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異界歴程
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異界歴程

前田速夫(著者)

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異界歴程

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商品詳細

内容紹介
販売会社/発売会社 晶文社
発売年月日 2003/04/02
JAN 9784794965639

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2件のお客様レビュー

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2014/06/19

「明宿集」で在原業平がなぜ「かたい」と呼ばれているのか、自転車こいでいてめぐり会った北埼玉の「太白神社」がどんな由来を持つと考えられるのか、さまざまな疑問が氷解した一冊。超楽しい。

Posted by ブクログ

2013/03/10

題名は言わずと知れたバニヤンの『天路歴程』を踏まえたものだが、「異界」という言葉から、何かおどろおどろしいものを想像する向きがあるかも知れないから、あらかじめことわっておく。著者のいう「異界」とは、均質化し平準化した現代日本の下層に埋もれて、今や誰もが忘れかけている、かつての伝承...

題名は言わずと知れたバニヤンの『天路歴程』を踏まえたものだが、「異界」という言葉から、何かおどろおどろしいものを想像する向きがあるかも知れないから、あらかじめことわっておく。著者のいう「異界」とは、均質化し平準化した現代日本の下層に埋もれて、今や誰もが忘れかけている、かつての伝承や習俗をひっそりと伝えている山間の集落や孤島の僻村のことである。 著者は「異界」に対して畏怖と敬意の気持ちを込め、「異俗の痕跡を求めて、列島のあちこちのこの世ならぬ伝承や風土を」訪ね歩く。白山信仰という隠された主題を導きの糸として、小泉八雲の松江から、転教者アルメイダの大分まで、八丈島、奄美大島の南海から鏡花『高野聖』のモデルとなった谷間の集落まで、編集者としての仕事の合間を見つけては、日本各地を探索し、巷間に埋もれた古書、文献を渉猟して歩いた巡礼の旅の記録でもある。 一読して感じるのは、著者の選び出した対象に対する尋常ならざる偏愛ぶりである。柳田国男が自分のはじめた民俗学の研究対象の中心に「常民」と呼ばれる人々を据えたとき、期せずしてその周辺、境界に位置した人々や、その習俗がマージナルなものとして次第に民俗学の視野の外に追いやられてしまう結果となった。著者が着目したのはそういう人々や、彼らの伝承・風土である。「ことに、追放されたり、祖国離脱したり、自らの意志で遊行したりという、自分の居場所がなくて、常に移動している人たちには強く惹かれ」るという言葉からは、「貴種流離譚」に潜む潜在的な機能、つまり価値の転倒による既成社会の安定した秩序の転覆を夢見る浪漫派的精神が窺われる。 第1話「山の者のバラード」で採り上げるのは、説教節である。柳田、折口に先行した民俗学研究者としての一面を持つラフカディオ・ハーンだが、彼には松江市の誰も行かない被差別部落を訪れ、そこで見た大黒舞にいたく感動した事実があった。それが書かれた「俗唄三つ」という作品は、人権に対する配慮によるものか、現在では小泉八雲の作品とされるテキスト類から全文削除されている。その三つの俗唄というのが、大黒舞の中で歌われる「俊徳丸」や「小栗」などの説教節である。 寺山修司の『身毒丸』が蜷川によって再演されたこともあって、知名度は上がったと思うが、継母の呪いで盲者となって諸国を流浪する「俊徳丸」も陰謀で毒殺され土車に牽かれる「小栗」も、貴種故に、この世から追放され、流浪するが、最後には「死と再生」を経過することで、神となって祀られる。現世で虐げられている者こそが本来は高貴な存在であるのだという主題がここにはある。著者は、ハーンの来歴を調べ、両親ともにジプシーの血を引いていることや、事故によって隻眼となったこと、転地を繰り返す漂泊者であったことなどの事実から、ハーン自身がマイノリティの側に身を置いていたので、異国の被差別部落に伝わる唄にこれほど感動することができたのだと結論づける。 そうかも知れないし、そうでないかも知れない。それはともかく、柳田国男が菊池山哉に対して言ったとされる「あなたは結論が先で、その結論に理屈づける」というのは、直系を自認する前田自身にも当てはまりそうだ。もっとも、著者自身先刻承知で、そういう逸脱ぶりにこそ在野の民俗学のよさがあると自負しているところがある。そういう点を承知しておけば、これはこれで充分刺激的な論考である。 ほかにも、日本全国を旅し『遊覧記』を著した菅江真澄の出自が、菅原道真の家臣白太夫家であり、そのネットワークが、真澄の旅を可能ならしめていたという指摘や、鏡花の『高野聖』の舞台となった「天生峠」は、これまで架空の場所とされてきたが、岐阜県吉城郡上宝村にある「双六谷」ではないかという指摘など、いずれも興味深い調査結果と著者独特の発想は示唆に富む。 筆者の妻の実家、「埴科群坂城町南条鼠」の「鼠」が、動物の鼠ではなく「不審見(ねずみ)」、つまりの烽火を見極める斥候であり、全国にある鼠地名は、不寝番としての見張り、関所や番所を指す地名であることを突き止める「ネズミの話」をはじめとして、同音異義語の多い日本語の特質を活かし、ほとんど語呂合わせや駄洒落による連想ゲームの感を呈する語源探しは、直感と想像力が頼りの探索行である。 巻末の谷川健一との対談でも話題になっているが、「さいたま市」や「四国中央市」が現実に登場しつつある今、この手の学問の命脈は風前の灯火といえるのではないだろうか。今回の本では背後にあって、前面に出てくることのなかった白山信仰についてのより詳細な論考が、著者のような奇特な人によって少しでもはやく出版されることが待たれる所以である。

Posted by ブクログ

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