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神道概説
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 学生社 |
発売年月日 | 2007/12/05 |
JAN | 9784311203121 |
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神道概説
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商品レビュー
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2件のお客様レビュー
日本のことを知りたいと思い、手にとった一冊でした。神話のことだけでなく、様々な観点から神道について言及してくれるので、とても見応えがありました。日本書紀と古事記の記し方の違いや、黄泉の国のような死後の世界の捉え方、活私奉公の考え方など読書をしなければ気づけなかった価値観に触れるこ...
日本のことを知りたいと思い、手にとった一冊でした。神話のことだけでなく、様々な観点から神道について言及してくれるので、とても見応えがありました。日本書紀と古事記の記し方の違いや、黄泉の国のような死後の世界の捉え方、活私奉公の考え方など読書をしなければ気づけなかった価値観に触れることができて良かったです。
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神道といえばいわずと知れた日本の民族信仰です。本書はその全体像を描くことを目的として書かれた、特に珍しくない本・・・かと思いきや、この手の本のなかでは少し異彩を放っています。つまり本書は「神道は宗教である」という立脚点を持った珍しい本なのです。 「神道は宗教か」――この、普通に生...
神道といえばいわずと知れた日本の民族信仰です。本書はその全体像を描くことを目的として書かれた、特に珍しくない本・・・かと思いきや、この手の本のなかでは少し異彩を放っています。つまり本書は「神道は宗教である」という立脚点を持った珍しい本なのです。 「神道は宗教か」――この、普通に生活している人から見れば何をいまさら、と言いたくもなるような命題に、これまで神道界は真正面から取り組んだ形跡が、外からはまるで見ることができないのです(当人たちはおそらく本気で取り組んでいるのでしょうが)。戦後になって、折口信夫が「神道の友人よ」と呼びかけ、神道よ宗教たれと叱咤して半世紀。ようやくこの問題への取り組みを社会へとアピールし始めたという点で、本書は十分評価に値すると私は思います。著者は冒頭で「神道は宗教か」と1章を設けて考察し、その後も、いわゆる儀礼や祭祀の説明とともに、神道が人間社会をどう切り取ってきたのか、逆に社会の中でどう位置づけられるのかを考察しています。 たとえば神道という立場から社会福祉をどう考えるのか。著者は、長い歴史の中で社会福祉の分野は他の宗教に任せきりであったことを素直に認め、これから考えるべき問題だと指摘します。またたとえば、神道は自然や人の生死、この世ならざる世界などをどう捉えてきたのか。これも、今までないほどに真正面から見据え、「死者」ではなく「死」そのものを穢れとして扱う世界観などを描いていきます。どれも宗教がぜひとも世に発信すべきテーマであり、これからも考え続けねばならない問題ばかりです。宗教間対話が求められる現代にあって、明治以降仏教を排斥した祭祀を行ってきた神道は、この先もその祭祀形態を維持していていいのか。あるいは、地域共同体がその役割を失った今、氏子に支えられてきた神道組織はそこにしがみついたままでいいのか。問題は山積みなのですが、そういったことに神道の当事者らが気づき始めたことを、本書は示しているようにも思うのです。 とはいえ、まだまだ過去の揺り返しは根強く影を落としています。著者自身も「神道は一般の宗教の概念だけではとらえられない、・・・生活に根ざした」ものという故高円宮さまのお言葉を引用し、その一貫性の揺らぎを見せています。私の思うところ、宗教とはそのような狭量なものではなく、人の習慣や道徳、倫理、秩序などあらゆる生活の側面を抱合したものであり、逆に言えば、そうしたものを含まないような宗教は存在し得ないと思います。先のお言葉を発せられた高円宮さまのご真意は私には分かりかねますが、神道家たちが「自分たちの信仰は宗教だ」というならば、宮さまのお言葉一つだけを(文脈を提示することなく)切り取ってそこにしがみつくのでなく、早くそのような狭い考えから脱却して欲しいと思うのです。神道よ宗教たれ。本書はそこに至る道の半ばまで、彼らがようやく進んだことの足跡と考えるべきかもしれません。 蛇足ですが、本書の末尾で著者は大嘗祭について取り上げ、大嘗祭は天皇が神となる儀式だとする説を「妄説」として糾弾しています。その中で槍玉に挙げられた折口信夫の「大嘗祭の本義」(1928年)という論文について一言。大嘗祭は新天皇が国民を代表して神に豊穣を感謝する祭りであり、「天皇霊」をその身体につける儀式とする折口説はナンセンスだとの著者の主張は、全くそのとおりだと私も思います。そもそも「みこともち」論を大嘗祭に持ち込むこと自体が誤りであり、折口は戦後になって天子非即神論に転じたのだから、この説も折口自身が撤回すべき説だったのではないか。どう考えても折口の落ち度でしょうね。 (2008年11月 読了)
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