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ジプシー 歴史・社会・文化 平凡社新書
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 平凡社/平凡社 |
発売年月日 | 2006/06/09 |
JAN | 9784582853278 |
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ジプシー
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商品レビュー
3.5
9件のお客様レビュー
これまでの凝り固まっ…
これまでの凝り固まったジプシー観から脱皮させてくれる一冊。分かりやすくかかれていますので、ジプシーに興味がある人は、これから読んでみてはいかかでしょうか。
文庫OFF
- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
ジプシー 歴史・社会・文化 著者 水谷驍(たけし) 平凡社新書327 2006年6月9日発行 ジプシーというと、もともと北インドに住んでいたある民族が西に移動し、東ヨーロッパや、スペインなどに多く住んでいる、と思っていた。しかし、多くの人が信じている北インド発祥というのは、一つの説に過ぎないらしい。 おそらく確かだろうという点は、11世紀にバルカン半島(ギリシャや旧ユーゴ地域、ルーマニアなど)にいて、そこからさらに世界各地へ行ったということだけなのだそうだ。 我々は、放送原稿ではジプシーという言葉を使うなと指示されている(ジプシーキングスはいいが)。ジプシーには差別的なニュアンスがあるから、ロマ族と言えと。では、ジプシーの本当の名前がロマ族かというと、これもそう単純なことではない(これについては前にも読んだことがある)。ジプシーは一つの民族ではないということである。 そして、ジプシーというのは、実は「エジプト人」がなまったものだとのこと。話が益々ややこしくなる。 以前、プロ野球のロッテがちゃんとしたフランチャイズ球場を持たなかったことから、「ジプシー球団」と呼ばれていた時期があった。バブルの頃、マンションの駐車場が不足し、毎年抽選が行われ、車があるのに外れた人は「ジプシー化する」と表現されたことがある。しかし、放浪している民というイメージのジプシーのうち、純粋な放浪民は約20パーセントだそうで、10パーセント以下であるとされることも多いという。 どうしてこのようなイメージが出来てしまったのか? 起原は18世紀後半、ドイツの歴史学徒グレマンの著書だという。ここで初めて「科学的なジプシー像を確立した」と主張。それによると、ジプシーの言葉はヒンドスタン語と同系統であるから、祖先はインドから来たと考えなければならない。彼らと外見や生活習慣を同じくする人間集団「シュードラ」が今もインドにおり、その一部が15世紀のはじめにティムールの侵入に押されてインド西北部を脱出し、ペルシア、トルコを経てバルカン半島に達し、さらにヨーロッパ全域に広がったとのことだ。 19世紀に入り、イギリスの作家ジョージ・ボローが自ら調査したとしてロマン主義的なジプシー像を描いた。 この「グレマン/ボロー」的ジプシー像が、今日でも世界の人々を惑わしているというわけである。 なぜ、このような非科学的なジプシー像が長らえてしまったのか。 ジプシー研究の「光栄ある孤立」と、権威ある文献を重んじるヨーロッパの学問の伝統である。つまり、ジプシー研究には、社会人類学や文化人類学、歴史学や社会学などの学問分野から顧みられることなく、アマチュアにゆだねられてきた長い歴史があった。グレルマンの著作は、私信で資料収集に着手したと述べてからわずか2年後には出版されている。しかしいったん出版されて「最初の科学的研究」として高い評価を得てしまうと、後学のすべてによってそのようなものとして受け継がれていったからだと、著者は考える。 ナチスによって虐殺されたのはユダヤ人ばかりではない。ジプシーたちも大量に殺されている。しかも、他の国でも大量に殺されたり、奴隷化したりしている悲劇の民である。 研究におけるボタンの掛け違いが、そんな悲劇を生んだ一助になったかもしれない。 では、ジプシーの起原は? 結論は、まだ分からないようである。 ただ、起原を探る方法は2つあることが結局は結論のようだ。 一つは、先祖がどこから来たのか?を探る方法。 もう一つは、その独特の社会的存在形態がいかにして形成されたかを探る方法。すなわち、近代資本主義が形成される際、社会からあぶれたり、差別を受けたりするも、まだ社会には彼らが生き延びる隙間があり、そこにジプシーが出来上がっていったのである、というわけである。 今の日本の貧困社会を考えるのに、とても参考になる面がある。 なお、世界中でジプシーのいない国は日本と中国だけと言われている、らしい。そんな日本だが、サンカ(山窩)と呼ばれていた集団が、実は大昔に渡ってきたジプシーなのではないか、という“奇想天外”な説があり、柳田國男も南方熊楠に宛てた手紙でそのように「空想する候」と書いている。
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「ジプシー」というのは差別用語であるので、「ロマ(ロマニ)」と呼び替えるのが望ましい。 ・・・というような話を目にするようになったんだけど、自分の中には差別的なニュアンスはみじんもない。はてどういうことなんだろうと思ってこういう本を読んでみた。 実は「ジプシー」という民族上・...
「ジプシー」というのは差別用語であるので、「ロマ(ロマニ)」と呼び替えるのが望ましい。 ・・・というような話を目にするようになったんだけど、自分の中には差別的なニュアンスはみじんもない。はてどういうことなんだろうと思ってこういう本を読んでみた。 実は「ジプシー」という民族上・文化上の一貫した存在があるわけではなくて、いや一部にはあるらしいが、その来歴や構成は杳としてつまびらかではない。それと目される人々は世界各地に散らばっていて、呼び名も違えば言葉も違う。自己意識や文化習慣ももちろん違う。社会の「資本化」や格差の拡大などによって、流動化した結果そういう境涯に至る人々も少なくないようだ。 どうも、ジプシーとはある民族のことではなく、社会的イメージの存在であるらしい。乱暴に言わせてもらえるなら、結局「人類の差別意識の吹きだまり」なんじゃないのか・・・と思った。 一方で、オレも含めて日本人の多くは、「ジプシー」と言われた場合にある一定の(共通の)イメージを抱くのではないだろうか。あまり西欧的ではない風貌、流浪の民である、歌舞や楽器が上手い、etc。これらは、近世のずさんな「科学的研究」の影響が大きいようだが、そういう画一的なイメージに押し込みたがる「人類の悪い性癖」のせいもあるのかも知れない。 たまたま先日読んだ岩城宏之氏(指揮者)の本にもジプシーに関するくだりがあって、「ジプシー音楽」とか「ツィゴイネルワイゼン」(ツィゴイネルはドイツ語でジプシーの意)という言葉が持っている意味とかイメージがあるので、音楽に関しては「ロマ(ロマニ)」と言い替えなくてもいいんじゃないか、という趣旨だったけど、被差別側の心情を考えるといささかのんきな主張のようにも思える。 著者は最後に、日本の「サンカ」との類似性を指摘するが、その実態のわからなさもあって、一筋縄ではいかない問題のようである。
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