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明治人ものがたり 岩波新書
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 岩波書店/岩波書店 |
発売年月日 | 1998/09/24 |
JAN | 9784004305774 |
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明治人ものがたり
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『魚河岸ものがたり』を読んでいて、健作の塾の教え子が結婚が決まった時のエピソードとして、母が姉妹の結婚のために贈答品をストックしていたところ、姉が妹の分までねだったというくだりがあり、幸田文の『きもの』にも次女が主人公・るつ子の新品の着物に目をつけるという場面に似ていると思った。...
『魚河岸ものがたり』を読んでいて、健作の塾の教え子が結婚が決まった時のエピソードとして、母が姉妹の結婚のために贈答品をストックしていたところ、姉が妹の分までねだったというくだりがあり、幸田文の『きもの』にも次女が主人公・るつ子の新品の着物に目をつけるという場面に似ていると思った。 そういえば、森田誠吾の『明治人ものがたり』に幸田文と森茉莉に関する話があったはずと思い、読み直してみた。文豪である父の影響を深く受けた二人の人としての違いが印象に残った。永井荷風が二人がそれぞれに会った共通人物として出てきたことや、第2話の「森銑三」にも永井荷風が出てきたなと思った。 一人の人物から共通する人物や作品を連想していくことができる作品。自分も興味があると次々にいろいろな本を読んでしまうので、森田誠吾と似たような読書傾向があるのかもと思った。
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収録作品「マリとあや」 この二人は、『文豪の娘』で『作家』であるという点が、似ていると、ありとあらゆる所で言われておきながら、本質が水と油並に異なっているので、並べて論じられることが少なかったから……。こういうのを待ってた! という感じ。 二人の生涯で顔を合わせたのはたった一度...
収録作品「マリとあや」 この二人は、『文豪の娘』で『作家』であるという点が、似ていると、ありとあらゆる所で言われておきながら、本質が水と油並に異なっているので、並べて論じられることが少なかったから……。こういうのを待ってた! という感じ。 二人の生涯で顔を合わせたのはたった一度だけ。それも、言葉を一切交わさなかったというのが、こういうのは語弊があるかもしれないけど、ドラマチックだなあと思ってしまった。
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明治天皇、森銑三、そして森茉莉と幸田文が取り上げられている。 これらの人物について、「情報」が欲しくて読むと、ちょっとがっかりするかも。 「ものがたり」と題されているように、筆者の語り口や、取り上げ方、扱い方を楽しむための本なのだから。 明治七年、明治天皇の「恋」が取り上げられ...
明治天皇、森銑三、そして森茉莉と幸田文が取り上げられている。 これらの人物について、「情報」が欲しくて読むと、ちょっとがっかりするかも。 「ものがたり」と題されているように、筆者の語り口や、取り上げ方、扱い方を楽しむための本なのだから。 明治七年、明治天皇の「恋」が取り上げられているからといって、その相手が誰だとか、どういった経緯だったのかは、語られない。 星新一の『夜明けあと』を導きの糸として、明治期には天皇について語ることが寛容に受け止められていたことを浮かび上がらせる。 星新一にそんな本があるということも、初めて知った。 一度読んでみたい気がする。 『好色一代男』以外は西鶴の真作ではないという異説を打ち立てた森銑三。 この本では、その説の真偽を検証するのでなく(でも、筆者は限りなく「偽」の立場に立っているようだが)、在野の学者として、死してやっと敬われた森の生涯を共感的に描いている。 森茉莉と、幸田文二人の、たった一点で交わりかかった二人の生涯を描いた最終章も、なかなかおもしろい。 文の娘、青木玉の『小石川の家』を先月読んだ。 その中では戦時中の困窮の中で、露伴の気にいるように必死で家を切り回す文の姿が描かれている。 もちろん、孫娘の視点からということになるけれど、晩年の露伴は、かなり身勝手で、それにひたすら耐え続ける文、といった印象を受ける。 が、この本では、文と露伴の関係が、気の合わない親子ではあったものの、もう少しあたたかいものがあったとされる。 「父の慈愛」が打ち出されているのだ。 それは、一緒に扱われている鴎外のベタベタなパッパぶりと対照されてそう思うのか、それとも筆者が相応の年齢の男性であるためなのか。
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