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神なるオオカミ(下)
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神なるオオカミ(下)

姜戎【著】, 唐亜明, 関野喜久子【訳】

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神なるオオカミ(下)

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社
発売年月日 2007/11/28
JAN 9784062138505

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商品レビュー

3.8

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2019/11/05

上巻では草原に生きる野生動物たちの生き生きとした描写や驚くような習性をわくわくしながら読んだが、下巻に入った途端、すべての命運が暗く悲しい行く末を示唆するようになり、読み進めるのが本当に辛かった。 主人公の子オオカミへの愛は、最初は共感できるものだったのに、次第にエゴイスティッ...

上巻では草原に生きる野生動物たちの生き生きとした描写や驚くような習性をわくわくしながら読んだが、下巻に入った途端、すべての命運が暗く悲しい行く末を示唆するようになり、読み進めるのが本当に辛かった。 主人公の子オオカミへの愛は、最初は共感できるものだったのに、次第にエゴイスティックな「執着」に変わってしまう。自分の「夢」がどんなに利己的なものかを直視せず、温厚な老人が激怒しても、それでも手放そうとしなかったのには本当に驚いてしまった。 鎖につながれて体中傷だらけの子オオカミが感じていたであろう「痛み」と、老人(ビリグ爺さん)が全人生をかけて守っていたものがすべて失われていき、それを見る老人が感じる「痛み」、この二つの痛みがあまりにも大きすぎて、読んでいると涙がこみあげてきて、でも、なんだかうまく泣くことができなくて、私にはとても辛い読書だった。 何十年も経て、草原を再び訪れた主人公が「小狼にしたことは今もずっと後悔し続けている」と激しい口調で心情を打ち明けていたが、この男は、もし人生をやり直せたとしても、やはり同じことをするんじゃないだろうか、と私は思う。 小狼を自由にする機会は何度もあったのに、彼は結局、いつも迷わず「エゴ」の方を選んでいる。(迷った様子は見せているけれど、本心は迷っていない) 私にはそこが最後までどうしても理解できなかったけれど、それは「知りたい」と思う気持ちが異常なまでに強い人間の「性」なのかなとも思う。そういう人を、通常はマッド・サイエンティスト、なんて呼んだりするんだけれど。 ところで、エピローグの後に続く「オーカミ・トーテムについての講座と対話」は完全に蛇足だった。 なんなんだ、このたわごとは!!(笑) 中国の歴史は、「狼性が羊性をほんの少しだけ上回った時、非常に繁栄する」って、どう考えても後付けのこじつけでしょう。 血液型性格診断と同レベルのくだらなさ。 この程度のこじつけは歴史を見渡せばいくらでも見つけられると思う。(日本はオオカミ性が強いんですって。笑) 物語が始まってからずっと、主人公はところどころでこの独自理論を何度も長々と語る。読んでいて、「このしょーもないエセ歴史語りがなければ5点満点の本なんだが・・・」とすでに十分うんざりしていたのだが、それでは飽き足らず、最後にドカンとまとめてまた同じ話を聞かされるとは! こういうのを「著者がトチ狂った」と言うのだと思う。5章にもわたって展開されているのには心底驚いた。ここを読んで、「この本を人に勧めるのはやめよう・・・」と思った。はっきり言って、著者の洞察能力に大いに疑問を感じることになっただけのページだった。 その長大な文字数に、作者が「本気」だということが分かって、余計に引いた。

Posted by ブクログ

2018/06/15

エピローグは別の機会に読みたかった。興味深い部分ではあるが、このテーマ、本書で持ってくることはないと思う。オオカミが時々こじつけに思えてしまう。また対話方式で読ませる必要はなく、一人称で文章を仕上げた方が自然だ。会話部分が上・下巻とも緩慢で間延びした感じで残念に思った。「神なるオ...

エピローグは別の機会に読みたかった。興味深い部分ではあるが、このテーマ、本書で持ってくることはないと思う。オオカミが時々こじつけに思えてしまう。また対話方式で読ませる必要はなく、一人称で文章を仕上げた方が自然だ。会話部分が上・下巻とも緩慢で間延びした感じで残念に思った。「神なるオオカミ」なのだから文体にも緊張感と静謐さがあったらいいのにと。 とにかくたくさんの漢字を読んだ。登場人物に何度も丁寧にルビが譜ってあることには読みやすくて好感が持てます。

Posted by ブクログ

2012/03/08

生命の真の意味は運動にあるのではなく、戦いにあるのではないか。哺乳類の生命の始まりに、億万個の精子が雌雄を決する精神をもって、一個の卵子をぐるりと取り囲んで攻める。前の者が倒れても後の者がつづき、子宮に精子の死体があふれるほど戦闘を激しく繰り広げる。動くが戦わない、又ぶらぶらして...

生命の真の意味は運動にあるのではなく、戦いにあるのではないか。哺乳類の生命の始まりに、億万個の精子が雌雄を決する精神をもって、一個の卵子をぐるりと取り囲んで攻める。前の者が倒れても後の者がつづき、子宮に精子の死体があふれるほど戦闘を激しく繰り広げる。動くが戦わない、又ぶらぶらして突撃しない精子たちはすべて無情に淘汰され、尿とともに体外に排泄される。もっとも頑強な戦闘力を持つ勇士、一個の精子だけが、億万個の同胞兄弟の死体を踏み、勇猛果敢に奮戦し、卵子に攻め込み、それと結合して、新しい人間の生命の胚胎になる。その間、卵子はたえず液体を分泌し、軟弱無力の精子をすべて殺す。 生命は戦いによってえられるもので、戦闘は生命の本質である。いままで、世界で多くの農耕民族の偉大な文明が消滅したのは、農業が基本的には平和な労働だからである。 しかし、狩り猟と遊牧業、そして航海業、商工業は過酷な猟戦、兵戦、海戦、商戦という競争と戦闘が伴う。今の世界では、先進国の民族はすべて遊牧、航海、商工業をおこなってきた民族の子孫である。二つの大国によって北アジアの寒くて貧しい内陸に封じ込められた、人口の少ないモンゴル民族は、依然として絶滅していない。歴史上の古代エジプト、古代バビロン、古代インドの農耕民族より、明らかに強い戦闘力と生命力をもっている。 「士は殺すべし、侮辱するべからず」。殺すことも拝むこともできるが飼ってはいけない。と、この本は主張する。 確かに一体性の無限と違い、この相対性の有限世界は相手の存在を知ることで自分を確認することができると言う、特殊な場所である。 二つの存在が立ち向かうとき、居残りを掛けた殺し合いへとその摩擦を導くのか、個とその一体感を兼ね備えた切磋琢磨し会う共生社会とするかの、二つの体感があるのではないだろうか。 まず生き物は対等な選択権の中で生存競争を体験し、その暴力から知力をへて物質への依存による数の暴力を開発したことで、自らつくりだした煙幕に巻き込まれる恐怖を体験している。 一時的都合による見せ掛けの仲間、利己的に利用し合うための嘘と詐欺が、シンプルであったはずの相対世界を出口の見えない複雑な詭弁に絡めてしまった。 そのことで、一騎打ちの殺し合いからも手を取り合った切磋琢磨からも横道にそれてしまった。 自律することで共存する過程をネグってしまい、依存だけの強制社会に紛れ込んでしまった。一度手にした欲という安全地帯が恐怖という副産物を伴っていたために、見せ掛けだけの安全地帯だと知った後も手放すことができなくなってしまったのではないだろうか。と私には思える。

Posted by ブクログ

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