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韓非子(第4冊) 岩波文庫
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韓非子(第4冊) 岩波文庫

韓非(著者), 金谷治

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韓非子(第4冊) 岩波文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 岩波書店
発売年月日 1994/09/20
JAN 9784003321041

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韓非子(第4冊)

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2023/01/01

韓非子シリーズの最終巻。第40の難勢から第55の制分まで。正月に読み終えた。一貫して論理性を追求し、法術を重視して、儒子・墨子の世界観を弾劾する。 例えば、第43の定法では、韓の申不害の術(任用、評価、登用などの政治術)と秦の公孫鞅の法(行政法と刑法、賞与)を挙げ、双方とも必要...

韓非子シリーズの最終巻。第40の難勢から第55の制分まで。正月に読み終えた。一貫して論理性を追求し、法術を重視して、儒子・墨子の世界観を弾劾する。 例えば、第43の定法では、韓の申不害の術(任用、評価、登用などの政治術)と秦の公孫鞅の法(行政法と刑法、賞与)を挙げ、双方とも必要である旨を説く。 第49の五蠹(ごと)は始皇帝も読んだとされる名文で、世の中は変わるものであり、それによってとるべき対策も異なるということを古代史を紐解いて解説し、古代聖王の行いを踏襲すべきという儒者・墨者を弾劾しつつ、今の世での法術による統治の必要性を説く。 第50の顕学も韓非子の自著とされ、儒・墨を詐欺師と断じ、徳ではなく威勢・権勢で統治すること、多数を動かす統治法を行うべきこと、民衆の知恵など役に立たないこと、合縦や連衡といった外交策で滅びた国もあり、まずは国内を固めることの必要性など統治の根本を説く。 このように理想論ではなく統治の実用性、富国強兵に向けた立論であり、多くの部分は現代でも色褪せていない。

Posted by ブクログ

2019/01/13

第四冊は「難勢 第四十」から「制分 第五十五」までを収録。「五蠧 第四十九」、「顕学 第五十」は読み応えあり。「あとがき」を読むと、このこの『韓非子』全四冊は、岩波文庫の『荘子』の仕事が終わってから十年をかけたとのこと。

Posted by ブクログ

2018/10/08

引き続き、シビアすぎる一節。 「さて、君臣上下の関係には、親子の間の情愛はない。それなのに、道義を立てて下々を縛ろうとすれば、上下の間には必ずひびが入るだろう。それに父母が子に対する場合さえ、男子が生まれたら祝いあうが、女子が生まれたら殺してしまう。男子も女子もどちらも父母の胎内...

引き続き、シビアすぎる一節。 「さて、君臣上下の関係には、親子の間の情愛はない。それなのに、道義を立てて下々を縛ろうとすれば、上下の間には必ずひびが入るだろう。それに父母が子に対する場合さえ、男子が生まれたら祝いあうが、女子が生まれたら殺してしまう。男子も女子もどちらも父母の胎内から出てきたのに、男子は祝われて女子は殺されるというのは、あとあとの便宜を考え、さきざきの利益を計算するからである。してみると、父母が子に対する場合さえ、やはり打算の心を働かせてそれに向かっている。ましてや、親子の情愛がない場合ではなおさらではなかろうか。このごろ、学者が君主に説くのは、みな利を求める心を棄てて、愛しあう道をとらせようとする。つまりは、君主の臣下に対する愛情が父母の心に対する親愛よりも強くなるように求めているのである。これは恩愛についての論議が十分でなく、人をだましてむりなこじつけをしているのだ。」 「『刑を掌る役所で刑罰を執行すると、君主は罪人をあわれんで音楽を奏でることをやめさせ、死刑の報告があると、君主はそのために涙を流した』と。それが彼らの言う古代の聖王である。そもそも、君臣の関係も、親子の関係と同じようにしたなら必ずうまく治まると考えているのだが、もしそういう理屈で推しはかるなら、仲違いをする親子はいないということになる。人の生まれつきの情としては、父母より以上に親しいものはなく、だれもが父母から愛されているのだが、それで子供の行ないがうまく治まるとは限らない。父母の愛情が強かったとしても、やはり子供がでたらめにならないわけではなかろう。ところが、古代の聖王が民衆を愛することは、父母が子供を愛するのには及ばない。子供でさえうまく治まるとは限らないとすれば、どうして民衆の治まることがあろうか。さらにまた、法律に従って刑罰を行ったのに君主がそのために涙を流すというのは、これは仁愛を尽くしたことにはなっても、政治を行なっていることにはならない。」 「むかし、蒼頡が文字を作ったとき、自分でまるく囲うのを『厶(私)』とし、『厶(私)』に反対するのを『公』とした。公と私があい反することは、つまり蒼頡もすでにそれを知っていたのだ。いま公と私とは利益が一致するなどと考えるのは、よく考えないための過ちである。」 「今日、政治をわきまえない者は、きまって『民衆の心を把握せよ』と言う。民衆の心を把握することに努めて、それでうまく治められるというのなら、つまりは殷の湯王につかえた伊尹や斉の桓公に仕えた管仲のような賢宰相は働き場がなくなって、ただ民衆に従えばよいというだけになるだろう。しかし、民衆の知恵が役に立たないことは、ちょうど赤子の心と同じようなものである。」

Posted by ブクログ

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