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戦後政治家暴言録 中公新書ラクレ
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商品詳細
内容紹介 | |
---|---|
販売会社/発売会社 | 中央公論新社 |
発売年月日 | 2005/04/09 |
JAN | 9784121501738 |
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戦後政治家暴言録
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戦後にはさまざまな政…
戦後にはさまざまな政治家がいたが、彼らがどのような発言をしてきたのか。
文庫OFF
政治家の暴言と言えば、国会中継などを見ていると質問への回答に窮したり、痛いところを突っ込まれたり、聞いてるこちらからも怒らせようとしているのがありありとわかる様な質問をされて、怒りに任せて出てきた回答などでヒヤッとすることがある。大半は何言ってんだろうなとか、上手く乗せられちゃっ...
政治家の暴言と言えば、国会中継などを見ていると質問への回答に窮したり、痛いところを突っ込まれたり、聞いてるこちらからも怒らせようとしているのがありありとわかる様な質問をされて、怒りに任せて出てきた回答などでヒヤッとすることがある。大半は何言ってんだろうなとか、上手く乗せられちゃったなと呆れて見ている事が大半だ。 本来政治家は言論によってその存在を証明しなければならず、国をどの方向に進めるか、国民の付託に応えるとはどういうことかを考えなければいけない、という前書きに始まる本書。過去の主に総理大臣の失言・暴言を中心に、発言の背景を紹介し評価していく。 終戦の総理である東久邇は昭和20年に「国民総懺悔」と発言し、暴走した軍部が悪いのに国民にも敗戦の責任を負わせるのか、という批判を浴びた。当時は確かに軍部がやりたい様にやったという見方も誤りはないだろうが、国民も緒戦の勝利に沸き、対米強行に踏み切れない政府を弱腰と非難していた。新聞各社もそうした世論を紙面に伝えたし、東久邇の発言が間違っていたかと言えば、正しいとみるのが普通だ。 妄言・失言のタイプを本書では6つに分類する。それは、歴史解釈、女性蔑視、倫理観、虚偽、無知、イデオロギー対立からくる罵倒に分けていずれかもしくは組み合わせて原因分析していく。 政治家は言葉により生き、ことばによって政治的な死を宣告される。言葉によって助けられるが、言葉によって復讐される事もある。これは本書で紹介されている政治家の生死をよく表したことばであるが、まさに前述の6つの原因から発せられた言葉により政治家は自滅する。とは言え、発言のタイミングや捉え方、本人の人気によっても、容易く流されるだけでなく、まさに言葉がつぎの(より良い)状況を作り出すのではなく、状況がことばを作っているような見え方になっていく。 本書は多くの失言を扱うが、有名どころでは、吉田茂総理のバカヤロー発言は前述の区分なら倫理観に触れたものとも、イデオロギー対立から来る罵倒に近い。池田蔵相の場合は発言を誇張した新聞社側にも問題はあるが、誘導的な質問に乗ってしまってる点で、結局は相手の思い通りに解釈されるような発言をしてしまっている。その内容はインフレ抑制すれば中小企業に厳しい状況になるのは当たり前、と言った発言がそうとられる。そして安倍総理銃撃で有名になった岸信介総理の発言、佐藤栄作総理の退任時の「テレビは前へ、新聞は出ていけ」など、沖縄返還の実績も軍用地復元補償費におけるアメリカとの密約など新聞に叩かれ続けた総理らしい発言だ。これらを全て横並びに失言としてしまうのもおかしな話である。特に新聞社については吉田茂も「新聞報道は正確ではない」と苦言を呈しているし、新聞側が対抗してアメリカのトマス・ジェファーソンの言葉「もし私に新聞なき政府と政府なき新聞のどちらかを選べと言うならば、私は一瞬の躊躇もなく後者を選ぶであろう」を引いて反論する。これらを見ていると、個の政治家が、大多数の新聞社・テレビ局を相手に戦っている様なものであり、社によっては伝わり方も異なるものの、日本の新聞の伝え方等へは甚だ疑問を感じる。政治家は距離の取り方に気をつけないと失言・暴言に取られるリスクばかりが大きくのし掛かる。 戦後時間が経つと、先の戦争を扱う言葉にも注意が必要となる。天皇が自国防衛について述べられた内容をそのまま話せば、当然天皇の政治利用の様な批判を浴びるし、本書ではこれら、時代によって変遷する世論を多数派の「オモテ」の議論と、その逆、大半の国民が受け入れ難い「ウラ」の議論と定義し、敏感に感じ取って、ついていけない政治家は失言を吐いてしまうと分析する。 近年では小泉純一郎の「改革なくして成長なし」や「私に反対するものは全て抵抗勢力」、田中真紀子は同政権の外務大臣でもあったが、いくら失言とも取れる言葉を発しても、決して咎められないような国民から人気のある政治家もいた。それは当時は暴言とも取られず、後からの評価になるところも多い。結局は聞いた側の解釈次第であるところが大きいようである。 次に誰が失言・暴言を吐いてマスコミと国民から非難されるか。新聞各社やテレビ局との距離の置き方が下手であったり、ましてや敵に回すような政治家は危険だ。愛嬌で許される様な「国民的人気政治家」にでもならないと、中々本心を言葉にできる政治家は生まれない。 本書を読み進め、少し前の麻生太郎氏の「みぞうゆう」を思い出した。先日テレビ出演していた大学教授らしきコメンテーターめ「もりきろう」と言っていた。何か政治が庶民的になったのか、誰でも気持ちさえあれば政治家になれるんじゃないかと、密かに勇気を頂いている。
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ちょうど麻生副総理の「ナチスの手口に学んだらどうか」発言の最中であり、何故直ぐに撤回するような暴言が口をついて出てくるのか、興味深く読んだ。 著者によると、例えば平和憲法絶対視の「オモテの言論」と大日本帝国憲法に理念を引き継ぐ「ウラの言論」があり、「ウラの言論」が思いがけず表に現...
ちょうど麻生副総理の「ナチスの手口に学んだらどうか」発言の最中であり、何故直ぐに撤回するような暴言が口をついて出てくるのか、興味深く読んだ。 著者によると、例えば平和憲法絶対視の「オモテの言論」と大日本帝国憲法に理念を引き継ぐ「ウラの言論」があり、「ウラの言論」が思いがけず表に現れ「暴言」となるという。つまりは本人からすれば本気であって「暴言」でもなんでもない。なるほど、撤回こそすれ謝罪しない訳だ。 また、ここ10年間で増加している「激情タイプの非社会的発言」は本書によると日本社会のアパシー化によるという。100年後の国民に冷笑されるという筆者の予言に、現代を生きるものとして胸が痛い。
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