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自由に生きるとはどういうことか 戦後日本社会編 ちくま新書

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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 筑摩書房 |
発売年月日 | 2007/11/07 |
JAN | 9784480063939 |
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自由に生きるとはどういうことか
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自由に生きるとはどういうことか
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商品レビュー
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自由の意味合い、求めている自由はその時代によって変わる。戦後の日本は、無政府状態の中で、アメリカから与えられた自由が残り、日本人は本能的な欲求を満たすとことが彼らにとっての自由だった。1960年代からは、自分の中にあるエネルギーを全て出し尽くそうとする思いが強かった。新しい世界を...
自由の意味合い、求めている自由はその時代によって変わる。戦後の日本は、無政府状態の中で、アメリカから与えられた自由が残り、日本人は本能的な欲求を満たすとことが彼らにとっての自由だった。1960年代からは、自分の中にあるエネルギーを全て出し尽くそうとする思いが強かった。新しい世界を作ろうとするが、それはただのエネルギーを出し尽くすための理由でしかなかった。この時の自由は、周りに従うのではなく、自己を徹底的に否定し、新しいものを作ることがこの時の自由だった。 1970年代からは、人々は、管理社会という支配から逃れようとした。管理社会の中で、作られた自由を得てそれで満足するのかそれとも、社会で求められたものと反対に生き徹底的に我とするのかどちらかに分かれた。1980年代ピークに消費者社会は終わり、日本人は目標を失った。目標を失った日本人は、心の中に空白を作ってしまった。そこに入ってきたのが宗教である。グノーシスな考え方が、若者の心の中に入り込みオウム心理教などのカルト集団を生んだ。消費の時代から存在の時代へ移行した時、人々はまだ対応することができなかった。社会は確かに消費時代を超え豊かになった。しかし、彼らの心の中は全く自由ではなかった。自分と言う存在を肯定できず不満を抱え、その不満にカルト集団が入り込むことになった。自分という存在は、世界の中で本当にちっぽけなものだが、そのちっぽけな自分を自分が肯定し、自分はこれでいいんだと思えるかどうかが大切になる。時代にが進むにつれ、人々は自由という意味を外ではなく、内面へと向けて掘り下げていったのかもしれない。まさに今の時代も内面をどう表現するか、そんな創造性が必要な時代になっている。1つ言える事は、現実や目の前の状況に対して肯定できず、幻想や真実を追い求めてしまうと、どこかでうまくいかなくなる。そうではなく、まずは現実を肯定し、その中で自分のできることをしていくことが大切なように思う。 結局、自由に生きるとは、支配から逃れるのではなく、ユートピアを実現するのでもなく、目の前にある現実を肯定し、それに対し何ができるのかを考え実行していく、そんな当たり前なことが自由に生きるということかもしれない。
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作者は北大准教授で、勉強家であるので内容も良く練られていて読み応えがあり、楽しくも読めた。 自由とはを語る、というよりも、様々な時代の若者たちを中心とした人々のムーブメントから自由を見ていく内容。 カストリ雑誌、ロビンソン・クルーソー、あしたのジョー、大松博文、尾崎豊、エヴァ...
作者は北大准教授で、勉強家であるので内容も良く練られていて読み応えがあり、楽しくも読めた。 自由とはを語る、というよりも、様々な時代の若者たちを中心とした人々のムーブメントから自由を見ていく内容。 カストリ雑誌、ロビンソン・クルーソー、あしたのジョー、大松博文、尾崎豊、エヴァンゲリオン、ボボズ、ギークスなど。
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戦後日本社会における「自由」の変遷過程を、『明日のジョー』や尾崎豊、『新世紀エヴァンゲリオン』などのサブカルチャーにも目配りしながら簡潔にたどっている本です。 戦後の日本におけるエロスの解放からはじまり、小泉信三や大塚久雄らの思想を戦前・戦中からの連続性のなかで批判的に捉え返す...
戦後日本社会における「自由」の変遷過程を、『明日のジョー』や尾崎豊、『新世紀エヴァンゲリオン』などのサブカルチャーにも目配りしながら簡潔にたどっている本です。 戦後の日本におけるエロスの解放からはじまり、小泉信三や大塚久雄らの思想を戦前・戦中からの連続性のなかで批判的に捉え返す議論が置かれています。つづいて、全共闘運動における世界革命の精神に、『あしたのジョー』の「真っ白な灰に燃え尽きる」ことの自由が孕んでいる困難を見てとっています。つづいて、尾崎豊やオウム真理教事件、そして『新世紀エヴァンゲリオン』などの社会現象を題材に、一見自由が謳歌されているかのような消費社会のなかで、人びとが「自由」を見失っていったことが論じられ、社会のなかで格差が広がっていく現状において「創造としての自由」を可能にするための条件がさぐられることになります。 「創造としての自由」についての議論は、やや付け足しのような印象もあります。新書ということもあり、読者を元気づけようとする意図で著者があえてこうした書き方をえらんだ可能性もありますが、楽観的な見方にすぎるような気がしないでもありません。
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