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てんのじ村 文春文庫
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 文藝春秋/ |
発売年月日 | 1987/07/09 |
JAN | 9784167432027 |
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てんのじ村
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てんのじ村
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戦中戦後の動乱期を生きた夫婦漫才師の夫の生涯。通天閣の下、天王寺付近の長屋での人間模様。 架空の芸人ということで話は進んでいくが、明らかに実在の人物でしか考えられないような話が有り、実際「吉田茂・東みつ子」がモデルになっている。どうやら、作中のネタも全部実在するようだが、作中で...
戦中戦後の動乱期を生きた夫婦漫才師の夫の生涯。通天閣の下、天王寺付近の長屋での人間模様。 架空の芸人ということで話は進んでいくが、明らかに実在の人物でしか考えられないような話が有り、実際「吉田茂・東みつ子」がモデルになっている。どうやら、作中のネタも全部実在するようだが、作中で漫才の描写はほとんど無いため、「『かぼちゃ』をやる」というような暗黙の了解があるのは少々いただけない。 話としては大阪に出てきた若者が、結構あっさりと芸人になり、奥さんを亡くし、また再出発するにあたってのいろいろなのだが、思っていた以上に話は淡々と進むので、読みやすいがちょっと拍子抜けだったところがある。通天閣の再建もドラマになるのかと思いきや、気がついたら20年位がすっ飛んでいって、主人公が本の半ばで早くも50代に突入したり、新しい通天閣が立っていたりと、時間がとうとうと流れていくのを、ただただ傍観するような作品である。 読みやすいが、ダレやすいという作品でも有る。
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大阪の漫才師の話。自分が大阪人やからか十分に楽しめた。今まで読んだ戦後の話の多くは東京が舞台やった気がする。会話は大阪弁やけどト書き等は標準語やから誰でも楽しめると思う。今で言うコテコテの大阪弁やなく古き良きコテコテの大阪弁。 自分の年齢では主人公の芸を見ても笑わんと思う。ホンマ...
大阪の漫才師の話。自分が大阪人やからか十分に楽しめた。今まで読んだ戦後の話の多くは東京が舞台やった気がする。会話は大阪弁やけどト書き等は標準語やから誰でも楽しめると思う。今で言うコテコテの大阪弁やなく古き良きコテコテの大阪弁。 自分の年齢では主人公の芸を見ても笑わんと思う。ホンマにドジョウ掬いでゲラゲラ笑えるんやろか? ホテルで手を繋ぐ場面は最高に良かった。
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難波利三著「てんのじ村」運が人生を左右する芸人の世界。 敗戦から現代までの「てんのじ村」の善意の人々の哀歓通して描く。 地下鉄「動物園前駅」を降り、地上に出て天王寺方面に歩くとすぐの阪神高速阿倍野料金所わきに「上方芸能発祥地・てんのじ村」の記念碑が建...
難波利三著「てんのじ村」運が人生を左右する芸人の世界。 敗戦から現代までの「てんのじ村」の善意の人々の哀歓通して描く。 地下鉄「動物園前駅」を降り、地上に出て天王寺方面に歩くとすぐの阪神高速阿倍野料金所わきに「上方芸能発祥地・てんのじ村」の記念碑が建っている。 このあたりの正式な地名は、西成区山王町。それなのになぜ「てんのじ村」といわれているのか。 ここは明治の頃まで東成郡天王寺という行政区分になっており、洒落好きの芸人が、これを縮めて「てんのじ村」と呼び始めたのがいわれという。山王地区には昔から色々な芸人が住みついていたが、本格的に住みついたのは戦後のことである。 戦災を免れた長屋は、交通の便の良さもあって、次々と芸人が集まってきた。多い時には400人から500人の芸人が村にいたといわれている。その中には、人生幸朗、いとし・こいし、海浜お浜、小浜、ミヤコ蝶々ら後年有名になった人も多い。 小説「てんのじ村」は、この村に住みついた漫才、浪曲、奇術など様々な芸人達が肩を寄せあって生きるさまを描いた作品である。この作品を書くにあたって、作者の難波利三は、この村に住む実在の芸人から取材し、半分は実話をそのまま描いている。 主人公・花田シゲルのモデルは、つい最近亡くなった吉田茂。吉田茂は唄も踊りもあ る「音曲漫才」をおはことしていたが最後までテレビのレギュラーに出ることはなかっ た。それは、彼の芸が未熟だったというのではなく、運がなかったためである。このあ たりの事情は作品に詳しく出ている。 さて、物語は、戦争増産のための慰問団に出かけた主人公が、慰問先で敗戦を迎える場面から始まる。敗戦直後は人々は食べることに追われ、笑いどころではなかったが、やがて戦争中の抑圧の反動で笑いが求められるようになり、てんのじ村にも次々と仕事が舞い込んでくるようになる。 そして、高度成長期に入ると、ラジオに出演した芸人がまず有名になり、次にテレビに出演した者が全国的に名を知られ、次々とてんのじ村を後にする。芸の上手、下手というより、運、不運が人生を左右することも多かった。 主人公の花田シゲルがかたくななまでにテレビを拒否し続けたのも、そんなやるせなさ、悔しさを感じ続けていたからだろう。82才になって、念願のテレビ初出演を果たす主人公だが、リハーサルで大失敗をしてしまい、この場で白殺したいとまで思い詰めてしまう……。 敗戦から現代までの「てんのじ村」の変遷を背景に、花田シゲルの人生を、村の善意の人々の哀歓を通して描いたこの作品は、1984年、第91回直本賞を受賞している。 作者の難波利三は、島根県から大阪へ出てきて、ペンキ職人の手伝い、ガソリンスタンド店員、地下鉄の夜間工事、ギターの流しなどさまざまな職に就きながら大学に通った。 しかし、無理がたたったのか肺浸潤となり貝塚市橋本にあった結核療養所に入院する。半年で退院するはずだったが、病室を抜け出して遊び回ったために、入院前より病状が悪化してしまい、5年も入院するはめにあったという。 入院期間中、難波は本を貧り読み、やがて読書サークルの会長になる。そのうちに読むだけでは飽き足りなくなって小説を書き始めた。彼はこう書いている。 『五年余りにわたる療養生活がなければ、恐らく小説家にはなれず、ならず、他の道へ進んでいたのに違いない。そう考えると、人生の不思議さを、面白さを、改めて教えられるような気がする。』 結核というハンディが、結果的に、難波利三という作家を世に送り出した。まさに、「てんのじ村」を地でいくような人生の不思議さを感じさせる。 私は、木造の長屋や商店がひしめく"てんのじ村″を目指して歩き出した。ここには今もまだ10名近くの芸人たちが住んでいるのだ。
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