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小説 立花宗茂(下巻)
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 学陽書房/ |
発売年月日 | 2000/06/01 |
JAN | 9784313851375 |
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小説 立花宗茂(下巻)
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「恩のある豊臣家に尽くし抜く」 義を立て、信と誠意を貫いた戦国武将の数奇な生涯とは? 関ケ原合戦で領土を失った後、家臣たちに支えられて、やがて再び九州柳河城主に返り咲いた希有、爽快な勇将の一代記。
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■文禄の役に参戦 文禄二年(1593年)、李如松の率いる明軍主力が小西行長を攻撃して平壌を攻略し、 更に南下を始めると日本軍は迎撃を企画し碧蹄館の戦いでは宗茂と弟高橋直次が先陣と成り、 鉄砲の速射や奇襲戦を活用し、大きな被害を出しながらも明軍を食い止めた。 そのために戦機が生まれ...
■文禄の役に参戦 文禄二年(1593年)、李如松の率いる明軍主力が小西行長を攻撃して平壌を攻略し、 更に南下を始めると日本軍は迎撃を企画し碧蹄館の戦いでは宗茂と弟高橋直次が先陣と成り、 鉄砲の速射や奇襲戦を活用し、大きな被害を出しながらも明軍を食い止めた。 そのために戦機が生まれ小早川隆景などの本軍が明軍を撃破。 小早川隆景は 「立花家の3000は他家の1万に匹敵する」と評価し、秀吉からも感状を拝領した。 また6月の第二次晋州城攻防戦では、隆景などの5番隊として明・朝鮮軍の後巻き部隊を牽制し、援軍を寄せ付けなかった。 ■慶長の役 蔚山城を包囲され籠城中の加藤清正を救出。 加藤清正から「日本軍第一の勇将」と絶賛される。 ■秀吉の死 秀吉が死去すると朝鮮に派遣されていた日本軍に撤退命令が下った。 順天倭城で小西行長らが海上封鎖を受け撤退を阻まれていた。 そこを弟の高橋統増(立花直次)、島津義弘、宗義智、寺沢広高らと共に 水軍を編成して救援に向かい、陳璘率いる明水軍や李舜臣率いる朝鮮水軍と戦い、小西らの救出を成功させる。 ■関ヶ原の合戦 徳川家康から法外な恩賞を約束に東軍に付くように誘われたが、 宗茂は「秀吉公の恩義を忘れて東軍側に付くのなら、命を絶った方が良い」と言い拒絶。 東軍の京極高次が守る大津城を攻めた。 この時、宗茂は塹壕を掘り起こして、ここより兵士に鉄砲射撃を行わせた。 そして養父道雪の発案した「早込」(「早合」ともいう。)で、 立花勢は他家の鉄砲隊の3倍速で銃撃し、一番乗りを果たしたという。 しかし、9月15日の関ヶ原本戦には大津城を攻めていたために参加できず、 本戦での西軍壊滅を知って大坂城に退陣。 ■江戸時代 関ヶ原後は改易されて浪人となる。 その器量を惜しんで清正や前田利長から家臣となるように誘われるが、宗茂はこれを拒絶。 そこで清正は家臣にすることを諦め、食客として遇した。 しかし彼の実力をよく知っていた徳川家康からの熱心な引き合いにより、 慶長8年(1603年)、5000石で幕府の御書院番頭(将軍の親衛隊長)として召し出され、 まもなく陸奥棚倉に1万石を与えられて大名として復帰。 翌年には同地で1万5500石、慶長15年(1610年)には9500石の加増を受ける。 最終的に3万5000石を知行し、この頃から宗茂と名乗っている。 のちに、島原の乱の討伐軍にも参加。昔日の勇姿を見せ、幕府軍を感嘆させた。
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関ヶ原敗将ながらも、宗茂の実直で無骨な人柄が二代目将軍家忠に気に入られるのでした。よかったね!と思わず涙ぐむ大円団でした。
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