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福沢諭吉と宣教師たち 知られざる明治期の日英関係 慶應義塾福沢研究センター叢書
定価 ¥4,180
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商品詳細
内容紹介 | |
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販売会社/発売会社 | 未來社 |
発売年月日 | 1999/06/04 |
JAN | 9784624111724 |
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福沢諭吉と宣教師たち
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※このレビューにはネタバレを含みます
恐らく知っている人は少ないであろうこと、すなわち、福沢諭吉は聖書を尊んでいたということ、福沢諭吉は聖書の神を崇めていたということをここに示そうと思う。 あの有名な一節「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」というのはアメリカ独立宣言からの引用です。そこには英語でこうあります「我々は以下のことがらを自明の真理としている。つまり、すべての人は、創造主によって等しく造られたものであり、他者に奪われてはならない、固有の権利を賦与されているということである。そして、それらの中には、生存と、自由の権利、そして幸福を追求する権利などが含まれている。」アメリカ独立宣言は聖書に基づいて書かれました。アメリカの創始者はクリスチャンだったのです。だから、創造主という言葉や、聖書の考え方が出てくるのです。 さて、福沢諭吉がいう「天」がなぜ、創造主であるとわかるのでしょうか。福沢諭吉がそう言ってるからです。 ↓ここから少し、バックグラウンドの話です。 福沢諭吉は慶応義塾大学を創りました。そして、外国人の宣教師を日本に招いていました、西洋の学問を日本の学校で教えるためです。しかし、彼らの真の目的は宣教、すなわち、イエスキリストを伝えることにあったのです。しかし、日本の学校でそれは許されませんでした。しかも、彼らは外国人居住区、外国人居留区に押し込まれていたのです。 福沢諭吉は外国人を自分の家の敷地内で住まわせることにしました。福沢諭吉の家族は明治時代で最初にクリスチャンと共に生活したのです。また、明治時代で校内で公式に聖書を教えることを許可したのは慶応義塾大学でした。福沢諭吉には二人の息子がいました、二人ともクリスチャンです。 ↑バックグラウンドの話終わりです。 福沢諭吉は、この二人の息子に宛てて人生指南書を書きました、「日々の教え」です。子供でも分かるように全文ひらがなでした。ちょっと内容を見てみます。 『東西、東西。日々の教えの二編の始まり。お定めの掟は六か条、耳をそろえてこれを聞き、腹に収めて忘るべからず。 第一、天道様を畏れ、これを敬い、その心に従うべし。ただし、ここに言う天道様とは、日輪のことにあらず。西洋の言葉にてゴッドと言い、日本の言葉に翻訳すれば造物者というものなり。 第二、父母を敬い、これを親しみ、その心に従うべし。 第三、人を殺すべからず。獣を酷く取り扱い、むしけらを無益に殺すべからず。 第四、盗むべからず。人の落したるものを拾うべからず。 第五、偽るべからず。嘘をついて人の邪魔をすべからず。 第六、貪るべかららず。無闇に欲張りて人のものを欲しがるべからず。』 いいですか、「天」とは太陽(日輪)ではありません。西洋の神だと言うのです。当時、福沢諭吉が西洋の神と言った時、それは一つしかありません。キリストイエスです。少なくとも聖書に書いてある神です。だから「造物者」なのです。 これをモーセの十戒と比べてみます。 1〇私以外の何者も神としてはならない。 2〇偶像を作ってはならない。 3×主の名をみだりに唱えてはならない。 4×週に一度は休日としなさい。 5〇父母を敬いなさい。 6〇何をも殺してはならない。 7×姦淫してはならない。 8〇盗みを働いてはならない。 9〇隣人のことを偽証してはならない。 10〇他人の物を欲しがってはならない。 〇は日々の教えと被っているものです。×は書いていないものです。3はユダヤ人にのみ適用することです。4は恐らく当時の日本の文化に合わないと福沢諭吉は判断したのでしょう。7がないのは謎です。 このように、福沢諭吉が、聖書の神を崇め、それを息子に教えていたのは明らかなのです。そうでないと、順番まで同じで、言っている内容がここまで同じであることに説明がつかないし、聖書の神を崇めるバックグラウンドは十分にあったので、日々の教えは十戒の福沢諭吉アレンジ版だと考えた方が説得力があるのです。 ①西洋の神を敬えと言っていること。②モーセの十戒に内容が酷似していること。③それを可能にするバックグラウンドが十分に揃っていること。から福沢諭吉はイエス=キリストを崇めていたと結論できようと思う。 だから、と言うのはなんですが、みなさんも聖書を読んでみましょう。あの福沢諭吉ですら、神を崇めていたのだから。
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