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NHK短歌 作歌のヒント
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NHK短歌 作歌のヒント

永田和宏【著】

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NHK短歌 作歌のヒント

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 日本放送出版協会
発売年月日 2007/12/20
JAN 9784140161586

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商品レビュー

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2017/08/24
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※このレビューにはネタバレを含みます

p8 どうでもいいことの大切さ 歌は感動を歌う者ですから、できるだけ深いか引導を与えてくれた場面や情景を詠みたいとはだれもだ思うことです「。登園のことでしょう。どうでもいいよ8なことなあ、わざわざ歌にしなくてもいい。  しかし、深い感動を呼ぶような、十駄う名出来事だけを詠むのが歌でしょうか。投稿歌を読んでいていつもざんえんい思うのは、あまりにも歌らしい場面をさくしゃが探しすぎているという点です。歌はこういうものだけあらかじめ決めてかかって、そんな〈短歌的な〉場面ばかり探してい、あるいはそんないかにも情の深い、浪花節的な場面を作りすぎていると、感じることああまりに多い。  もと日常のなんでもない事物 、なんでもない風景を面白rがってみてはおうだろうか、と思うわけです。人あ気が付かないようなさりげないものをおもしろがってみる。 p31 「写生」は選択である。-捨てることで際立つ像 近代短歌の中心にあり、それを牽引してきたのは「アララギ」という集団に拠る歌人たちでした。そこに集まった歌人たちは、正岡子規以来、伊藤左千夫、小泉千樫、長塚節、中村憲吉、斎藤茂吉、そして土井文明と、その名は、およそ歌を作ろうというほどの者であればだれでもしっているはずのビッグネームであるといっていいでしょう。あるいは文明以後の世代を見ても、柴生田稔、佐藤佐太郎、吉田正俊、五味保義らから近藤芳美、高安国世まで、およそこれだけの可人を擁した結社は近代に置いて例を見ないをいって間違いありません。  その「アララグ」が平成九年(一九九七}に突如、明治四一(一九〇八}年に創刊以来九〇年にもわたる歴史を閉じることになったことは歌壇に大きな驚きを持って迎えられたのでした。  よく知られているように「アララギ」のもっともおおきな指導理念は「写生」という言葉に集約されます。それは一結社「アララギ」の理念ではありますが、近代短歌を考える上で、エコール(学派・流派)を問わず、無視することのできない大切な問題を含んでいる概念、方法でありました。この章では「写生」ということにnついて考えてみたいと思います。  写生というと真っ先に引き合いに出されるのが、斎藤茂吉に寄る写生の定義でしょう。 実装に観入して自然・自己一元の生を写す。これが短歌上の写生である。 斎藤茂吉『短歌写生の説』 p37  式地震、つぎのように言っていることからも写生とは選択であるという私の言葉は少しは裏付けられるのであはないでしょうか。 写生といひ写実といふは実際のまゝに写すに相違なけれども固より多少の取捨選択を要す。取捨選択とは面白い處を取りて、つまらぬところを捨つることにして、必ずしも大を取りて小をステ、長を取りて短を捨つる事にあらず。 正岡子規『叙事文』 念を入れない、駄目を押さないp41 読者を信用しましょう、みたいな内容だった。単純化の大切さ

Posted by ブクログ

2011/10/07

「歌の素材」、「発見の条件」、「小さな具体の大切さ」、「単純化の大切さ」などのテーマを立てて、作歌のヒントを分かり易く説いています。

Posted by ブクログ

2008/02/27

読了してから書く読書録ですが、読み切る前に(つまり大したネタがない)。 永田和宏「作歌のヒント」。短歌の指南書です。 アタシ旧かなづかいは使わないし、小難しいのかしら、とヒヤヒヤしながら 開いたのだけど、これ、タメになります。 そうだよなぁ、だったらあれもこれももうひとひねりで...

読了してから書く読書録ですが、読み切る前に(つまり大したネタがない)。 永田和宏「作歌のヒント」。短歌の指南書です。 アタシ旧かなづかいは使わないし、小難しいのかしら、とヒヤヒヤしながら 開いたのだけど、これ、タメになります。 そうだよなぁ、だったらあれもこれももうひとひねりできるよなぁ、ということになり、 作りかけの歌がああでもない、こうでもないと。 でも推敲しすぎると出来たての勢いが削がれてしまうこともあるという…ふへー。 先生は「他者の眼で自分の歌を見なさい」と言われるが それに気を取られ過ぎると、この本に書いてある通り 「ひとりでオチまで言ってら」という読んでつまらない歌にもなるらしい。 あぁわかる。 そんなわけでお仲間題詠の課題も溜まったままです。 2月はチョコだったのに、食べてるわりに歌は出てこないっちゅー! 短歌って、こういう気持ちなんだろうなぁ、ということを形容詞を使わずに 具体的な描写なんかで表さなきゃいけないわけで、 となると、この微妙な気持ちがどういうものなのか、 まず自分の中で、まとまってなきゃダメなんだろうなぁ。 あ、本の中身から外れるけど、最近自覚してるのはアタシのクセというか性格から 「アタシはこう思う、こうした、こうでしょ」みたいな押しつけ感が 歌に現れること。怖いねぇ。 会話の主導権を無理やり持ってくなぁ、しかも面白くねぇのにって人が たまにいらっしゃいますが、それにイラつくのは自分もその気があるからだよね 脱線ながら反省。  この気持ち どう掬おうか詠おうか 水溜まり越しの雲は重たく  軽ーい気持ちで作れなくなってる。どないすんねん!?

Posted by ブクログ