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静思余録 講談社学術文庫663
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静思余録 講談社学術文庫663

徳富蘇峰(著者)

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静思余録 講談社学術文庫663

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社
発売年月日 1984/11/01
JAN 9784061586635

静思余録

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2020/07/31

●「衝突、撞着」  ・エルメソン曰く「造化、人を反対の域中に投ず、しかして吾人が安全を得るは、この中にありて巧みに対角線的生活を保つに存す」と。実に知言というべし。 ・人生の世に処するや、極めて寛裕の胸襟をもって事物の表裏両端を察し、常にこの対局に着目せざるべからず。 ●「幽...

●「衝突、撞着」  ・エルメソン曰く「造化、人を反対の域中に投ず、しかして吾人が安全を得るは、この中にありて巧みに対角線的生活を保つに存す」と。実に知言というべし。 ・人生の世に処するや、極めて寛裕の胸襟をもって事物の表裏両端を察し、常にこの対局に着目せざるべからず。 ●「幽寂」 ・人は外界の奴隷なり。人もとより境遇を作れども、また常に外界より造らるるものなり。目も耳も手も足も鼻も神経の感ずるところ、常に外物のために動かされ、常に外物のために支配せらるるを免れざるなり。交際世界の炭酸ガスのために窒息せられずんばやまざるに至る。人は他人の前に出る時は、みな一様にして外交官となるなり、みな幾分の偽善をかすなり。その本来の面目を隠蔽して、その不本来の面目を顕彰せんとするなり。人己に向かって偽善をなせば、己また人に向かって偽善をなす。交際社会とは、またこれ一種偽善の博覧会なるかな。 ・これはこれ極端の議論なり。交際社会必ずしも、偽善の博覧会にあらず。ただその弊は流れてここに至るなり。社会生活もとより利益多し。吾人何の欲するところありて、これを排斥することをせんや。 ・何ぞ試みにこの窮屈なる籠はんを脱して、水のごとき清空に高飛せざる。誰か言う、「山の奥にも鹿ぞ鳴く」(世の中よ 道こそなかれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴く:皇太后宮大夫俊成:世の中というのは逃れる道がないものだ。この山奥に逃れてきたものの、この山奥でも、辛いことがあったのか鹿が鳴いているではないか) 吾人は紅塵こんこんの中に奔競する人士が、時々この声を聞かんことを望むなり。ああ隠者的生活、あに等閑に付すべけんや。 ・隠居的生活の第一は家庭なり。人、家庭に入る。鳥その巣に帰りたるがごとく、獣のその窟に返りたがるがごとく、魚その淵に沈みたがるがごとく、始めてその競争の境界より、そよ虚飾の境界より、そよ権詐百端、雑踏なるよりして、自然にして幽寂なる境界に移るを得るなり。英国の政治家ボルク言えることあり、「門外には寒ぴょう怒号し、満目惨絶なるも、ひとたび門に入れば、あたかも百花の園に進むがごとく、麗日和風、美和を扇ぐのみ」と。 しかれど、これもまたまだ幽寂こと極みにあらず。家内はすなわち隠者的生涯と、社会的生涯の中間に関門にて。こな中には二者の性質を具有する者なり。故にいやしくも隠者的生活に進まんとせば、家庭の外に突進してその世界を索めぜるを得ず。 ・吾人さ隠者。奨励せゆとするにあらず。しかれとも最も労働する人はら最も休息を要するがごとく。最もしゃかの渦中に盤旋する人は、最も社会に遠き境界に、時々移転するの必要を感ずるなり。隠者的の生活は、すなわち人間を離れて天然と親しむにあるなり。バイロンが叫び破りたるがごとく、「人間を愛する少なきにあらず、天然を愛する多きなり」との境遇に身をおくにあり。天然は人に向かって偽善をなさず、故に人もまた天然に向かって偽善をなすの必要なし。人、天然と親しむ時においては、面上三斗の塵、忽焉として消失するなり。胸中一片の霊火、勃然として燃え来るなり。もしそれいよいよ邃(ふか)く、いよいよ親しみ、「道は通ず天地有形の外。思いは入る風雲変態の中」(中国北宋時代の儒学者、程明道の秋日偶成より。暇になってからのんびりゆったりしている。我が道は天地に通じら俗世の外に出る。我が思いは風に流れる雲の中に入り、その移りゆく姿にまかせて伸びやかだ。富貴にして淫せず、貧銭にして楽しむ。男児此に到らば、是れ豪雄。富や地位に溺れず、貧しい中に楽しみを見つけるら、男たるものこの境地に達するならこれこそ豪雄だ)に進まば、これ実に同化したるものなり。この時においてはら天上の星、地上の砂、まな我が朋友なり。水の流るるを見れば、己もまた水をおうて流るるなり。心ここに至りては、機心すでに消磨して、ただ道心を剰(あま)すのみ。 ・しかれども天然と親しむは、未だ幽寂の極みにあらず。何となれば、なお天然の我と交渉するあるなり。この時においては心、下界と纏綿するを免れず。むしろいかんや一室の裡、また玄、また黙、意象極めて分明なるに。この時において意思収縮、凝りて氷のごとし。水晶のごとし。欄星のごとし。敬虔、警発、身はあたかも上帝ほ聖壇に近づきたるを覚ゆるのみ。この時においては社会を離れ、人類を離れ、我を離れ、天然を離る。吾が心は直ちに上帝と一機相通じ、ただ宇宙の中に繋がるを見るのみ。 ●この愛すべき夏日において、天然と親しみ、我心身を健全ならきむるにあるのみ。この目的を達するためには、旅行最も可なり。試みに短褐飄然、至る所の水村山郭を旅行し、あるいは急阪を攀じ、気息喘々、熱汗絞るごごとき時にあたり、路傍の樹蔭に清泉を掬して憩う。この時においてらこの愉快いかんぞや。

Posted by ブクログ

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