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日東壮遊歌 ハングルでつづる朝鮮通信使の記録 東洋文庫662
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 平凡社 |
発売年月日 | 1999/11/09 |
JAN | 9784582806625 |
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日東壮遊歌
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日東壮遊歌 ハングルでつづる朝鮮通信使の記録 著者:金 仁謙 訳注:高島淑郎 発行:1999年11月9日 平凡社 計12回来日した朝鮮通信使のうち、11回目に同行した書記(57歳の文士)による律文詩形式による記録。 自宅のある公州→ソウル→釜山→津島→瀬戸内海→大阪で上陸、京都、名古屋、江戸へ。そして、帰り道の記録も。全行程11ヶ月、日本には8ヶ月以上の滞在に及んだ。なお、最後12回目は対馬止まりだったため、江戸に行った最後の朝鮮通信使の記録となる。 1592年に豊臣秀吉は朝鮮に出兵、一方的な侵略行為をした。戦国武将に割と多い晩年の乱心。周囲も止めようがなく、秀吉が死ぬのを待つしかなかった。7年間に及ぶ戦争で朝鮮の国土は焼き尽くされ、多くの犠牲者を出した。朝鮮の人たちの怒り、憤りは、ただ事ではなかったはずだ。著者の金仁謙も、先祖が受けた被害に強い憤りをまず表している。 朝鮮通信使は、断絶していた朝鮮との関係を回復させようと、徳川家康が対馬藩に命じてなんとか招いたのが始まり。最初の3回は、秀吉が誘拐してきた優秀な朝鮮人技術者などを帰国させるのが主な事業だった。そこには、外交面の意義に加え、秀吉の全否定を目指す裏の意図があったことが推測される。なお、当該朝鮮人の中には、あえて帰国しなかった人もいる。鹿児島の超有名陶芸家の沈壽官さんの先祖がその一人。 以後は目的が変わり、将軍家世継ぎ誕生や新将軍の襲職の際に朝鮮国王の親書を徳川に届けるようになった。しかし、朝鮮側がごますりに来たわけではない。あくまで徳川がお招きしたVIPとして来日している。著者は倭人を野蛮人だと思っている。そう言われたし、歴史の上からもそう思っても無理はない。しかし、彼は対馬人に対してもっと否定的な感覚を持っている。倭人に比べて対馬のやつらは、というような記述が何回か出てくる。数百人の朝鮮通信使を上回る対馬人の護衛(対馬藩主も一緒)が江戸までついてきて、その無礼さに著者は憤りをさらに大きくしていく。 著者は倭人を「犬にも等しい」と表現(「本当は犬の陰茎」だと表現しているらしい)し、江戸でも将軍目通りを欠席している。しかし、8ヶ月に及ぶ旅の現場レベルでは、やはり心通じ合うところが多くなり、倭人のことを認める発言が見えてくる。ただし、島主(対馬藩主)など倭人幹部には露骨に嫌悪感を示し続けた。 さすがに文士、美しいもの、すぐれたものは、素直に評価している。瀬戸内海の船旅で見る絶景、大阪や名古屋の街の活気や建物のすごさなどは、自国と比べて遙かに上だと驚きを見せる。 とくに、名古屋は美人が多いと、行きも帰りも強調しているのが面白い。 また、岡崎で「熱田宮があると聞いたが、どこにもなかった」と、勘違いしているのも印象的だった。名古屋の熱田神宮は伊勢神宮と同様、天照大御神を祀る最も格上の神宮だが、それを家康出身の地で探してしまったところに、天皇と将軍、どっちが上なのか分かっていない様子が窺える。そういえば、小学校の頃、江戸時代は天皇より徳川の方が上だったと思っていた自分を思い出した。 こころにジンとくる、素晴らしい本だった。 *大阪市中央図書館の書庫に1冊しか残っていない本に、マーカーやボールペンで書き込みするくそだわけ野郎に大きな憤り!
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一七六三年から一七六四年にかけて日本を訪れた、第十一次朝鮮通信使の一人、金仁謙の記録集。 日本の地を訪れ、大阪や江戸の繁栄に驚きながらも、ことごとく日本人を見下してさげすむ様は、小中華思想の影響によるものなのでしょうか。 当時の朝鮮人がいかように日本を捉えていたのかがよく分かる一...
一七六三年から一七六四年にかけて日本を訪れた、第十一次朝鮮通信使の一人、金仁謙の記録集。 日本の地を訪れ、大阪や江戸の繁栄に驚きながらも、ことごとく日本人を見下してさげすむ様は、小中華思想の影響によるものなのでしょうか。 当時の朝鮮人がいかように日本を捉えていたのかがよく分かる一冊です。
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