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馬ぬすびと 福音館創作童話
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 福音館書店 |
発売年月日 | 1968/04/10 |
JAN | 9784834001358 |
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馬ぬすびと
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商品レビュー
4.2
7件のお客様レビュー
短いお話の中に大切なことが私に伝わってきた。盗人が主人公?と不思議に思ったけれど、読んでみてわかった。なぜ馬をぬすまなければいけなかったのか。 はじめは九郎次の語りで、守護や地頭に作った作物を全部持っていかれ、どうしようもなく貧乏で暗ーい暮らしの様子が語られるが、岩手山の山の姿と...
短いお話の中に大切なことが私に伝わってきた。盗人が主人公?と不思議に思ったけれど、読んでみてわかった。なぜ馬をぬすまなければいけなかったのか。 はじめは九郎次の語りで、守護や地頭に作った作物を全部持っていかれ、どうしようもなく貧乏で暗ーい暮らしの様子が語られるが、岩手山の山の姿と野馬を語る時、急に視界が開けて世界が明るくなる。 山や馬、自然の恵みで、九郎次の心は救われる。 九郎次には、自然への畏敬の念が感じられる。自然に対して、畏敬の念を持っている人は、無駄に人に威張ったり、人の悲しみや苦しさを理解できないというようなことにはならないのではないか?と思った。 民衆には何の力もなく、守護や地頭の言いなりにならなければならない。でも、自然への畏敬の念を持って、それだけから学び、賢く、強くなっていった九郎次は、自分の及ぶ力の範囲で、馬を助けた。 自然から学ぶ強さを知った一冊。
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※このレビューにはネタバレを含みます
鎌倉に新しい都ができて源氏の天下となり、源頼朝が征夷大将軍となった頃のお話。今も鎌倉の寿福寺にこの記録が残っている、という。 馬どころで名高い陸奥の国(岩手県)は南部の、貧しい村に生まれ育った九郎次。血を吐くような辛く苦しい日々の生活の中で、唯一の楽しみは野馬が自由に野を駆け回る姿を眺めることだった。 貧しい村にとって馬は幕府の馬奉行からの預かりもの。村民よりも大事にされる存在で…。 表題にもなっている"馬ぬすびと"。 それは馬を戦の道具としか思わない武士のことなのか、それとも馬を何よりも愛し野に解き放そうとする純粋無垢な九郎次のことなのか。 誰を主体に持ってくるかで善と悪とがこんなにもガラリと変わるものとは。作者の魂の込められたアツい文章にすっかり惹き込まれた。 「馬がよろこべばおれもうれしい。おれの朝から晩までは、馬、馬、馬だ」 馬は神からの預かりもの、と宝物のように想いを寄せ命をもかける九郎次。 人にとって、また馬にとっての本当の幸いについて思いを巡らさずにはいられない一冊。 児童書で終わらせるには勿体ないくらい読み応えのある作品だった。
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乾いた文体や内容が、私が小学生のときに再放送で見た「カムイ外伝」を思い出させた。 奥付けを見ると1968年初版発行と書かれているので、同時代に生み出された2作品に偶然共通する空気感として、“乾いた”と感じたのも納得できる。 だけど今の人に「乾いた」と言ってもイメージできるかな?自...
乾いた文体や内容が、私が小学生のときに再放送で見た「カムイ外伝」を思い出させた。 奥付けを見ると1968年初版発行と書かれているので、同時代に生み出された2作品に偶然共通する空気感として、“乾いた”と感じたのも納得できる。 だけど今の人に「乾いた」と言ってもイメージできるかな?自然の摂理や無常観といった言葉では十分には伝わらない。これはもうカムイ外伝の動画を探して見ればわかるとしか言いようがない。 それともうひとつ、私は「ごん狐(ぎつね)」(新美南吉)も思い出した。 兵十が採ったうなぎを失敬したごんが悪いのか、改心したごんを知らずにこらしめた兵十が悪いのか。でもどちらが悪いなんて簡単には断定できない。2作品とも、お仕着せの道徳観では読み解けない両義性という難問が、悲しい物語という見えやすいテーマに透かし彫られているところが共通している。 ごん狐と同じ視点から馬ぬすびとを見てみよう。 主人公の九郎次は馬を盗もうとしたので悪人であり、罰せられても当たり前なのだろうか?だが九郎次はこう思ったに違いない-「武士は野を自由に駆ける馬を捕まえて自分のものにしようとしたのだから間違っている。俺は捕えられた馬を解放しようとしただけだ」と。 野生の馬を我欲により捕まえた武士が悪なのか?それとも、武士の所有物となった馬を奪おうとした九郎次が悪なのか? 言い方を変えよう。政治を行うために馬を利用しなければならず、そのためやむを得ず馬の自由を奪わざるを得なかった武士は許されるのか?それとも、不本意に捕らわれた野生の馬を元どおりの自由にさせるために私欲を捨てて武士を襲った九郎次は許されるのか? お上から与えられた既成の規範の“ぬるま湯”につかり思考停止して他人に判断を丸投げする傾向にある現代人の多くは、この難解な二項対立の命題の解答は得られるどころか、これらの作品からは「ごんがかわいそう」「九郎次もかわいそう」というような薄っぺらい感想しか得られないだろう。 現代の世の中において多数派で一般受けしそうな論理が世間を席巻していくという不条理を目にして危機感を持った人が教育現場にいたのかどうかは不明だが、実は「ごん狐」はいまも小学生の国語の教科書に載っている。 同じ理由で私は「馬ぬすびと」も、子どもに単純で安直な感想を抱かせて良しとさせない意味で、教科書に載せても遜色ない名作だと思う。いや、著者の平塚武二さんのきびきびした文体や、当時の貧しい民衆の暮らしや考え方をわかりやすく現代語化した描写力は、ごん狐を越えている。
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