかのように。 午前の時間がたつにつれて、あらゆる群れが砂丘をこえてあらわれ、水浴のため渚へ下りてきた。十一時になると、別荘地の婦人と子供たちで海を占領したことになった。初めに婦人たちが着物をぬぎ、水着をつけて、頭をスポンジ袋のようにぶかっこうな帽子でおおった。それから子供たちの服のボタンをはずした。砂丘には着物や靴の小さな山が散らばっていた。飛ばないように足を上へのせてある大きな夏帽子は、巨大な貝殻のようにみえた。この踊り跳ね、笑いあう人々が波の中へ走りこむと、ふしぎにも、海までが違った響き方をするようだった。 「まあ、あんたは、なんてかわいいきれいな体なんでしょう!」とハリー・ケンバー夫人が言った。 「いやだわ!」とベリルはおだやかに言った。だが、靴下を片方ずつぬぎながら、自分のかわいくて、きれいなことを感じていた。 それなら、どうして、ただの花にすぎないものが? だれがこういうものすべてを造る骨折りーあるいは喜びーをもつのだろう、この際限なく棄て去られるものを……それがうす気味悪かった。 彼女は自分も一枚の葉のように感じるのであった。「人生」が風のようにやってきて、彼女はそれに捉えられ、ゆさぶられた。彼女は行かなければならない。 子供を産むことは、女の当り前の道だと言うのは大変もっともである。だが、それは本当ではない。他人はどうでも彼女自身としては、それが間違っていることを証明できる。子供を産むことによって、みじめになり、体も衰え、気力がなくなってしまった。しかも、二重に耐えがたく思うのは、彼女は子供たちを愛することができなかった。そうでないようなふりをしたって、だめなのだ。 「だれでも死ぬことになるの?」とキザイア。 「だれでもよ!」 「あたしも?」キザイアの言い方は、とても信じられないというようだった。 「いつかはね」 「でも、おばあちゃん」キザイアは左の脚をゆすって、その足先をふり動かした。それは砂っぽかった。「あたしが死にたくないんだったら?」 老婦人は、また溜息をついて、毛糸の玉から長い糸をひっぱり出した。 「わたしたちはみんな、自分の意志などきかれないのよ、キザイア」と老婦人は悲しげに言って、「遅かれ早かれ、いつかはそういうことになるんですよ」
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