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四千万歩の男(4) 講談社文庫
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四千万歩の男(4) 講談社文庫

井上ひさし【著】

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四千万歩の男(4) 講談社文庫

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 講談社/
発売年月日 1993/02/15
JAN 9784061852938

四千万歩の男(4)

¥495

商品レビュー

2.8

6件のお客様レビュー

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2020/04/23

伊豆と相模を測量するための旅を開始し、西へ向かう忠敬は、川崎宿で阿波の殿様の一行にぶつかり、阿波の名産品である藍の栽培のしかたを記した秘伝書が盗まれるという事件に巻き込まれてしまいます。さらに保土ヶ谷では、十返舎一九と葛飾北斎がそれぞれ宿屋の軍師となっており、客引き対決をくり広げ...

伊豆と相模を測量するための旅を開始し、西へ向かう忠敬は、川崎宿で阿波の殿様の一行にぶつかり、阿波の名産品である藍の栽培のしかたを記した秘伝書が盗まれるという事件に巻き込まれてしまいます。さらに保土ヶ谷では、十返舎一九と葛飾北斎がそれぞれ宿屋の軍師となっており、客引き対決をくり広げます。 その後も忠敬は、芭蕉門下の俳人の殺人事件に首を突っ込み、奇抜な発想で捕鯨船を出すことをこころざす少年が弟子入りを志願するなど、忠敬の二度目の旅は最初からますます破天荒なものになっていきます。 作品の方向性がわからなくなってきましたが、この無軌道っぷりをたのしむのが、本作の正しい読み方なのかもしれません。

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2014/12/20

(*01) テクストが重層する。 原基のテクストに忠敬の日記がある。第二に忠敬の時代のテクストがある。第三にこれら二つに解釈を施した井上のものと他の史学者らが記したテクストがある。第四にこれら三つを踏まえた上でこれら三つに記されなかった部分を井上が創作したテクストがある。第五にま...

(*01) テクストが重層する。 原基のテクストに忠敬の日記がある。第二に忠敬の時代のテクストがある。第三にこれら二つに解釈を施した井上のものと他の史学者らが記したテクストがある。第四にこれら三つを踏まえた上でこれら三つに記されなかった部分を井上が創作したテクストがある。第五にまえがきやあとがきとなる第四までの創作を記しての自己批評的であり私事的なテクストがある。 第一と第二の関係は、正統的な歴史理解と照らし穏当に読むことができる関係にある。歴史物として、忠敬周辺と近世後期に現われた新たな経済関係や文化諸相に対する知識を深めてくれるもので、コンテクスト-背景として読めるものでもある。 厄介が生じるのは、第三と第四のあたりで、井上の主観やそれに基づく創作が混じり、第一第二が正典ないし聖典となり遊びの余地を孕まずにカテキズムとして作用した反動として、物語と堕する。戯曲をよくする井上としての真骨頂はこの物語パートであり、固定化された正典を脇に置きつつ遊んだ結果のテクストともいえる。 ただし、現代感覚からすると、この物語は黄門的であり、やや近代的な苦悩が絡んだ漫遊記の様にも読める。つまりは、この物語部分は普通に読むと、安定的につまらないものである。事件がある、陰謀がある、色や女がある、孝行がある、忠義がある、貧富がある、しかし、それらの物語は、定めし平板である。 中盤の蝦夷の道のりは長く、アイヌと和人との交易やいざこざ、ひっくるめて未開と文明のコミュニケーションの問題に、創造の翼を広げて筆を大いに振っている。これは当時のアイヌに関する記録、北辺北方に関する資料が、化政文化や地方資料などに比して少ないため、創作の余地が生まれたと解することができよう。 それにしても、当時の文化の交差点として歩き続ける男忠敬を配したのは面白い。山東京伝、松平定信、山片蟠桃、菅江真澄、木食上人、間宮林蔵、平山行蔵、十返舎一九、葛飾北斎、二宮尊徳、鶴屋南北といった多士済々が、虚実はともかく、忠敬の旅程で交錯する。また、街道の宿場、後背地/搾取地としての農地、漁船や通商船が行き交う沿岸、こうしたそれぞれの場を舞台として、経済を営む民、そして徳川政権を筆頭とする権力としての武家などがしっかり描かれており、やがて近代を迎える、あるいは近代化を遂げつつある総体としての社会を読み物として学びとるテクストとしても有用である。 もちろん、忠敬の晩年に専門とした星学とその応用である測量と地図のあれこれについても教えられる。忠敬の一歩一歩と四千万歩は、地球における国土の相対的な位置を読み取り、歩測により正確に国土の姿をとらえる行為であった。地をテクストとして、忠敬は歩により読んでいたことになる。伊能地図とは表現である前に、読みであった。 私たちは地図を読むことはできるが、地を読むことのできるほどの学を修めていないし、一字一字一歩一歩読んでいる暇もない。伊能忠敬の偉業は、地図を表したことの前に、地を読んだことにあった。 本書を読むことの意味はそこにある。井上は伊能に習い、忠敬の一歩一歩を読みつつ、読み物としてのテクストに表したかったのだろうと思う。果たしてその試みは、自称するところ、1/7で頓挫してしまった。 井上に継いで、この先の伊能忠敬の足跡を読み著す者がいつかは現われることと思う。伊能忠敬の一歩一歩は詰まらないが、一歩一歩が紡いだ全体の図像と物語には読み解くほどの価値がある。

Posted by ブクログ

2013/09/24

なんとか第4巻を終える。この巻では、忠敬一行(メンバーに一部変更あり)の新たな測量行として、江戸を出立し川崎を経て江の島までの道中を描く。第1回目に蝦夷地に向かう時に比べると、随分と悠長な感は否めない。行程こそはまっすぐだが、内容的には寄り道ばかりだ。それはそうだろう。いかに、進...

なんとか第4巻を終える。この巻では、忠敬一行(メンバーに一部変更あり)の新たな測量行として、江戸を出立し川崎を経て江の島までの道中を描く。第1回目に蝦夷地に向かう時に比べると、随分と悠長な感は否めない。行程こそはまっすぐだが、内容的には寄り道ばかりだ。それはそうだろう。いかに、進路は違っていても測量、測天については同じことの繰り返しなのだから。戯作者としては、読者へのサービス精神からも、噺の面白みを加えたくもなるだろう。ただし、それは「両刃の剣」になりかねない。いずれにしても、いよいよ最終巻。

Posted by ブクログ

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