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台所の一万年 食べる営みの歴史と未来 百の知恵双書011
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 農山漁村文化協会/農山漁村文化協会 |
発売年月日 | 2006/07/01 |
JAN | 9784540040795 |
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台所の一万年
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いただきますの意味が失われつつある現代。 食べているのは生命体の屍体であるという認識を取り戻すことが大事なのかもしれません。 生命体は屍体になると腐り始めるという言葉にはっとしました。 日本では手に入れた食べ物のおよそ三分の一が捨てられている。 勿体無い、の国のはずの日本ですが、全て捨てなかった時代はもう一世紀以上前の話です。 碌に日本という文明のことを考えずに乱暴に行われてきた西欧化で、そうした大切なことというのが失われてきています。 今は本当に、『正しく食べる』ことがとても難しいです。 確かに穀物の種類が単純化して、家庭で白米しか使わないというケースも多いのではないでしょうか。 飽食と言われる時代にあり、魚を釣ってきたり”尾頭付き”を買って家で調理するより、 スーパーでトレイに載った切身を買うことが多いでしょう。 そうなれば、他の部分は捨てられることも多く、トレイなどのゴミも増えます。 流通のために規格が決められ、それに満たない野菜が廃棄されます。 昔なら、残った骨や皮も家庭で利用し、そこから芸術が生まれたというのも成る程と思います。 冷蔵庫がないからこそ工夫し、庭に柿などの実のなる木や紫蘇などを植えて食べ、食べた後出た少量の生ゴミは庭に植えてまたそれが木々の栄養になりました。 今では庭があること自体難しいでしょう。 食材の季節操作で、一年中食べられるものも増えましたが 便利な反面旬のものを喜ぶことや、多く出回るから安くなるので まとめ買いして保存食を作る、というようなこともなくなっていっています。 調理は軽減すべき労働ではなく創造的な行為。 確かにそうなのですが、現代で共働きの家庭などではどうしても 創造的行為をする余裕はとてもありません。 『東京人は仕事を大事にして食べ事を二の次にしている。』 と言われてもなぁという気持ちにはなりました。 大事なのは仕事ではなくてお金なのです。 それがないと、食べ物が手に入らないからです。 西欧と一口に言っても、確かにヨーロッパも広く、日本が西欧という場合は 北国なことが多いです。北海道より北で、冬とそれ以外の季節しかない国。 冬のはじめに家畜はいっせいに屠殺され、ハムやソーセージ、塩漬けなどに保存食加工する文化です。 日本は四季があり、食べ物が実らない冬のための冬支度が必要です。 保存食で耐えしのぎ、春には旬の食材を使った食べる暮らし。 ベーカリーで主食を買うのではなく、毎日米を家で炊くのが普通な日本。 どうしても作業に必要なスペースは多く、買ってきたものと保存食で簡単に食べる文化用のコンパクトキッチンでは場所が足りません。 作業台が必要だから台所というのは 語源的には諸説あるので一概には言えないと思いますが 文化が違うのですから暮らし方もその理念も当然違うのに それを無視して西欧化してきたことはやはり間違いだったと思うのです。 簡便化されたキッチンと流通食品では簡便な料理しかできず 食品・食材の実体感が失われていく。 食事が事務的な処理に近いものにり、 生命体を最大限に効果的に食べることが最大の供養である という心が失われてきています。 なんでも西欧礼賛でだから作業時間の短縮、動線を短くできるキッチンが推奨されましたが、 日本の台所があっちにかまど、こっちに流しとばらばらにあったのは 単に動線が長く無駄が多いのではなく、作業にそれだけのスペースが必要だったのです。 一度に味噌や漬物などの保存食を加工すると、 作るときは長時間場所を取ります。 でもできたものはそれ以上に長く食べられるから結果能率が良かったわけです。 その日その日の能率を求めるキッチンと、一年の計での能率を求める台所は違うのです。 国をあげて潰してきた台所の文化を、個人で家庭でなんとか戻そうとするのは 正直難しいと思います。 食に時間を割けない現代の暮らし方をそもそも変えなくては、 キッチンを台所に戻しただけでは不便になるだけです。 それでもせめて、本来はこうであったということを 知るべきなのだろうと思います。
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