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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 連合出版/連合出版 |
発売年月日 | 2006/11/23 |
JAN | 9784897722146 |
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商品レビュー
4
5件のお客様レビュー
10巻までは文春文庫で出版されていましたが、なぜか最後の11巻は 別の出版社からでした。 しかも内容的にかなり急な連載終了となった印象を受けます。 何があったのでしょうか。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
週刊文春の連載は続きつつ、単行本としての出版は10巻をもって終了したこのシリーズ。 読者からの反応は良くても本が売れないからという理由を聞かされ、初版4000部のうち1割はさすがに無理でもその半分はせめて自分で何とかしようと、自分で購入したという著者。 しかしとうとう、雑誌の連載まで終了してしまいます。 ということで、装丁は以前と同じままこの巻は連合出版から出版されました。 “小生はヒマ族であるから、一日(起きている時)の九割は電話に出られる。一割くらい出にくい時がある。ところが電話というやつは、そういう時を狙って鳴り出すのだ。” あるあるですな。 実家に電話すると、たいていなかなか繋がらない。 日中→掃除してた 夕方→買い物に行ってた 夜→そろそろ寝ようと思っていた いつ電話したらいいのよ! 最近「零」をゼロと読む人が増えていることについて。 “「零」は、雨カンムリがついているのでわかるようにもともとは雨のしづくで、ひいて「小さい、僅少」の意にもちいる。しかしゼロではない。” 「零」をゼロと読むようになったのは、ゼロ戦あたりが関係しているのではないかと、根拠もなく私はにらんでいる。 だって、ゼロって英語だよ。 なんで零をゼロって読むかなあ。 “小笠原さんによると「ゼロ」を発明したのは昔のインド人で、サンスクリットでは「スンニャ」と言う。それを玄奘三蔵が「空(くう)」と訳したのだそうだ。 「へえ。三蔵法師はなんでその『スンニャ』を『無(む)』と訳さなかったの?」と小生。 「無と空はちがいます。1X(かける)無は1だけど、1X空は空ではありませんか」” 東インドについて。 イギリスの東インド会社って、インドの東部にある会社なのだと思っていましたが、正解は「ヨーロッパから見て東にあるインド」という意味で、現在のインドはもとより、その東の東南アジア一帯、フィリピンまでを含むそうです。 まあ、インドシナの辺りがメインなんでしょうが。 インドシナ→印度支那→印度と中国 この辺までは以前自分で考えついたんだけど。 印度より東、中国より南の場所をインドシナというのなら、つまりそれは東南アジアってことなのね。 ずっと不思議に思っていたのよ。 日本より西にある東南アジアは、どこから見た東南なんだろうって。 東南にあるのではなく、東であり南にあるということだったのですね。納得。 さて、今回の白眉は聖書の翻訳についてのさまざま。 “「ゴッド」の日本語訳は「神」である。これは、日本人が「ゴッド」を「神」と訳したのではなく、中国で試みられた数多くの訳語のなかから「神」を取ったのである。(中略)しかし日本人は、「ゴッド」と、日本語の「かみ」とを同一視することには思いいたらなかった。「ゴッド」は天上にある唯一至尊のものであり、「かみ」は天上にも地上にも無数にいる種々雑多なものだったからである。(福の神、疫病神、かみなりさま、等々と)。” Godの訳語 〈神、真神、神主、神天、天、神天上帝、天帝、天皇、天帝主神、神天大帝、天皇神主、天皇上帝、上帝、天上上帝、真神上帝、天上之上帝、天皇神父、上帝神帝〉など 天主さまというのはカトリックのみの訳語。 黙示録とはなんぞや? 黙示って言葉は、いまや中国では使われていない。 日本でも、キリスト教関係にしか使われない。しかも意味がつかみにくい言葉である。 教えを伝えるための聖書なのだから、ここは啓示とかでいいのではという意見には納得。 そして預言。 神の言葉を預かり伝える=預言 と、思っていましたが、「預ける」という概念は日本独自のものだそうです。 日本語で預けるとひと言で言っても、外国語に訳す時はその都度適当な意訳をする。 補完するとか、面倒をみてもらうとか…。 中国に預けるという概念がないのであれば、「預」の意味するところは何か? 「豫」という文字の異体字が「予」と「預」 どちらもあらかじめ~するという意味。 「予」は日本にしかない文字なので、予報などは中国で「預報」になる。 だから「預言者」は「予言者」と本来の意味は同じはず。 なのに知識人といわれる人が多く「神の言葉を預かり伝える」などと言っているのはどういうわけか、と嘆きつつ、聖書翻訳の歴史を辿ります。 とにかく目からうろこが大量落下。 そうそう、「目からうろこ」も聖書からの言葉なんですってね。 初めて知りました。
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週刊文春で連載されていたエッセイの最終巻。突然の打ち切りそして文藝春秋社から刊行されなかったことは、大人の事情があるんでしょう。シリーズをずっと読んできましたが、今回も色々と納得させられること、スッキリすることがありました。
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