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超男性 白水Uブックス77
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超男性 白水Uブックス77

アルフレッドジャリ【著】, 渋沢龍彦【訳】

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超男性 白水Uブックス77

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 白水社/
発売年月日 1989/05/15
JAN 9784560070772

超男性

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商品レビュー

3.2

13件のお客様レビュー

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2010/05/28

19世紀末フランス・…

19世紀末フランス・シュールレアリスム代表作のひとつであり、澁澤龍彦の名訳は文句なし。「恋愛なんて取るに足らない行為ですよ。際限なく繰り返すことができるんですからね」という有名な台詞から始まるこの話は、ナルシストにして陽気で逆説的な男、ジャリそのもののような小説。腹立たしくも後を...

19世紀末フランス・シュールレアリスム代表作のひとつであり、澁澤龍彦の名訳は文句なし。「恋愛なんて取るに足らない行為ですよ。際限なく繰り返すことができるんですからね」という有名な台詞から始まるこの話は、ナルシストにして陽気で逆説的な男、ジャリそのもののような小説。腹立たしくも後を惹く。

文庫OFF

2024/11/11

「限界なき愛」と「無限の速度」―このふたつの狂気じみた観念に取り憑かれた著作が、アルフレッド・ジャリの『超男性』である。 「神なき時代の悪魔」とも評されたジャリは、この作品で近代の欲望を極限まで推し進める。そこに現れるのは、ニーチェの「超人」のグロテスクなパロディであり、同時に世...

「限界なき愛」と「無限の速度」―このふたつの狂気じみた観念に取り憑かれた著作が、アルフレッド・ジャリの『超男性』である。 「神なき時代の悪魔」とも評されたジャリは、この作品で近代の欲望を極限まで推し進める。そこに現れるのは、ニーチェの「超人」のグロテスクなパロディであり、同時に世紀末の科学信仰への辛辣な批判でもある。 作品の中心に据えられた「インディアン・サーキット」のエピソードは示唆的だ。人間と機械の混成チームによる一万マイルの自転車レースは、進歩への狂奔を象徴する寓話として読める。「永久機関」となった人間の身体は、ついに機械をも凌駕する。だがそれは同時に、人間性の喪失の瞬間でもある。 もうひとつの極限が、主人公アンドレの「愛の実験」である。82回の性交を連続で行うという狂気の試みは、官能の科学的分析という近代的企図の自己崩壊を表現する。快楽の量的な極大化は、むしろ愛の死を招来するのだ。 注目すべきは、これらの「実験」を観察・記録する「科学者たち」の存在である。彼らの「客観的」な視線は、実は最も狂気に満ちている。測定し、記録し、分析するという近代的な認識の身振りそのものが、ここでは笑いの対象となる。 『超男性』は、世紀末の不安と欲望を独特の文体で描き出す。そこには未来派的な速度礼賛とデカダンな官能が混在し、さらにそれらを突き抜けた「パタフィジック」な視座が垣間見える。科学と狂気、理性と欲望、進歩と退廃―これらの二項対立は、作品の中で絶えず反転し、攪乱される。 著者の企図を一言で要約するなら、それは「進歩」という幻想の暴露であろう。無限の速度も、無限の快楽も、結局は虚無に至る。それは19世紀的な「進歩の神話」への、20世紀的な懐疑の表明である。 皮肉なことに、この作品が予言した「人間と機械の融合」は、現代においてより切実な問いとなっている。テクノロジーによる身体の拡張と変容は、もはやSFの領域を超えて現実の課題となった。その意味で『超男性』は、単なる世紀末の奇書ではなく、現代の我々にも深い示唆を投げかける作品として読むことができる。 「狂気の書」として片付けるには、その予言は余りに正確すぎる。そして「理性の書」として読むには、その笑いは余りに破壊的すぎる。この両義性にこそ、『超男性』の現代的意義があるのかもしれない。

Posted by ブクログ

2024/03/16

「あなたは誰です、人間ですか」、壮絶な自転車レースと性交ゲームの果てに「超男性」を待ち受けるものとは。性交ゲームなんて淫らな小説かと思うが、単純なポルノグラフィティではなく、難解なSF?だ。奇書と呼ぶ人もいる。その世界観は、読み難さ、澁澤龍彦の訳と絡み合って独特の雰囲気を醸す。早...

「あなたは誰です、人間ですか」、壮絶な自転車レースと性交ゲームの果てに「超男性」を待ち受けるものとは。性交ゲームなんて淫らな小説かと思うが、単純なポルノグラフィティではなく、難解なSF?だ。奇書と呼ぶ人もいる。その世界観は、読み難さ、澁澤龍彦の訳と絡み合って独特の雰囲気を醸す。早飲みするような読書では味が滲み出ない。ゆっくり咀嚼して飲み込まないと訳が分からない。 「シュルレアリスム」は日本語では「超現実主義」と訳され「意識と無意識の混ざった状態」つまり「夢と現実の混ざった状態」という意味のようだ。ダリの溶けかけの時計のような絵画のイメージだが、ビジュアルアートと共に文学の世界でも表現される。しかし、この表現は、音楽ではあまり聞かない。現実を下地に非現実を表すような境目が無いからかも知れない。 そうすると、小説など極端に言えば、日常的な言葉世界に奇抜な価値観を混ぜるのはお家芸であり、一部を歪ませたり、仮想世界、思考実験のような世界を描きやすい。AIが作る画像や文章のハルシネーションが近いかもしれない。このハルシネーションを理解しようとしても難しいのではないだろうか。理解するのではなく、錯視を味わうものとして楽しむというのが良さそうだ。

Posted by ブクログ