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岩波講座 日本文学と仏教(5) 風狂と数奇
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 岩波書店/ |
発売年月日 | 1994/09/28 |
JAN | 9784000105859 |
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岩波講座 日本文学と仏教(5)
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日本文学における中世以降の「風狂・数奇」の成立およびその位置づけを探る。 最終章、いよいよラスト↓ ④悟道としての「風教」 一休が好んだ語の一つとして、「諸悪莫作 衆善奉行」という言葉がある。「悪をすることなかれ、善いことをせよ」という意味である。大徳寺の真珠庵に一休筆のこ...
日本文学における中世以降の「風狂・数奇」の成立およびその位置づけを探る。 最終章、いよいよラスト↓ ④悟道としての「風教」 一休が好んだ語の一つとして、「諸悪莫作 衆善奉行」という言葉がある。「悪をすることなかれ、善いことをせよ」という意味である。大徳寺の真珠庵に一休筆のこの言葉が掛けてあるほか、『狂雲集』の中でも、一休は白居易と鳥窼道林の問答で、この言葉を引いている。 いわく、白が仏法の大意を問うと、鳥窼和尚は「諸悪莫作 衆善奉行」と答えた。そんなことは3歳の子どもでも知っているだろう、と白が言うと、和尚は、たしかに3歳の子どもでも知っているだろうが、80の老人も実行できまい、と応じたと言うのである。 これまで一休の「狂」の部分について考察を重ねてきたが、ただ「狂」であるだけならば、一休がここまで多くの人を引き付け、また後世にまで語り伝えられることもなかったであろう(たとえそれが説話や講談として、実際の本人像とは違う形に脚色されていたとしてもである)。 一休の「狂」が語られるとき、それはただの「狂い」ではなく、あくまで「風狂」のことを指しているのだ。 では、風狂とはそもそも何なのだろうか。そして、どうして一休の「風狂」は人を引き付けるのであろうか。 「悪をすることなかれ、よいことをせよ」とは、非常にシンプルな言葉である。理念や目標と言う前に、当たり前の指針として誰もが持っている意識だ。 しかし、鳥窼和尚が言うように、「3歳の子どもでも知っているだろうが、80の老人も実行できない」ことでもある。 当然のこと、誰もが持っていなくてはならないことだからこそ、突き詰めることは難しい。もし「諸悪莫作 衆善奉行」を本当に突き詰めれば、それは日常からの超越を意味する。 そして、その状態のことを、宗教の世界では「悟り」と呼ぶのではないだろうか。 一休が風狂の人生を生きた意味を、想像するのは難しい。答えに辿り着けることはなく、また正しい答えなど存在しない。 しかし、一休の「狂」に考えを馳せるとき、それは一休の潔癖すぎるゆえに極端な、そしてときに矛盾する言動の数々に思い当たる。そして、それらの多くが、物事を突き詰めたあまり、社会の規範を超越してしまった思想に由来しているのはないか、という仮定をこの論文では繰り返してきた。 一休の風狂は、彼の悟りの境地の現れであったのだろうか。 「悪をすることなかれ、よいことをせよ」というシンプルな言葉を自らの庵に遺した一休の思いは、最後まで誰にもうかがい知ることはできない。だが、彼のその風狂の人生は、人々の共感と憧れと共に、これからも生き続けることであろう。
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