商品レビュー
3.7
3件のお客様レビュー
感激の裸
当時、人気絶頂の宮沢りえがヌードになるのは、大騒ぎになりました。
注文が殺到し、出版が遅れるという前代未聞の事態でした。
あざやかな裸体は、魅了されました。
昔大学生
91年10月13日に発売された読売新聞の中に盛り込まれた事実は衝撃である。アイドルという枠を超えながらも一般的に認知されたアイドルであるはずの宮沢りえが、その自身の裸体を公然に露出したのである。 これは、今までの日本芸能史における大きな変革である。しかし、宮沢りえ個人のムー...
91年10月13日に発売された読売新聞の中に盛り込まれた事実は衝撃である。アイドルという枠を超えながらも一般的に認知されたアイドルであるはずの宮沢りえが、その自身の裸体を公然に露出したのである。 これは、今までの日本芸能史における大きな変革である。しかし、宮沢りえ個人のムーブメントからすると、それは想像できたことだ。CMアイドルから歌手としてデビューしたが、その容姿や性格など一般的アイドルを逸脱する要因はいくつも散乱し、混血という日本人にとってはエキゾチシズムをかきたてる血が流れ、その背後にビッグママが存在する。伏線はいたるところにあった。彼女を起用するCFは彼女のプロモ・ビデオでしかなかった。フンドシ・ファッションのカレンダーがこの事実を納得させる。 ところで、最近のムーブメントからすれば、これはそれほどの衝撃ではない。マドンナも脱ぎ、本木はアンダーヘアを露出する。世界的に人間の裸体を芸術的ソースとして認知する傾向は最近のミラノに色濃く出ている。 宮沢りえの場合は、彼女が現役のアイドルであり、大衆評価の高いという時期の行動であることが衝撃となっている。元アイドルの裸はさほど珍しくはない。しかし、それはいつも彼女たちが人気を保つための最終手段として自身の裸を利用していたからだ。 ここで、宮沢りえとその背後で彼女をディレクトする実母ビッグママは、今のつまらない軽薄な日本芸能界に衝撃的な挑戦を企てたのである。それは、アイドルというものの存在概念にまで触れている。アイドルとは、自身の存在がすべてであり、そこでどのように振る舞おうとアイドルはアイドルなのである。どんなに歌を唄い、テレビの中で演技をしてもアイドルであることにかわりはない。つまり、存在手段は決まっていないのだ。存在のみが意味を持つ。オールナイトニッポンから生まれた架空のアイドルのように、存在さえ与えてやればよい。ファンにとってアイドルは想像の世界でしかない。マスターベーションのようなものだ。 AV界のアイドルも歌手デビューしてしまえる世の中だ。宮沢りえが裸を見せてもおかしくないのだ。それも、彼女はアイドルの表現手段に芸術的エロティシズムを導入したのである。これは大きな業績かもしれない。飽和状態の芸能界、アイドル界にとって、今回のこの宮沢りえの試みは価値転倒とともに新たな方向性のきっかけになっているのかもしれない。 このアイドルの方向性の転換期は、世界的写真家篠山紀信の一連のワークスが要因になっているのは言うまでもない。宮沢りえの裸体の必然性は篠山紀信のファインダーごしにしか存在しなかったはずである。アイドルはすでにその存在を失いはじめた。そして、脱アイドルは新たな模索をはじめている。『Santa Fe』はその象徴として君臨するのである。
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初恋の人に裏切られた衝撃。彼女は手の届かない場所へ行ってしまった。悔しさのあまり、10代の僕はキットカットの銀紙を脱がした。
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