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巨いなる企て(4) ミューノベルズ
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 毎日新聞社/ |
発売年月日 | 1988/08/20 |
JAN | 9784620710310 |
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巨いなる企て(4)
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商品レビュー
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1件のお客様レビュー
この本は4部作から成っている本ですが、石田三成が関が原の戦いという壮大なイベントを成功させた軌跡について書かれたものです。私は結果(歴史)を知っていたので、何と無謀なという偏見が以前はありましたが、19万石の大名であれだけ大きなプロジェクトをまとめたということに対しては見直しまし...
この本は4部作から成っている本ですが、石田三成が関が原の戦いという壮大なイベントを成功させた軌跡について書かれたものです。私は結果(歴史)を知っていたので、何と無謀なという偏見が以前はありましたが、19万石の大名であれだけ大きなプロジェクトをまとめたということに対しては見直しました。 現在有名な戦国武将は最終的に覇権をとった人たちが主ですが、今後は石田三成という人物について興味を持っていきたいと思いました。それにしても堺屋氏はよく調べたなと感心しました。 以下は気になったポイントです。 ・徳川家康は、宇喜多家の内紛を利用した、宇喜多家の旧臣(4家老)を会津討伐に呼び寄せたので、関が原では宇喜多家は8万石(52万石中)が敵方に回ることになった(p67) ・当時、鉄砲は最も重要な軍需品であるが、関東・奥州では生産不能、6割は堺(三成の兄が奉行)、3割は近江(三成の領国)で生産され、両者ともに石田家の影響下にある(p77) ・徳川家康が天下人になるためには、1)大阪、堺、博多等の商業都市を支配下にする、2)上杉と毛利の失脚、である(p82) ・人を錯誤に陥れさせるには、三成の考えでは、1)大義名分、2)弘宣衆知(情報を経験をもとに選別)、3)象徴(事実よりも印象)、であった(p106) ・当時の黄金300枚は、米:5000石に相当する(p121) ・関が原を演出するにあたり、自分よりも小禄下位の大名には直接、上位の大名についてはその家老に働きかけた、つまり中堅実務者を結集したプロジェクトチームを形成した(p132) ・徳川側は、中老の一人(堀尾吉晴)は取り込めたが、二人の大老(宇喜多、毛利)、二中老(生駒、中村)、三奉行(前田、増田、長束)は取り込めなかった(p164) ・会津征伐の陣触れを家康が行ったとき、80余侯(1万石以上は240)が集まった(p171) ・会津征伐には、石田重家(三成の息子)を従軍させることにしたので、浪人たちを集めることができた(p175) ・会津征伐をたとえると、重役会で反対の強かった上杉常務罷免の件を、実力副社長が独断で裁決したようなもの(p176) ・当時の豊臣家は、240万石の大領地と数十の城郭、商業都市の権益、金銀山の鉱業権があった(p178) ・秀吉は、徳川家康対策として2つの軍事的措置を行っていた、1)東海道と東山道(真田幸村が徳川4万人を釘付け)には豊臣恩顧の大名を配置、2)奥州会津に上杉を配置して背後からけん制、である(p216) ・毛利家で2つに割れているのは、太閤に優遇された、「毛利秀元、秀包、安国寺恵」である、徳川派は吉川広家である(p248) ・石田は資金がなかったので、「金一両」とかいた陶片をつくらせて、世界最初の不換硬貨の発行者となった(p258) ・事業創造者は、総合調整者や設計者を兼ねてはならない、ましては実施者になってもいけない、これが大谷から石田へのアドバイス(p266) ・会津討伐から関が原の戦いとは、徳川副社長が起案した「上杉専務の解任」という通知の後に、「徳川副社長の罷免が常務会で決定した通知」が来たようなもの(p274)
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